アメリカ日記

2022年を振り返るにはまだ早いですが、
おそらくそこまで大きな出来事はないと見られる、いや大きな出来事は避けていると言って良い生活なのですが(理由は色々あるが、大きくひっくるめて健康のためです)

今年何が1番大きなイベントだったかなとふと思うとアメリカに行ったことでした。

働いて3年目になるもう外資と言うしかないほど海外は大きく日本支社が小さい会社。
コロナ前は毎年おこなっていた普段世界でリモートで一緒に働くみんなが直接会う集まる、チームオフサイト、というイベントが6月にあった。

ボストンにある本社のオフィスに3日ほど、
そのあとニューヨークで一晩過ごし、
世界で同部署で働く人たちが集まるオフサイトイベントのためサンディエゴで一週間過ごし、
そのあと僕が毎日話すアジアパシフィックのチームでカリフォルニアを堪能するという

過酷であり楽しい旅。

アメリカには数年前、オーストラリアに留学へ旅立つ前に、高校時代野球を一緒にした同期がアメリカで野球をしていた頃訪れて以来だった。

自動車免許では二俣川と二子玉川を間違えて試験日に全然違うところに行き着くような僕ですが、
違う国へはどう頑張って間違えてもいけないことと旅費を全カバーしてくれている会社へ迷惑はかけられないという責任感の元、
なんとか空港で握ったNRT to Bostonのチケット。

経由地のデトロイトで日本からの飛行機を降り、
アメリカの空港のサイズに驚きながら、
国内線のボストン行きに乗った。
飛行機内で選んだ映画 [The Worst Person In The World 私は最悪] はオスロを舞台した恋愛映画で新しい人生を進む女性のストーリー。

見始めてから少しばかりセックスシーンがあり、
うーん見るのをやめようかなーと思ったが面倒だから見続けるとなんとものすごい数のセックスシーン。
暗い中の機体で煌々とひかる僕の目の前で繰り広げられる3回目ぐらいのセックスシーンで流石に隣や周りに迷惑かと思い見るのをやめようと思ったが、
途中でやめたら周りにお子ちゃまイメージを持たれるんじゃないかと変な男気が出てきて、
ここは男として堂々とみてやると意気込んで続けたらものすごい後悔するほどの数のエッチシーン。エッチしてはエッチを重ね、もう別れると決めた彼ともう一度エッチをして、
新しく付き合うと決めた違う男とエッチをし、
何故が町中が主人公にとって止まって見え、
町中を走るという全く意味のわからない映画。

隣に座っていた明らかに覗き見をしていたアメリカ人が「あの主人公はクレイジーだったよな」と、俺のこのどこに持っていけば良いか分からない気持ちを分かってくれるのかマイフレンド。

やはりちょっとまずいかなと感じたらすぐに見るのをやめるべきだったと、どこか人生について学べた。その代償としての恥ずかしさを乗り換え男としてもこれからどんな動画でもどうどうと見れる。

そんな自信ももって (どんな自信やねん)到着したのがボストン。マサチューセッツ。

ボストン

飛行機を降りると既に夜中である。
空港について調べなかった僕はタクシー乗り場や市街地行きのバスなどもわからなかったが、
なんとかタクシーを見つけることができた。

車線なんてあってないような運転の荒さや
横浜銀行のVISAカードで世界でキャッシュが引き出せることに感動。Visaすげぇ。
コロナもあってか夜9時で全くお店がない現状、
ハッパの匂いがする公園などを体験し、
とりあえずホテルのジムでトレーニング。
初日はなんとか無事に済んだ。

翌朝はボストンのオフィスの近くにあるカフェで一人で朝食。キッチンの目の前のなっがいカウンター席の1番奥に座ると、ラテン系の兄さんたちが機関車の石炭のように、止めどなく焼くスイートポテトの量や、客それぞれの声の大きさ、ウェイトレスがどの注文でも大丈夫?と声をかけに来てくれるなど、

まずい


コミュニケーションの量が全然違う

下北沢でゆっくりしていた俺は気合いを入れないと絶対あかん!と。


朝食を終えるとその店の前でシンガポールの同僚と待ち合わせ。
店の前で立っていると
社内会議を携帯でしながら歩くアメリカ人の先輩(アメリカニキ)が通り過ぎ、
うおおおおとなり、
リモート会議越しのみんなも、
うおおおおとなり、
ハグをしている我々の場所に部署のトップも何故か歩いてきて、
うおおおおとなり、
シンガポールの同僚もそこに合流するところ
という世界が一気に縮んだ感動は、コロナが終わるだけでこんなに簡単に会えるなんてと、どこか違和感すらもあるなんとも言い表せない感覚と共に今でも忘れらない。

