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世界を見るときの本質ってこれじゃないか?勉強、仕事、分析、人生に共通して使えそうな視点・考え方まとめ

このNoteでは個人的にこうやって世界を見ているよという視点、こうやって頭を働かせているよという思考法をまとめました。きっとどこかで言われているようなことの受け売りばかりですが、それを自分なりに解釈して自分の見方、価値観、思想?哲学?として1つのパッケージにしてみました。まだまだ未完成でフワッとしてはいますがご了承ください。

個人的には、今回まとめた視点や思考法は何をするにも共通して活かせるものだと思っています。勉強でも、仕事でも、普通に生きる上でも。きっとどこかで使えるし、自分は使いたいと思っているものです。(常に使っているとは言っていない。むしろ使えない)

30年後くらいに自分の価値観がどうなっているか検討も尽きませんが、ふむふむって軽く流して読んでもらえると嬉しいです。軽く見たい人はサブタイトルだけ読んでください。そろそろ本題入ります。

◆ 視点の持たせ方5つ

まずは世界を見るときの「視点」を色々考えてみたのですが、ざっとこの5つくらいにまとめられました。この5つの操作性を上げられる人が賢い人なんだろうなーって最近は思っているところです。(同時に複数使えたり、状況に応じて使い分けられたりってことです。ぶっちゃけそういう人に憧れているってのもあります)

ただ共通しているのは、視点を持つためにはある程度の慣れと時間的(and精神的)余裕が必要だと言うこと。目の前のことに日々追われてしまうと、ついつい見失いがちで使いにくくなる視点だということ。僕自身も熱くなりやすい性格で、ついつい見失いがちなので、出来る限り余裕をもって一歩引いた視点を持ち続けたいなあと思っているところです。

○ 1つ目:高いところから俯瞰する視点で大雑把に掴む(単純化と構造化)

これは色々なところで言われていることですね。
「俯瞰で見る」とか「高さを持つ」とか。それを踏まえて「全体を捉える」とか「全体の中での位置づけを考える」とか。

これをすることで観察対象・分析対象・日々の行動や仕事を「単純化」「構造化」して捉えられ、その対象についての理解が深まるって話だと思います。

対象の大雑把な全体像とその構造が取れると、
物事の背景、「ナンデ」が見えてくる。

理解が深まると、
課題や問題の本質・ボトルネックを掴みやすくなる。
仕事(勉強)に目的・意図を持ちやすくなり、目的からズレない。
価値観が相対化されやすくなる(目の前に見えているものが以外が見えるから何かを絶対視することがなくなってくる)。
より日々の行動が「近道」になりやすくなる。

割と良いことだらけな気がします。

僕のイメージとしては、俯瞰することは、目の前で道に迷っている人に「地図」を渡す感覚だと思っています。

目の前のことに追われ、何かを頑張り続けると、どうしても俯瞰する視点を欠きがち。そんな時は、みんな遠回りをしがち。(個人的には遠回り“も”重要なんじゃないかと思っています。積極的にするものではないけど、しても良いもの的な)見るべき場所とは違う場所を見がち。本質からズレてしまいがち。

そんな人に地図を渡して、こっちの道もあるよ、ゴールはこっちだよ、敵はこっちにいるよ、こっちが課題だよってガイドする。

図①

それが俯瞰の視点Aさんだと思っています。

自分のAさんは
・上から観察対象(自分含む)を見る
・更に上から…を繰り返しズームアウトしていく

・日本全体で考える

・宇宙規模で考える
って感じで、どんどんズームアウトして最後宇宙まで行きます。自分は宇宙以上に広い概念を知らないので、最後はここでストップさせています。

図②

ただ俯瞰で見ると言っても、どこの高さに視点を持つかは見る対象によって変えていくべきだと思います。ここの高さを自由自在に操れると、物事を色々なサイズ感で見られて、そしてどこを“全体”と捉えるかが変化していって面白い気がします。

