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情報伝聞による真実のゆがみ:ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」から学ぶ②

 14世紀北イタリアにある架空の世界最大級図書館で起きる謎ときが主題の「薔薇の名前」。ストーリーは、著者と思われる学者が古書店で偶然見つけた写本として語られます。学者(研究者)が小説という空想本をあたかもリアルの様に見せかけるための入れ子構造が、この小説にはある。どういうことなのか考察してみたい。(小野堅太郎)

 研究は積み重ねである。

 一人の研究者人生で万物のあらゆるものを解き明かすことは時間的に不可能です。そこで書物という文字媒体を通じて、若い世代が学び、そして新しいことを発見して次の世代へとつないでいく。なぜヒトだけ科学を行うのかと言われれば、「言語、そして文字を獲得したから」という短い説明で十分でしょう。

 しかし、言語や文字が真実をそのまま表現しているかと言われると、答えはNO。どうしても書き手の主観が入ってきて真実はゆがめられる。都合の悪い話は書かないし、都合のいいことは美化してしまう。都合の良し悪しは個人の価値観に依存することもあれば、その時代の倫理観に依存する場合もある。ましてや、「翻訳」ともなれば、異なる言語間での単語の意味の曖昧さが正確性をゆがめ、誤訳による真意の消失は避けられない。つまり、情報化された真実は、真実の一部を表現したに過ぎず、情報は拡散されることで意味合いを変容させてしまうのです。

 最終的に、手元に来た情報が真実であるか否か。当然、あらゆる情報が真実ではありません。では、どこまで真実に近いのか、どの程度ゆがめられているのか、ということが重要になってきます。10年ほど前に「ほんとは怖い○○童話」というのが流行りましたが、子供の頃に読み聞かせられた絵本のストーリーは原作と大きく異なっています。グリム童話、イソップ童話、桃太郎、カチカチ山など。いやいや、これらは原作ではなく、とある狭い地域で語り継がれてきた話を文字にまとめたものであって、そもそも原作など存在しないのです。ディズニー作品では「人魚姫」や「ピノキオ」など原作とされるものがヨーロッパにあるわけですが、アメリカで大きくストーリーが書き換えられ、世界中の子供たち(大人も)がそれを観て勘違いしているわけです。

 情報の正確性の話をすると、ジャーナリズムとは何か?という話が出てきます。ラテン語でジャーナルは「日々の記録」の意味、つまり日記のようなものです。歴史学や民俗学でいう「1次資料」となります。伝聞を介さないことで、できるだけ真実に近い情報を提供することがジャーナリズムだと思います。現在の雑誌、新聞、TVは、記者による「直接取材」を行っていない限り、ジャーナリズムであるとはそもそも言えないのです。

 こういった伝聞拡散による真実のゆがみは、歴史学・民俗学という学問の面白さを際立たせています。情報の流れを過去に遡っていくことで、真実が明らかになっていくからです。小野が歴史好きであるのは、こう言ったところです。「薔薇の名前」の著者ウンベルト・エーコは、特に中世ヨーロッパの美術・文書を対象とした「記号学者」ですので、ここら辺の面白さに憑りつかれた人間の代表格です。そして、歴史資料における真実のゆがみについては熟知しているわけです。

 研究者が小説のようなフィクションを書くことは、よくあります。この時、重要になってくるのは、研究者であれば真実に近い部分は変更できない、ということです。「わかっていない部分」に空想の設定を持ってくるわけです。司馬遼太郎さんは面白い日本歴史物語をたくさん残した小説家ですが、気を付けていないと「架空の歴史資料」が本物の様に出てきますので注意が必要です。前記事で詳細に書きましたが、エーコは小説の舞台を歴史として明らかになっている時代設定をそのまま利用しています。そして、その隙間である不明部分に、自由な発想を取り入れた探偵小説としての仕組みを仕込んでいるわけです。

 エーコはその創作ストーリーにも保険をかけたわけです。ストーリーの本体は修道士アドソによる「語り」で、日記調の「ジャーナル」になっています。ただし、これはアドソが晩年に書き残したものであるため、アドソの「記憶違い」による変更、晩年の価値観変容によるバイアスの混入が避けられません。そして、これは17世紀にラテン語で出版され、19世紀にフランス語に翻訳出版されたものであるとしています。これを外国の古書店で見つけたものをイタリア語で現代に出版した、という設定なのです。つまり、

「真実などわからない」

という、本書の根本、にたどり着きます。あまり詳しく解説すると、究極のネタバレになってしまいますので言いません。おそらく、すべての研究者が最終的に受け入れなければいけない言葉だと思います。

 研究者は必読の本でしょう。主人公修道士ウィリアムと老僧ホルヘの議論は、学会そのものです。次回は、この二人に焦点を当てます。

補足

 この文章は、「自分の研究の意義」を見いだせないで悩んでいる大学院生たちと、ジャーナリストを目指すと言い出した息子に寄せた文章です。


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