三年一緒にリモートで働き続けてようやく会えたがなぜかボストンにいるから当たり前だなと思ってもなぜか不思議な感じがした。

そこからは社内で目立つために買った下北沢のシャツとズボンもうまく行き、日本好きなアメリカニキからは、
そのパジャマはシモキタで買ったのか!
と興奮していただいた。

いつも日本の夜中に参加しているミーティングにボストンのオフィスから朝参加し、
昼食では、頼んだ肉の好きな焼き具合を聞かれ、レア(生)で、と1発ボケをかましうまく行き、
(日本人はなんでも生で食べると有名なのだ)

その夜はボストンのバスケットボールチームのセルティックスがシーズンの決勝に進んでいたということでみんなが地元のバーで飲んでいる中、
僕は会社の中でもトップレベルに大きなクライアントの日本部署に説明するためにアメリカからミーティングに参加。

ミーティングが終わるとすぐさままたシモキタパジャマに着替え、
呑みに参加すると、
ハイになるものも体験したり、
港沿いのレストランや、
シンガポールの同僚2人から
マコは会計士は好きか?
というアジアレベルの質問で、特になんでも良い僕は

うん、まぁ良いんじゃない

と言ったら、ニヤニヤしながら

お前に良い女がいる

と言われ、
紹介された綺麗な女性だったが、
そうゆう感じにセットアップされたら相手に申し訳なくなる僕は何も話せず気まずくなってむしろ完全にマイナスイメージで終わった。

酔った夜のTaco Bellは朝方の吉野家と同じなんだと。みんなこうゆうの必要なんだなと。

最終日のお昼には、
その前の日にニューヨークにいた社長が、
アジアから来た我々三人に会うためにわざわざ来てくれて、

「これが僕が育ったボストンで1番好きなドーナッツだ」と、この世で1番甘い物体も持ってきてくれ、写真も一緒に撮ったのは素晴らしい思い出である。

グループ財務のトップや人事のトップにもゴマをすりすり。

ボストンオフィス恒例、誰かに呼ばれ、何かを開けると、スミノフの瓶があり、275mlのやつ。
片膝をついて飲まないといけない、
という強引なノリにも完全にハメられ一気飲み。

最後の夜もシンガポールの同僚3人とスモーキング。元々はある1人の上司の元で働いていたインターンだった3人が、今では昇格してコロナ禍を生き抜き、1人は結婚まで考えている。
六月でも夜は肌寒い中で転職や将来の話をしたと思えば、すぐ僕に合う女の話をする。
そんな時間がゆっくりで止まったような感覚になる夜から目が覚めると、
午前七時にはスーツケースを転がしてボストンの駅に向かっていた。

ボストンで撮った中で1番好きな写真
カメラを構えているインドネシア人

ニューヨーク

酔いが冷めない中で土曜の早朝に電車で移動したニューヨーク。
なんで電車内のトイレの鍵が閉まらんのだ!
大をしていたら電車の揺れで勝手にゆっくり開き出すドアに、社会の窓よりもものすごいものが開き出してしまっていると感じながら、
This is America.

一々サイズが大きいアメリカではトイレも大きくドアに手が届かない。

ズボンを下ろして座っている自分の前で
無情に開き閉まるドアを見て、
俺って以外とMなのかな、
と、
落ち着いてる場合ちゃうわ!
なんとか大をすませて席に戻り、
窓際に座ると砂糖しか食ってねーのかって感じでデカい白人越しに見える外の景色は段々と僕が想像していたニューヨークになってきた。

ニューヨーク、マンハッタンと言えば昔両親が出会った場所であり、結婚した場所であり、兄が着床した場所である。もちろん兄が着床するまでもその後も色々なストーリーがあるわけだが、
This is America. 