ということで、視点の出発点は「俯瞰」でした。
どこを“全体”とするかを大雑把に考える。そして視点を意識的に上に持つことが鍵になりそうです。“全体”の中での構造を取って、背景を見つめて、論理のフローを可視化したら、もっと“本質”に近づける気がしました。

○ 2つ目:少し長い時間の中を自由に行き来し、世界を考える視点を持つ

これは1つ目のものに似ています。というか分ける必要なかったかも。
俯瞰すること。それを時間という概念で“も”やる。

目の前の“今”を生きる人間も、頭の中であれば色々な時間の長さを1つの単位にして物事を考えることが出来ます。

図③

今から1週間スパンとか、1か月スパンとか、10年後、100年後までとか。
受験が終わるまでとか、大学卒業するまでとか、30歳になるまでとか。
生まれてから小学生までとか、大学卒業後から死ぬまでとか。
旧石器時代とか、縄文時代とか、平安時代とか。

こうやって時間を1つの単位にする際、①今を含むもの②今を含まないものに分けられる気がします。物事を考えるとき、何かを分析するとき、自分を見るとき、仕事をするとき、多くの場合は①で考えると思います。

長期スパンで何かを考えるって時も①ですよね。何かの計画を立てるとか、企業の長期戦略を考えるとか、人生設計をするとか。僕のNoteの死ぬときから夢を考えるのも①になると思います。過去の背景から今の分析をするとか、失われた30年の原因を考えるとか。(要は一定スパンでナンデ・ドノヨウニを追い続ける)

大体“今”が出発点で、ゴールが遠い未来にある。
もしくは、“今”がゴールで、出発点が過去にある。

勿論、この長期スパンの目線はめちゃくちゃ大事だと思います。
最近は結構色々なところで言われていますよね。効率を過剰に求める現代社会へのアンチテーゼなのかな?と思う自分がいます。実際、短期的な効率(?)に目が眩んで、長期で見たら非効率なことをしている人は多い気がしますし。短い時間の中での変化に気を取られて、大局的な変化を追えないこともあるにはあるでしょう。

今から遠い未来を1つの単位にして、遠くを見つめる視点を持つ。
遠い過去から今までの連続性を考えて、分析する視点を持つ。

これも俯瞰(?)と呼べる気がします。

この視点が今回話したかった視点Bさんです。仕事をする、勉強をする、人生を考える、日々を生きるには十分すぎる視点だと思います。むしろ積極的にこの視点を使うべき。僕も使いこなしたい。どうしても、目の前のことばかり見てしまう。笑

でもその視点も時間軸の一部を見ているに過ぎないと最近は思えてきました。もっと色々な時代に視点を動かせると、②の視点を持てると、

世界にあふれた価値観も物差しも全て相対化出来るなと思えるようになりました。要は、今と別の時代との比較をしてみると良いのかなと。

もっと今以外の時代にも注目する。遠い未来とか。過去とか。

そして、過去や今を比較し、分析し、未来を「より良いもの」にしようとするのが重要なんじゃないかと思います。自分にとっても、自分の周りの人にとっても、人類にとっても。

今の価値観、今の物差し、今重要とされること、今必要とされることを頭に浮かべても、
「それ平安時代ならこうじゃね?」
「縄文時代で考えたらこうかもよ?」
って言われたら?

「まあ確かにそうかもだけど、屁理屈だよね」
って思うでしょう。

だって生きているのは“今”だから。
自分だって屁理屈なのは分かっています。

でも、そういう見方を意識的にしてあげたら?

