見出し画像

知の統合「図書館」の設立:歯科医療の歴史外伝①

 世界における医療の始まりとその歴史の流れの中で、歯科医療に関して特記した記事の連載(8記事)を始めてようやく11世紀まで達した。ここからしばらくはあまり特筆すべき歯科医療の発展がないため、省略してしまおうと考えていたのだが、幕末から明治時代に起きた日本での歯科医療の変遷をたどると、「大学」とは何か、という本質的な問題に達する。大雑把ではあるが、私見を外伝としてまとめていきたい。(小野堅太郎)

 現代の大学は19世紀にドイツ(当時はプロイセン)で確立した。教育と研究の統合により、学問をより深く探求する場である。12世紀に誕生した世界最初の大学「ボローニャ大学」(イタリア)とは、大学としての性質が異なるとされているが、その後のパリ大学創設(13世紀)も含めて、知の統合の場であった。知の統合の場といえば、図書館である。

 現在発掘されている最古の図書館は、メソポタミア文明、紀元前7世紀のアッシュールバニパル図書館です。「メソポタミア文明での歯科」で書いたように、「粘土板」に刻まれた楔型文字にて後世に「知恵」が受け継がれていました。この図書館遺跡から大量の粘土板が出てきたせいで、メソポタミアの文化が現在でも知られているわけです。

 そして「古代ギリシャ・ピポクラテスの歯科」と「古代ギリシャ・アリストテレス」で紹介したように、エジプト北部の地中海の街アレクサンドリアにできた巨大な図書館(紀元前3世紀:蔵書40万巻、諸説あり)です。古代の3大図書館といえば、他にペルガモン図書館(紀元前3世紀:蔵書20万巻)とケルスス図書館(2世紀:蔵書1万2千巻)です(両方とも現在のトルコ)。過去の記事でアレクサンドリア図書館の遺跡を訪れた逸話を書きましたが、小野はケルスス図書館(エフェソス遺跡)も訪れています。このケルススは「炎症四症候を定義したケルススの歯磨き粉」とは別人で、ローマ副執政官だった人になります(年代が50年程ずれる)。ペルガモンといえば、「千年医学を確立したギリシャ人ガレノス」の出生地となります。

 その後、キリスト教の影響を受けて、学問の地はイラン西部にある「ジュンディーシャープール」へと移ります。そして、9世紀にバグダードに「知恵の館」(図書館の意)が設立されるわけです。ここで、ギリシャ語の書物が大量にアラビア語へと翻訳されていきます。この時代にバグダードで勉学を積んだのが外科医アル・ラーズィーです(「アルコールの発見者ラーゼス(アル・ラーズィー)の歯科保存学」を参照)。

 イスラム帝国も分裂します。アッバース朝に追い出されたウマイヤ朝は、現在のスペインにて後ウマイヤ朝として再興します。ここで多くの図書館が設立されます。コルドバに7つあったと言われていますが(1つの図書館の蔵書は40万巻とも)、この地で活躍したのが、アブルカシスです。一方、アッバース朝の支配領で活躍したのがアヴィセンナです。「ルネッサンス医学を支えることになる二人のアラブ系医師」を参照してください。

 というように、これまでの「歯科医療の歴史」シリーズの登場人物たちが、「図書館」というキーワードで1つの流れにまとめられることがお分かりいただけたでしょうか。何にせよ、歴史は文書とともにあり、学問は図書館と強く結びついているわけです。

 パピルスは折り曲げると割れてしまうので、基本的に「巻物」として保存されます。2世紀頃からコプト教の間で「文書を綴じる」ことによる「本」が開発されます。これにより収納がコンパクトで繰り返し読んでも劣化が少ないモノになります。本としての保存性が良くなると劣化の激しいパピルスは消えて、丈夫な羊皮紙の方が普及してきます。2世紀に中国で蔡倫が紙を樹皮から作ることを発明し、7世紀に日本へ入ってきます。8世紀にはイスラム圏に紙が伝わり、十字軍以降の12世紀から15世紀にかけて西洋に紙が普及するようになります。つまり、10世紀までの図書館には基本的にパピルスや羊皮紙の巻物、一部が羊皮紙の製本となるわけです(それで蔵書数単位を”巻”としました)。

 上記に製本と紙の歴史についてのリンクを上げておきます。めちゃくちゃ面白いです。

 さて、この図書館が大学へとなっていくわけですが、その経緯はヨーロッパの国勢とキリスト教の変遷が大きく関わっていました。次回、お楽しみに。


全記事を無料で公開しています。面白いと思っていただけた方は、サポートしていただけると嬉しいです。マナビ研究室の活動に使用させていただきます。