事あるごとに語られる両親からの楽しく、危ないストーリー。僕が小さい頃両親がよく言っていた
of course!
だったり、
Amazing !
などが発せられるであろう世界。
how are you?の意味が違う世界。
ポケットにいきなり手を突っ込まれ、その人の手が大きすぎて財布と一緒にズボンの生地まで持っていかれてそのまま警察署に行ったら爆笑され自分も爆笑せざるを得ない世界。

そして何より僕が好きなラップミュージックの芸術的作品が出てきたのが場所は細く別れるが

このニューヨークである。
NYCである。

Bigges and Smalls 
JayZ
Nas
Wu Tang Clan
最近では Joey Bada$$など
僕の中では近代文学を学べるアーティストである。そしてその文学が生まれた世界である。

電車から降りるとまさにニューヨーク!
天候に恵まれ高いビルの並びが青い空をバックにより綺麗に伸びて見える。
道は汚いが身なりは綺麗。
人は早く動くが車は全く動かない。


とりあえずピザを食べ、
落ち着こうという事で
クイーンズの宿で日本人のインターン生と同期と合流。

夕方にはYouTubeの動画などでよく見る地下鉄で移動し
両親が昔住んでいたアパートや、
タイムズスクエア、
有名なファーストフードなど、
ある程度有名何処も行けた。
ここで初めてアジアパシフィックのチームの皆と会えたこともあり、またその人達の友達も集まり、

どこか、

「世界の皆が集まる場所」

なんだなと感じた。

両親がいた時間と比べると本当に一瞬でしたが忙しい部分は少し感じることができました。
感想は



臭い


死ぬほど臭い場所が多い


誰が住みたいねん


道端で完全にハイになって突っ立って小便垂らしてるおっさん誰やねん。

誰か救ってあげられないのか。
This is America.

サンディエゴ

そのニューヨークでの一晩も、もちろん飲み、
なんと宿に帰ったのが深夜2時、宿でチーム七人でシャワーを順番に浴びて、寝て、
起きるのが朝6時というスケジュールで
空港に行き、国内線に乗ることに。

国内線ではアメリカに来た時見た映画の反省を踏まえサッカーの試合を見た。

ものすごい揺れで六時間は全く寝ることが出来ず完全に身体が疲弊。

飛行機が着陸し、降りたところでなんとアクシデント。

シンガポールの同期のキャリーバックが荷物レーンに見当たらないのである。
係員に連絡すると、なんと荷物は何故がニューヨークに留まっているらしい。
そこから特別届けてはくれないらしい。

幸い仕事のパソコンなどは別バックだったらしく大丈夫だが、やはり旅には何かあるもんだと。
自分もしっかりしよう。と思いつつ、どでかい空港で爆睡。

そうこうしていると同じ日の同じような時間帯に空港に着いたイギリス人とアメリカ人が合流。

そこからオフサイトイベント中に一週間借りる車の2台でサンディエゴに到着しもちろん食べるのはメキシカンである。

オフサイトイベントは、
サンディエゴのラ・ホーヤという海岸沿いに大きな宿舎を計三つ借り、そのうちの一つに日中はみんなで集まる。

オフサイトで何をするのかというと、
グローバルなチーム内での知識の共有・共通認識、戦略の考察や今後の方向性を決めることにある。しかし振り返って何が1番大切だったかというとやはりコミュニケーションである。
オフサイトに集まった25人くらいの中で日本人は3人。シンガポール人は4人。ヨーロッパからは3人。他アメリカ国内から集まる中で、
本当にそれぞれの皆の性格や面白さが見えて、そして僕の楽しみ方も皆が分かってくれたみたいで、その後のコミュニケーションや親密度がまるで別レベルになった。

朝9時からセッションは始まり1日1日にテーマがある。例えば初日は、決済業界とネットワークについての基本をもう一度学び、当社が今どの位置にあるのかを考える。

2日目は、我々が売る先のセグメントごとの分析とマーケティング。

など、留学時代を思い出すほどのグローバルな環境と学びの姿勢の中で、留学時代よりも他の新人の日本人のために自分が学んでいると感じたことや、
入社した当初はチーム内での自己紹介も緊張しまくりだったが今では勝手に自信満々に発言が出来る様になったことが留学時代よりも成長していると感じた。

ヨーロッパ人は足を組むともっと足が長く見える!