今の価値観、今の物差し、今重要とされること、今必要とされること、
「スキル」とか「学力」とか「思考力」とか、
「給料」とか「人間力」とか、
「人はこうあるべき」とか「こうだとカッコいい」とか、
「こーゆー人は面白い」とか「使える人材だ」とか、

全部「たまたま」“今”だから評価されるものでしかないと分かります。
全部「たまたま」“今”の社会を生きる上で重要とされる物差しになっているに過ぎないと。

そう考えてみると、あなたの才能も性格も、それを生んだ遺伝子も環境も“たまたま”で、それが評価されるのもされないのも“たまたま”で。

そんな運にありふれた世界を生きていると思えば、何かの成功も失敗も、たまたま存在する物差し上の、たまたま評価されたものと思え、過度に奢ることも、卑屈になることも減る気がします。過度に見下すことも、持ち上げることもなくなる気がします。

自分も知らず知らずのうちに、1つの物差しに囚われてしまいます。今でもその癖は抜けないですし、変にプライドも高いですし、欠点だらけです。プライドが傷つくとすぐカッとしちゃいますし。熱くもなりやすいです。頑張って下を探したくなりますし、上は出来るだけ見たくないと思っちゃいます。

でも冷静に考えたら、
その物差しの存在も、
貴方の存在も、
貴方の特性も、
世界の存在自体も、
運にありふれたもので。
自分もそんな世界のゲームのプレイヤーで。

そう再認識したら、今まで囚われていたものが、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくるというか、ちっぽけなものに感じちゃいます。

そしてもっと今というゲームを生きている感覚になれると思います。

ゲームだから、思う存分、成功を喜び失敗に暮れることが出来て、
どうやったらその物差し上、社会、世界で上手くいくのか、
純粋に考え、楽しめる気がします。

その方が心が広くなり、優しくなれるんじゃないか、
その方が生きやすいんじゃないか、とも思います。

今を含む広い時間を1つに見つめる視点、過去を1つにまとめて今と比較する視点。これらは、時間の中を自由に行き来し、時間に一定の幅を持たせて世界を考える視点として要約できると思います。見る時間の幅も場所(?)も自由に調整する。

そうやって異なる時間の世界を俯瞰して、“今”を分析し、捉える。
そしてより良い未来を作ろうとすることが重要なんじゃないかって気がしています。

○ 2つ目補足:1つの物差しは二元論ではなくグラデーションで見ようとする

先ほど、物差しの話が出ましたが、自分も含めて人間は多くの物差しを二元論で捉える傾向にある気がします。なんでも白黒つけたがったり。良い悪いって。上手い下手って。ガチ勢とニワカとか。右翼左翼とか。

解釈が簡単だからそうなるのも分かります。自分もすぐ二元論使っちゃうし。でも、物差しはそんな単純じゃなくて、グラデーションだよねって認識するのが重要な気がします。まあ2つでも3つでも4つでもなくて、数えきれないくらいあるよねってことです。

ガチ勢って言ってもガチ勢度合いも人によって変わりますし。
そのガチ勢である背景とか理由も考えたら一人一人が違いますし。

でも世界がグラデーションだって当たり前の事実を認識出来れば、
逆に、簡易的に、意識的に二元論で物事を考えたりも出来ると思います。

グラデーションも二元論も使い分けて世界を認識できると良いのかもしれません。

○ 3つ目:知識と想像力の幅を持たせ、複数の角度から1つのモノを見てみる

次は勉強するとき、1つのものに取り組むとき、1つのものを見るときに重要だと思うこと。それは複数から観察すること。複数から読み取ることです。

1つ目、2つ目の話はかなり視野を広く取った話をしていましたが、ここからはどちらかと言うとミクロに掘り起こしていくイメージの話になります。

視点を1つだけに限定するのでなく、
360°カメラでどこからでも対象を観察できるみたいなイメージ

図④

その方が、その対象について詳しく理解できそうでしょ?ただの絵と、360°から観察できる3Dの模型だったら、後者の方が詳しく見られるでしょ?

