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17才でたまり場生活~19才で上京

どうも、まなぶです!
前回、僕が中学校を卒業したのち、食費込み日給2000円という鬼のような低賃金で働き、つらい日々を送った、という話しをしましたが、、、
その後、さらにつらい人生が待ち受けているとは思いもよりませんでした。


父親の元で過酷な低賃金労働に嫌気がさし、やっとの思いで自由を手に入れた僕でしたが、実家を拠点に色々とバイトをしてみるも長続きせず、1年ほどモヤモヤしていました。


僕は中学生時代、父の仕事の都合や学校の強制(グレてたのは察してください(-_-))で3回転校していて、合計4つの中学校に通ったのですが、最後に卒業した同級生の友達を頼りに札幌の実家から50㎞ほど離れた地に移住してみることにしました。


寝床をどうしたのかというと、とある溜まり場にしました。
母親しかいない片親の同級生がいて、一軒家に住んでいたのですが、母親が大阪に出張となり、一人で住んでいたので溜まり場と化してる家があったのです。


その一軒家では常時5、6人が寝泊まりしながら、高校へ通う学生もいれば、バイトにいく人もいれば、1日中ゲームしてる人もいて、多種多様。
共通項はみな同い年ってだけ。
でも仲だけは良かった。


週末には友達が友達をよぶ感じで15人以上集まることもしばしば、
夜中に相撲大会などして、近所から騒音の苦情きて警察によく「お前らうるせーぞ!!」と怒られたのもいい思い出です。


僕も溜まり場からガソリンスタンドに働きに行ったりもしましたが、なんせ給料日になると全員が「おごってくれ~」とたかってくるのと、近所の弁当屋で『ツケ』で弁当買ったりしてたので、その清算をしたりと、2、3日後には一文無しになっていました。


ひどい時にはみんなで大掃除を始めて、なんとか小銭を探しあてて、やっと集めた80円でインスタントラーメンを買い、4人で回し食いしたり、、、
「俺たち、いつまでこんな生活続けるんだ?」
みんながそう思ってました。


そんなある日、溜まり場に土足でづかづか入り込んできたコワモテのオッサンがいました。
「おやっさん!どうしたんですか?」
溜まり場のリーダー的存在でいわゆる反社の準構成員をやっていた彼がたずねました。
「来週3人東京に行け!」
そう言って帰って行きました。



おいおい、急だな。どうすんだよ。
東京か行ってみたい気もするが怖い気もする。
ただ一つ言えることは『誰かしら3人行かないと、リーダーがボコられる』
ということだけだった。



みんなで話し合った結果、リーダー、僕、サックの3人が東京に行って仕事をすることとなった。
3人とも同い年だったが、サックは偏差値53の一般的な高校に通う、うちら落ちこぼれからすれば頭のいい奴だった。



「しかし、いいのか?サック、3年の2学期で高校辞めちゃって、、、」
「いや~、なんの刺激もなくて、つまんないんだよね」
あぁ、親の気持ちとかは関係ないんだ、我が人生を行くんだな、と思った。



しょうがないから行くリーダー
刺激が欲しくて行くサック
どっちみち金ないし、面白そうだから行く僕



19才という子供に毛が生えた程度の3人を待ち受けていた、
東京という街、放り込まれた職場はどんなものだったのか、、、


~つづく~

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