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恋には理由がなくて脆い。好きな理由は大体後付け

はじめに言っておくと私は彼氏のことが大好きだ。よってこのnoteは惚気ポエム成分を含んでいるためご注意ください。

さて、世は七夕だったというのに私は婚約中の彼氏と過去最大規模の喧嘩をした。解決こそしたものの、今もお互い若干のショックが尾を引いている。喧嘩の詳細は伏せるけれど、結婚前の男女においてはよくあるすれ違いだろうと思う。

2記事目にして恋愛という大きなテーマを扱うのも気が引けるが、せっかくそういうタイミングなので、あえて今彼を好きな理由や恋愛に関する考察を記しておく。世界中に向けて公開する記事にすることで、自分の気持ちを整理したいのもある。つまり大体自分のためです。

彼の好きなところは説明できても、全て嘘くさい気がする

私たちは約3年付き合って婚約するに至ったのだが、相手の性格や揉めやすいポイントは1年経った時点で大体わかったので、私は1年経つ頃には結婚するならこの人だと決めていた。というか、私のような面倒な人間を受け入れられる器の大きい人はなかなかいないと思う。

ではなぜ約3年付き合ってから婚約に至ったのか。彼氏側の結婚する決心がついたのが3年目だったからだ。結婚の決心がつくまでのスピードには個人差があるので、特に相手を責める気持ちはない。けれど、まあ、待ちの姿勢で居続けるのはたまにしんどいこともあった。きっと相手を想う気持ちは私のほうが重いであろうことは自覚している。

とはいえ私は彼のことが好きだ。どこが好きか説明しろと言われたら、ざっと10個程度ならその場で話せるし、時間があればもっと話せる。もちろんそんな惚気話に興味のある人はあまりいないと思うのでここでは割愛する。

けれど、彼を好きな理由をいくら挙げても、それらは全て虚構のような気がするのだ。かつて彼氏相手に「あなたの好きなところをプレゼンします」と言ってプレゼンしたこともあるが、自分で言いながら嘘くさいなと思った。本心のはずなのに。

恋という感情に理由はない。理由は大体後向けでしかない

もはや哲学者が散々言ってそうな話ではあるけれど聞いてほしい。恋という感情には理由がない、と思う。私が彼と真剣にこの恋愛を3年して、たどり着いた結論だ。

もう少し正確にいうと、「相手を好きな理由はあっても大体後付けだから、そもそも恋という感情には理由がない」、と思っている。私が彼に好きなところをプレゼンしたときの嘘くさいような違和感は、これのせいだろう。理由と書きすぎてだんだんゲシュタルト崩壊してきた。

恋には理由がなくて脆いから、言葉で確かめる必要がある

恋愛というものはとにかく脆い。結婚と違って法的契約はしていないので、両者の合意のうえでのみ続いていく。形もないし、曖昧だし、一般的に恋愛におけるゴールと考えられる結婚が確約されている恋愛というものもほとんどない。

私は彼氏とマッチングアプリで出会って恋人になった。もし仮にこの恋が終わる日がきたとしても、私は「友達としてこれからもよろしく」とは言えないだろうと思っている。賛否が分かれそうだけれど、もしも別れるなら、もう一生会わない・連絡を取らないという覚悟で付き合ってきた。それぐらい嫌いになったら別れよう、ということではなく、生半可な気持ちで恋愛したくないと思ってきた。だからこれまでも今も真剣に恋愛をしていて、ひとまず今婚約するところまでたどり着いた。

「真剣な恋愛」とは、ただでさえ脆い恋愛を確かなものにする努力を怠らないことだと思っている。より解像度を上げていうと、「あなたを大事だと思っています」という気持ちを、言葉や態度などの全てを駆使して相手に伝えることだ。

私は、彼と付き合っている間じゅうずっと、とにかく後悔したくないと思っている。あのときこうしていれば、ああ言えばよかったと、たらればであとから後悔したくない、と。

だから特に意識してきたのは、言葉でしっかり相手への好意を伝えることだ。もちろん人によっては嫌がる人もいるので私の方法を鵜呑みにして実践するのはおすすめしない。けれどとにかく「あなたが好き」と言葉で頻繁に伝えてきた。なぜなら、私の好意が十分に伝わっていないせいで相手が不安になって恋愛が終わったり、浮気をされたりといったことがもし起こったら後悔するからだ。そんな状況は私の考える最大のバッドエンドでしかない。

恋は脆いので、恋愛中の人間は不安になりやすい。それもあって、言葉や態度で好意を伝えることを通して相手を不安にさせないようにも努めてきた。「この人、俺のこと本当に好きなんだろうか」という疑問を一ミリも抱かせたくなかった。それぐらい必死に彼を好きなのだろうと思う。

それと同時に、「好き」と伝え続けることは、私自身が相手への恋心を維持するために必要な儀式のようだとも感じている。伝えることで、自分自身にも問いかけて確かめていた。たった今好きと言ったけれど、本当の、心からの気持ちで言えているだろうか?と確認する作業でもあった。いつも120%で言えたわけではなかったけれど、それでも、いつも好きだと思う。大喧嘩をしたあとの今も。

いつまでも健康かつ元気でいてほしいと毎夜切実に祈っている

彼が外出する日の前夜はいつも、「電車が脱線したり、交通事故に遭ったりしませんように。無事に元気で帰って来られますように」と祈っている。冗談抜きで。重いと思われても仕方がないのかもしれないが、本当にいつも無事を祈っている。

ずっと健康で元気でいてほしいと思う、大事な人が増えた。とても幸せなことだと思う。もしかするとこれが人生の醍醐味なのかもしれない。

私は彼と出会うまで、人生が自分だけのものだった。自分のことしか考えなくていいぶん、とにかく人生を悲観していた。でも今は、自分と彼の人生の2つを考えるようになって、人生を悲観している場合ではなくなった。うつ病の症状が少しずつ落ち着いて人間らしい生活を送れるようになったのも、彼の存在があってこそだろう。2つ分の人生をどうやって良くしていこうか、という考え方になった。これは彼と出会う前の私にとっては劇的な良い変化に違いない。

このnoteを書いていたら割と本当に喧嘩のことがどうでもよくなってきた。彼には感謝しかない。今日も元気で笑っていてほしい。私がそばにいても、いなくても。

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