勉強だったら、同じことについての複数の教科書、参考書、単語帳を読むイメージ。なぜか別の教科書を読んでみて、問題集を解いて、過去問に戻ったら点数が上がっていたあの感覚。同じことについて別の形で説明をしてくれるので、解像度が上がるあの感覚。

それを勉強だけでなく、他のことに取り組む際にも使えるんじゃないかって話です。

この視点の多さは、①知識の幅②他人の視点を数多く取り入れる想像力で変わってくる気がします。個人的には多い方が、その分だけ対象についての解像度も上がるし、より「正しそう」な選択を取れる気がします。

まずは知識について。

例えば、「人間」についての研究を考えてみると、社会心理学から見たり、認知の歪みを考えてみたり、進化心理学や進化生物学から考えてみたり、考古学から考えたり、色々な角度から考察出来ると思います。

1つの学問しか知らない人よりも、複数をかじっている人の方が、複数の視点から論の妥当性を検証できると思います。(当然、スペシャリストの存在はめちゃくちゃ重要なわけですが、大多数の人にとっては複数の目線で見る方が重要なのかなあって)

こうやって知識の幅を持っていると、より正解に近そうなものを選択できる気がします。そして重要な部分が何なのかを理解できる気がします。あくまで気がするだけだけど。

知らないのと知っていたのでは大きく違うな、と感じる経験は誰しもあるはずです。海外に行ってみたら○○って思えた、とか。日本が○○に見えた、とかも知識の幅が広がったことによる「読み取りの変化」だと思います。

仕事でも、○○の仕事がここに役立ったとか、○○から転職してきた経験がここで役立ったとか、大学時代の○○がここで役立ったとか、色々あると思います。これも獲得してきた知識により、その対象について他の人とは別の見え方をしていた、別の取り組み方で出来たってことの証拠でもあると思います。

そして想像力。

人は、信じたいように信じますし、人生の積み重ねで価値観を作り、知識や経験を蓄え、直感とデータを駆使して意思決定をしていきます。当たり前ですが。積み重ねの上に出来た、一人一人の物の見方、物の信じ方を、こちらが想像できると良いのかなあと思います。

友達の視点、親の視点、同僚の視点、上司の視点…色々あると思います。その視点に立ってみると、その言動や意思決定の理由が少しは分かるかもしれません。その評価や価値観や生き方が少しだけ分かるかもしれません。そこが分かれば、説得力を増したり、心に寄り添えたりするかもしれません。

そうすると、仕事も人生も自分の思う通りに行きやすいかもしれません。
何かを他の人の立場から考えること、見ることが出来れば、自分にとっても他人にとってもより良い選択が取れる気がします。

知識と想像力の相互作用もある気がします。色々と知識を獲得することで、今までは想像できなかった部分まで思考を巡らせられるからです。

ということで、知識、想像力で複数の視点を持つことで、対象の解像度を上げていけると良いのかなという話でした。

○ 3つ目補足:逆に世界に複数のモノ・軸があること(複雑性)を認識する

簡単な補足です。

世界中にはいろいろなものがあるよね。色々な物差しがあるよね。世界は色々なものが絡まりあって出来ているよね。難しいよね。ってだけです。

シンプルに見えて、複雑。
簡単で難しい。
狭い広い世界です。(ミセスリスペクト)

1つのものを色々な視点から見ることを考えるだけでなく、
1つの視点から色々なものを見てみることも重要なのかもしれません。

世界があまりにも難しすぎます…

○ 4つ目:解像度を上げるため、1つのモノをどんどん深堀していく視点(少し細かく構造化)

ミクロに掘り下げていく話2つ目です。さっきは色々な角度から見ようって話でした。今回は更に1つの物に近づいてミクロに見ていく視点なのかなと思います。

1つの対象について、考えるとき、取り組むとき、勉強するときに、その解像度をズームインして上げていくイメージです。今まで俯瞰で見ていた視点を、近づけてあげて、そのズームインした対象を更に細かく論理のツリーで分解して見ていく感じです。細かい部分を見て、全体の中での位置づけを考えつつも、細かい部分を単体で理解する的な。そうすると画素数が上がって物事がクリアになる的な。

図⑤:ズームイン?