1番留学時代と違うことは、
毎日お昼の12時になる頃、僕たちがまじめに議論している後ろで、酒が冷蔵庫に大量に運ばれてくることだった。
そしてその冷蔵庫が夜が明けるまでに空になっていくことだった。

実はコロナ前に当部署の成績を救ったのが日本のマーケットだった。
ニセコの宿泊施設の顧客を数社とっただけで海外からの決済の数の膨大差に当時15人にも満たないチームは驚いた。
そのポテンシャルを見て僕は日本人のインターンとして雇われコロナが起き、新規契約の実績を築き上げては収益はほぼゼロという現状。
それでもこの空白の2年間で日本のマーケットを信じてくれた上司やアメリカのトップには感謝しても仕切れないのだが、
日本チームのファンを増やすためには、ゆっても英語が最強ではない能力でもやはり人気になるに越したことはないと気合を入れていたがそんな必要は一切なかった。

初日の朝には、グループの法務のトップ(CLO)がオフサイトの宿に訪れた瞬間に、

Here you go Mako

と投げられたユニホームを受け取ると
会社の皆が好きなボストンレッドソックスの、年季が入った松坂のユニホームを貰い、
それを着るとめちゃくちゃ盛り上がった。

2日目のチームビルディングの一環でみんなでラ・ホーヤの海をカヤッキングでは、なんとか向かってくる波を超え、一息ついていると
いきなり始まるラ・ホーヤ海戦

スティーブ・ジョブズと仕事をしたことがあるApple Payを作った人 (業務執行取締役) 
VS 
イギリス人の部署ではシステム統合責任者の

会社が上場したことで資産額がもう想像できないぐらいになったであろう大の大人同士が海の水をパドルで真剣に掛け合う世紀の一戦。(ちなみにこのラ・ホーヤはapple payを作った人が学生の時に学校に行かずに通い飛び込みやサーフィンをしていた本拠地である。)

敵地に乗り込むイギリス艦隊。

平和に漕いでいた僕とアメリカ人のおじさんの船。

なぜか巻き込まれる我が船。

イギリス艦隊に攻撃される我が船。

反撃する我が船。

乗っていた2人のパドルが何故が我が船に引っかかった我が船。

まずいと思った我が船。

ラ・ホーヤのど真ん中でひっくり返った我が船。

全員に笑われる我が船。

ちなみに、そのあとapple payとエゲレスもラ・ホーヤにしっかり飲み込まれていた(全員アホ)

3日目にはボストンレッドソックス対エンジェルスの試合があり大谷翔平の試合を見ることができ、

4日目には初めて行った飲みゲーム、Beer Pong、プラスチックカップを五つ三角形に起き、ピンポン玉をノーバンで入れたらそのカップを相手が飲むというゲーム。ワンバンでも良いが相手が弾くことができる。ノーバンは弾けない。

僕とアメリカの新しく入った営業のブルックスはなんとも言えないイケイケの雰囲気で勝ち上がり敵なしの成績を見せ、

5日目には初めて行った飲みゲーム Flip Cup。
テーブル越しに5人同士が一列に並び向かい合い、
1人目がカップに入っている酒を飲んでからそのカップを弾きテーブルにカップの開いている方が下で立てば隣の人が同じように繰り返す、
罰ゲームではなく、とりあえず呑みから始まる呑みゲーム。
勝ったチームが負けチームの1人を指名し、その人は除外され、負けチームは次の試合フリップするのが1番上手い人なしで、しかもその人の分誰かが飲んで戦わないといけないルーティーンに入る。

イギリス人の普段温厚で真面目、図体がでかいがために飲みでは最強の人が酔っているぐらい飲んでいるので、皆死ぬほど酔っ払っているわけだが、
そのイギリス人が5分前に愛くるしくビデオ越しで話していたチームメイトの赤ちゃんに、
再度全く同じ内容を最高に愛くるしく繰り返し話続けていたこととにシンガポールの同僚と腹を抱えて笑ったこと。

彼が酔いすぎて僕の名前をMakaと呼んでいたこと、
スペイン人の女性が呑みゲームでめちゃくちゃ強いこと、なんと一人で5人相手にFlip Cupで勝ったことは伝説である。
Flip Cupで日本人の女の子が最強すぎてブーイングが起きたこと。
などを語り老ける暇もなく気づいたらオフサイトの後にAPACのチームと旅をするLA行きの電車に乗っていた。

ロサンゼルス

ロサンゼルス行きの電車でもトイレのドアは閉まらない。
This is America.

