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ニューヨークで覗いた歯科教育見聞録

 数年前まで、ニューヨーク大学歯学部で研究留学していた。なので、歯科臨床に直接携わったわけではないが、数人の日本人教員や自費留学生がいたため、頼んで歯学部の講義や臨床を見学させてもらった。研究の傍ら、学生がカリキュラムの研究課題で来たりするので、ちょっと話したりもした。要するに聞きかじっただけではあるのだが、日本の歯学部教育との大きな違いに驚かされた。ちょっと紹介してみる。(小野堅太郎)

 実は、教員側はさほど大きな違いはない。ニューヨーク大学歯学部では、リタイヤしたと思われるご老人歯科医師たちがかなり実習に参加していて驚いた。日本ではTA(ティーチングアシスタント)として大学院生が実習を手伝っているが、あちらでは超ベテランが教えていた。講義には、こっそり2回出席したが、日本とそう変わった感じはしなかった。ただ、日本では席が決まっていたり、飲食禁止だったりするが、あちらでそんなことはない。聞いた話だが、あちらは何かとすぐ医療裁判になるため、EBM(証拠に基づいた医療)の授業が充実しているらしい。日本でももちろん、訳のわからない治療をしてはいけないわけで、日本でも今後より充実させていくべき課題だと思う。

 大きく違ったのは、歯科学生の勉強量だった。日本の学生とは違って、めちゃくちゃ勉強している。基本的に授業が終わったら、ずっと勉強していた。アメリカでは、医学部、歯学部、法学部は普通の4年制大学を卒業してから進学するシステムになっている。だから、専門医(博士?)課程にいる歯科医師と話すと、ほんとにみんな基礎科学についてよく知っている。もともと、基礎研究(生物学とか工学とか)をある程度やってきて歯学部に来ているので、いきなり、基礎系の科学論文でも読めてしまう。学生研究のための論文が30センチくらい積んであってびっくりした。とにかく学生の勉強に対するモチベーションが違う。アメリカ映画を見ると、大学生は日本と同じく遊んでいる感じがするのだが、実際の歯学部はそうではなかった。

 何が違うのか。ニューヨーク大学歯学部の特徴は、7割以上が非ネイティブである。中東の人が一番多く、インド、中国、韓国の順かな。歯学部の学生は、アメリカで歯科医師として生きる道を選んでいた。国から出て、アメリカで、ニューヨーク州で暮らしたい、という願望が、過酷なカリキュラムの中でも高いモチベーションを維持していた。外国の歯学部を卒業した人のための国際卒後(インターナショナル・ポストグラディエイト)のコースもあるのだが、こちらは比較的厳しくない(あくまでも比較的、楽というわけではない)。卒後は基本的に母国へ帰るからだ。ネイティブの歯学部学生たちも違う。アメリカでは多くの学生は奨学金で大学に通っている。そのあと歯学部、そのあと専門医コースに行くと平気で一億円くらい借金を抱える(注:ニューヨークでは)。留年したり、退学したりすると大変なことになる。ただし、歯学部を卒業すればかなりの収入が得られる。専門医になると、はるかに高い診療報酬を得ることになり、1億円ぐらい数年で返してしまう。よって、専門医コースに行くためには学部時代に優秀な成績をとっていなければならず、一発の入試試験で大学院に行ける日本とはまったく異なる。さらに、口腔外科を目指すなら医学部に編入することになる。口腔外科の専門医になるとはアメリカでは途方もなく学業が優秀でないとなれないのである。

 全然、日本と違うのである。オバマケア導入の時に留学していたので、現状は少し変わったのかもしれないが、当時は医療費は完全自己負担であった(マイケル・ムーア監督「シッコ」参照)。歯学部学生たちが診る患者は無料なので、多くの患者が来院する。保険のレベルに応じて、治療する医師側の報酬は段階的に上がっていく(前回の記事参照)。そのために、海外移住と借金返済のためにも学生時代に常に上を目指して競争し(日本でいう受験勉強を学校でする感じ)、勝ち残ったものが専門医コースへとなるのである。博士号をとった者は研究者となる。日本人・韓国人以外で、歯科医師なのにポスドク(雇われ研究者)やってる人は見なかったなあ。

 さて、これから比べたらぬるい環境の日本の歯学部教育。アメリカには負けているなと思う。でも、アメリカの環境にするには、日本全体の改革が必要となる。そんなことは無理なので、改善のためにどういった努力ができるのか。アメリカだけでなく、隣国の韓国では医師より歯科医師の方が収入が高いため人気が高い。歯科医師の給与を上げる必要があるが、国民皆保険の日本では歯科医療費を跳ね上げるわけにはいかない。逆に、歯科保険制度の廃止は社会不安を生んでしまうだろう。少しでもアメリカの医学教育システムに近づけるため、日本では専門医制度の改革が始まっている。大学院(博士課程)と専門医をより強く繋げることになる。医学部ではもう動いていると聞く。歯学部も、これに期待したい。ただし、専門医のメリット強化(一般医との差別化)という難問もある。大学教育・研究に関しては、日本は別の危機的状況(交付金削減など)を抱えているので、一筋縄ではいかない。

 では、歯科臨床はどうかというと、日本は卒後に歯科医師はかなり勉強している。正直、臨床レベルは日本の方が・・・、という印象を得た。あちらの歯科医師は勉強はできるのだが、手先が器用な人が少ない。日本の歯科医療はアメリカに比べて負けていると主張する人がたまにいる。すごい人も確かにいるが、全体としてみると・・・うーん。日本の歯科医師はもっと歯科医療技術の高さを誇ってもいいと思うのだが・・・。

 アメリカに留学していたという歯科医師にも様々なパターンがある。歯学部を卒業しているツワモノ、国際卒後コースを卒業した凄い人。多くは、日本人向けの短期間の講義を受けるだけの国際卒後コースを受けた人であろう(同じコース名だが、卒業証書は当然でない)。参加費を聞いてみたら、これは大学相当儲かるな、と思った。極まれだが、超人的にアメリカで専門医を取っている人もいて、絶対日本には帰ってこないであろう。いや、アメリカの歯科医師免許取った時点で帰らないよなぁ。ちなみに、大学内だったら、日本の歯科医師免許で診療できます。

 歯科における教育と臨床、外国から学ぶところ、学べないとこ、誇るべきとこ、いろいろある。留学のいいところは、現場を自分の目で見れるとこである。3か月ぐらいでは足りない。周囲が本音を漏らしてくれるのは、半年以上はかかるだろう。若い人たちには、留学を絶対勧める。

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