んー説明が難しい。

これに関しては自分の中でも感覚でしかなくて、まだNoteに書けるほど言語化が上手くいっていません…悔しいな。でも細かく掘っていく時の視点は今までの俯瞰するものとは大きく違うことだけは確かで、使い分けている自分がいるのも確かです。

意識的に出来ることとしては、
・具体と抽象を往復すること
・今はどのレベルにミクロなのかを意識すること(抽象度はどのくらいか、とか?)
ですかね。

世界史の知識を例に話してみます。19世紀イギリスを例にしましょう。

帝国主義が大体的に始まる前後の話を“1873年の大不況”と“ディズレーリの首相就任”とで大雑把に覚えるのはマクロで俯瞰の部分。その後の解像度を上げる細かい話は「ズームイン」して考えていきます。ディズレーリの話で言うと、スエズ運河買収やインド帝国成立の知識を覚えるって感じです。そしてスエズ運河買収に関連する細かいエピソードや知識、インド帝国に関連する細かい知識は更に細かい枝葉と“認識”して覚えていきます。これがどのレベルにミクロなのか意識すること、抽象度を考えることの意味です。

自分が勉強や仕事をするとき、生活をするときは「目の前の事」に取り組むことになるので。その目の前の対象を全体の中で位置づけて、対象自体を細かく分析していくことも重要な視点になると思います。

また、対象の細かい部分まで見るって話は「感覚ベースの情報収集」でも出来ることだと思います。それは5つ目の視点に繋がる話になります。

○ 5つ目:1人称視点で自分の身体を使って直感的に情報収集をする

なんだか今までの4つは、全然現実のない視点というか、本当に大事なの?出来るの?みたいな視点ですよね。正直。大体、4つの視点が綺麗に別れているって感じでもないですしね。4つの話を要約すると、時空間の中で視点を自由自在に動かして、色々なことを考えてみるってことですからね。広く見て、遠くから見て、上から見て、近づいて見て、掘って見るみたいな。普通に無理でしょって感じです。自分もそんな視点ずっと持っているわけではないです。

じゃあ殆どの時間は何で生きているかって、直感というか、フィーリングです。

自分の身体と脳を使った、直感的な世界の解釈。咀嚼。自分の目と、それ以外の感覚を研ぎ澄まして得られる情報と、今までの人生で蓄積された情報から意思決定をしているはずです。

なんか違うんだよな、とか。
なんか胡散臭いんだよな、とか。(この文章のことかもとか思わないで)
なんか本質的じゃない気がする、とか。
なんか外れる気がする、とか。

全部、直感。全部、1人称の自分の感覚。これ“も”重要にしたい視点です。
今までの人生経験と1人称の視点から得られる情報も立派な情報ですしね。

いつも論理的に頭を働かせ、色々な視点を持とうとする自分と、これらの身体性の両軸を大事に生きていきたいと思っている次第です。

◆ 頭の働かせ方3つ

○ 具体と抽象の話

サブタイトルで分かりますよね。そこら中で言われている話です。
そして視点4つ目で話した部分と被ります。

自分のやっている(つもりな)ことは
・具体と抽象の往復運動で物事の理解を上げる
・今はどの程度の抽象度で議論をしているのかを把握する
・どの抽象度の議論をするべきかを考え、抽象度の高い部分で網羅性を見る
・意識的に具体的なものを抽象化して、物事の本質(自分は幹って呼んでいます笑)を掴む、そこから枝葉のように具体を綺麗に分けていく

とかですかね。

特に具体と抽象を木の幹・枝・葉として捉えるようにすると、幹の理解から枝葉の感覚を掴めるようになった気がします。何かを覚えるときも、この幹の重要性を認識するのが出発点なのかなと。大体のことは具体から入りますから、何が本質なんだろう?幹なんだろう?抽象化するとどうなるんだろう?って頭を働かせると、物事の全体像が掴みやすい気がしました。