流石にAPACチームのみんなも疲弊し寝ている中で、イギリス人の同僚は途中でお別れとなり、厚い握手を交わした。

大きな一軒家の宿に着くとそこから本当に楽しい5日間を過ごした。

大きなショッピングモールで平気で20万ぐらい使って両手に袋を抱えるシンガポール人は凄いなーとカルチャーギャップを感じ、

夜は日本のアニメBeastarを見ながら爆笑したり、なんとアメリカの吉野家はそんなにまずくないことを知ったり

何よりみんなで普通に時間を過ごせることが楽しすぎる。

行き過ぎたのが3日目の夜。
キューブ(何とは言わないが)を一つで良かったものを二つ食べたらものすごい勢いで身体から寒気が始まり、脱水の感覚に陥り、
体の感覚が明らかにおかしくなった。
意識する場所がものすごく強調され、
動悸が激しくなったりゆっくりになったり、
もちろん吐き気がきたり、
鼻が伸びる感覚があったり、
もう色々な感覚が覚醒し過ぎたのかわからないがそんなものとベットの上で座って戦っていると、
マコっ、マコっ!
と声が聞こえはっ!と意識が戻った。
見ると部屋のドアが開いていて、シンガポールニキが心配そうに笑って見ている。

are you ok?

と聞かれ、うん、うん大丈夫。


と一度は答えたが、

シンガポールニキが部屋に近づいてくる足音がものすごく大きく聞こえ、彼がゆっくり開けたドアの音がパンっ!!!と死ぬほど大きな音に聞こえ意識が戻った自分とそこまで自分がどうしていたか分からない現象に、

これはさすがにやばいと思い、
いややっぱりリビングで一緒に居てくれないかと聞き、一緒にいることに。

そこからはずっと吐き気との戦いだったが、
なんと僕を救ったのは

昆布茶

世界で流行ったcombuchaは健康的な部分で人気であるが、薄めることなくそれを飲むとなんと体から水分が復活してきた感覚になり、
ちょっとずつゆっくり眠れるようになった。
少し寝ては起きてを繰り返し、
シンガポールニキはその間コメディー番組を見ていて笑っては何やら怪しい番組に切り替えることを繰り返していた。
しっかり眠れるようになると、
寝室に戻り朝を迎えた。

さすがに身体へのショックが大きく朝はまだ頭痛がしたがその後ら問題はなく、僕の人生はシンガポールニキと昆布茶に救われた。

そろそろ帰国日も近くなり帰国用にコロナ陰性証をアメリカ国内で取らないといけない。
日本に出る前からしっかりと予約を済ませていた僕だがもちろん日にちを間違え、一日後だと思って
あー明日チームと離れて証明取らないといけないなーと、パソコンを開いたら今日やん!
終わっとるやん!

となり、

朝早く僕だけ家を出て、
急いで現地の人のみ知るような場所で、
なんと路上で立ちながら鼻をホジホジされる始末。

日本帰国用のフォーマットの証明書にしてくれと言ったら50ドルもっと払えば良いよといわれた。ウェブサイトに書いてあったなーと思いつつなんとか陰性証明書を済ませ、午前10時ぐらいにはチームが車で僕を拾ってくれ、

サンタモニカへ向かった。

なんて綺麗な海沿いの街なんだろう。

カルフォルニアのゲイパーティーを見たからか、
ニューヨークのハイになっている街を見たからか、

とりあえず道が綺麗な街を見るだけで心が落ち着く。
そして海沿いをランニングするための道もありチームのみんなでランニング。

そのあと海でみんなで遊び、
お昼は海沿いのレストランでサービスの明るさや温かさも全然違う!

おそらくアメリカに住むのであればサンタモニカに住みたいとも思った。

そうこうしているともう最終日、
最終日の夜にはイタリアンに行き、
シンガポール人のチームや日本のチームとの最後の時間を惜しみ、
シンガポールチームはニューヨークから飛行機でシンガポールへ。
女性チームはそのあとボストンのオフィスに行く。
僕は人だけLAからナリタへ。

帰りの飛行機は思いの外早く着いた。
もしかしたらオフサイト中に契約をした大きなクライアントのことで頭がいっぱいだったのか、
日本人の2人の女性が心配だったのか、
思い出でふけていたのか、
全く記憶はない。

ちなみに、
シンガポール・日本の女性陣もボストンのオフィスではちゃんとスミノフドッキリが完了していて、
膝をついて男顔負けに飲む5人を見て最高に盛り上がってThis is Americaになっていた。


こんなことを書いていたらカフェに子連れの親子が入ってきて、2人の小さい兄弟がお店を入ったり出たりを繰り返し、外が寒いや店内はあったかいなどを自分の身をもって観測していることを一回一回注意するお母さんは基本ツッコミ役なんだなと思った
#重ねボケなんてしたら誰も止められない

そして来週にはシンガポールに行くことになった。疲れるよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?