図⑥:具体と抽象の木

具体を抽象化し、再び具体に別の切り方で落とし込むってことも重要な気がしますが、全く習得が出来ません。笑笑

この具体と抽象の操作は、意識的にやることで上手くなる気がします。まだまだ下手なので、もっともっと上手くなりたいです。

○ 0ベースと仮説思考の話

自分は思考のプロってわけではないので、これらについて詳しく理解しているわけではないことは念頭に置いていただきたいです。

ただ、何かを考える際、思考をする際にこれら2つを両輪として回していくべきだろうってことは感じています。多分社会人になって仕事をするときも、生きていて意思決定をするときも、座学で勉強をするときも両輪にするべき思考なんじゃないかと思います。

全てのデータを取って、選択肢を吟味して、“正しそう”な意思決定をしようとすると信じられないくらいの時間がかかります。そこで重要になりそうなのが経験や知識やデータに基づいた仮説思考なのかなと思います。

とにかくパッと仮説を立て、検証し、データを獲得し、更なる仮説を立てて意思決定をしていく。仮説が合っているか間違っているかはやってみないと分かりませんが、全てのデータを取って覚えた結果の行動も正しいかどうか、成功するかどうか分かりませんから。ある程度の所でサクッと仮説を立てて、とにかくやってみることが何事においても重要なのかなと。常に“仮説”を脳内で立てて、検証する形で日々の生活を送ったり仕事をしたりすると良いのではないかと感じます。

その一方で、0を大事にしたい気持ちもあります。何も知らない、何も出来ない、日頃の経験や価値観から一歩抜け出して、頭を空にしてみる。バイアスから抜け出して考えてみる。この0ベースの思考をすることで、今まででは出てこないぶっ飛んだ発想、革命的なアイデアも出てくるかもな、と思います。仮説思考だけでは限界がある部分をこれで補えるはずです。特に従来の伝統や慣習を打破しないとキツイ…みたいな状況では有用なんじゃないかと(伝統や慣習が大事じゃないってことじゃないですよ!)。

過去の経験やデータをベースに仮説検証を繰り返し、同時に頭を空にして考える自分も添える。こんなことが出来ると良いのかなと思います。

○ ナゼ・ドノヨウニ・ナンノタメニを考えて目的意識を失わないようにする

これはサブタイトルの通りです。

なんでNoteを書いているのか。
なんで部活をやっていたのか。
なんで勉強をしているのか
なんのために勉強をしているのか。

ちょくちょく考えて、最初に掲げた目的から逸れないようにすると、日々が楽しく、彩られていくのかなと。そして自分自身も成長しやすくなるのかなと思います。

何も、「一度決めたことは貫き通せ!」とか「ボーっと生きるな!」とか言うとわけではありません。時には目的が変わることも、何かを途中で辞めることも、自分自身が立ち止まることも、ボーっとすることも重要だと思います。

ここで言いたいことは、目的意識を持てると、意味もなく遠回りすることが減るので、単純に成長スピードも上がるんじゃない?ってことです。(遠回りは楽しいし、逆に意味がある時もあると思いますが、無目的に無意識に遠回りをしてもなあって気がしちゃいます)

何よりも、本質から逸れにくくなりますし、何をするにしても効果的になるはずです。目的が何だったのか、人は(自分も)すぐ忘れてしまいますから。

そのためにも“俯瞰”の視点を取り出して、思い出せると良いかもですね。

◆ おわりに

ぶっちゃけ、全部読んでも何を言ってるんだか分からないところが多い気がします。

理由は簡単で、まだ自分自身でも思考と視点が整理しきれていないからです。思考とか視点って物凄く抽象的な話で、自分レベルの脳だと処理が追い付かないんですよね…だからぐちゃぐちゃしていて、分かりにくいと。今の自分にはこれが限界です…でもNote全然更新してないし、もう今はこれが限界って諦めて世に出すことにします。

こんな難しく(?)考えすぎなくても良いんじゃないかって説もあります。
まあでもボヤっとした自分の視点や思考に関する感覚を、他のNoteを色々と書く前に言葉にしておきたかったので、今回これだけ長々と書いてみました。色々なことを学び、経験してから、もう一度整理してみようと思います。未来の自分がこのNoteを見たらどう感じるのか、楽しみです。

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