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【とまり木通信 vol.1】カンドの思い / はじまりに至るまで

こんにちは、「まなびのとまり木」の主催者である神門崇晶(かんどたかあき)と言います。3月16日(木)に開催する、「まなびのとまり木」初のイベントであるおはなし会まであと3日となりました。

最初のnoteに多くの方からいいねをいただきとても感謝しています。ありがとうございます。おはなし会への参加受付はまだしているので、ぜひご参加していただけますと嬉しいです。こちらからお申し込みください。

さて、「まなびのとまり木」の大きなテーマは「自己認識とまなび」です。

今回は、この2つの要素を大きなテーマに据えた理由を、僕自身の経験や考えを開示することから、みなさんにお伝えしたいと思います。


◯ 自己紹介

僕は、小樽商科大学3年生(休学中)の23歳です。
こちらが自己紹介ページです。これまでの取り組みなどをまとめているので、もしご興味あればご覧ください。

こちらの記事に、幼少期から現在に至るまでがまとめられています。僕が抱える精神疾患は、おそらく中学生の時と高校生の時の精神的なギャップによって発症したのではないかと考えています。

僕は、2022年の11月頃からメンタルクリニックに行き始めました。2回目の診断時、「双極性障害Ⅱ型」の疑いが強い、と言われました。いわゆる躁うつ病と呼ばれているものです。特段驚きはしませんでした。うっすらとそうじゃないかなと感じていたからです。

『中学生の時と高校生の時の精神的なギャップ』と表現しました。これは、中学までは勉強ができていましたが、高校に上がると周りが自分よりも勉強ができる人たちに溢れて、自分自身のアイデンティティを喪失してしまい、精神的な負荷が一気に襲ってきたから、と推察しています。

しかし、精神疾患にはさまざまな要因が絡んでいるのでこれが原因とピンポイントで挙げることは難しいです。ただ、高校時代を境に、陰陽の落差は激しくなったなと自分でもうっすら感じていました。そして、大学に進学してからは、それがより激しくなったことも認識し始めていました。

大学1年生の時に、双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)の方と仲良くなり症状を聞くと、僕自身にも当てはまることが多く、自分もそうなのかもしれないと自認し始めました。

それからは、大体3ヶ月周期くらいで躁とうつを繰り返していたと思います。僕の場合は軽躁状態の方が長く、うつ状態は最短だと1日、長くても2週間ほどで勝手に回復して、気づいたら躁状態に入り始める、というサイクルでした。

大学1年生から3年生までの3年間はだましだましやっていたのですが、2022年の4月から8月にかけて、軽躁状態がそれまでよりも強くかつ長く続いてしまい、9月からそれまで経験したこともないうつ状態に入ってしまいました。


◯ なぜ「自己認識とまなび」なのか

自己喪失

この時の症状はそれまでに体験したことのない、喪失感と不安感でした。

僕はもともと好奇心が旺盛なため、自分が好きでもないことに関していても興味関心が及んでいました。しかし、この時期は何をしていても、何を見ても、何に触れても、全く好奇心が湧かないのです。本当に、何に対しても興味関心が向かないのです。心底どうでも良いのです。

最初は、あーうつに入っちゃったかなという感覚でしたが、日に日に何をするにもどうでもよく感じる日が続き、これはやばいなという危機感が募っていきました。

そして、そんな精神状態の中で、急な不安感が襲ってくるのです。道を何気なく歩いている時にも、「この先生きていて何か明るい未来が待っているのだろうか」という考えがふと降ってきては、その不安感で数時間頭がいっぱいになるのです。こんな状態では、ポジティブなことを考えることが全くできなくなりました。それまではイベント企画などでアイデアを色々出して、どのように進めようか、などを話し合えていたのですが、全く頭が働かなくなってしまったのです。

これはまずい、休んだ方がいいかもしれないと感じ、11月から3ヶ月間ほど何もしない時間を送りました。


3ヶ月間の休息

10月末に多くの方に「11月から休ませてください」という連絡を送りました。そして11月に入ってすぐに、環境をまずは変えてみようと思い、祖母の家に避難し、2週間ほど居候していました。

居候して1週間ほど経過した頃だった気がします。

「この状態がこれからの人生ずっと続くのか。今までは騙し騙しやってきたけど、本当にそれでいいのか?たぶん、一生付き合っていくものなんだから、自分でどうにかしなくてはいけないのではないか?」

と強く感じました。

これまでの自分とちゃんと向き合って、どうしてこうなったのか、どうしたらもうこうならないようにできるのか、ということを真剣に考えました。

自分がこれまでどんな人間だったのか、ということを幼少期から振りることを始めると、だんだんとどういう人間なのか、ということがわかってきました。そこでふと、「まずは自分のことについて知ることが大事で、自己認識が一番の予防になるのではないか?でも、それをするには圧倒的に情報や知識が不足しているな。。。」と思いました。

つまり、精神疾患はもう治しようがなくて一生付き合っていかなければいけないけど、自分なりの付き合い方を身につけてコントロールしていくには、自己認識とまなびが一番重要なのではないか?という考えをもったということです。

それまで、精神疾患との付き合い方など全く知りませんでしたが、まずは体調を良くすることが大事と知り合いから教えられたので、筋トレ(適度な運動)を始め、ご飯をいっぱい食べ、いっぱい寝る、という基本的なことをスタートしました。

1ヶ月続けていると、次第に鬱々とした気分が晴れていくことがわかりました。健康な身体のためには基本的なことですが、こういったことが疎かになることで、次第に精神を蝕んでいくんだなという気づきを得ることができました。これを通して、「まなび」は大事なんだなと強く思いました。

そして、同じ時期から自己認識のために日記(ジャーナリング)をつけ始めました。その日の自分の状態や、出来事に対して自分はどう感じたか、などを書いていきました。最初は何を書けばいいかわからなかったので適当に書き始めました。書いた後に自分の状態を振り返ることができるのでいいなと個人的には思っています。

このような形で自己流で自己管理をし始め、全く何もしない2ヶ月を送り、12月末には忘年会に参加できるほど状態がかなり回復しました。その忘年会で、主催者の小町谷さんと久々に再会しこれまで記したことを開示してみたら意気投合し、「まなびのとまり木」に繋がることになりました。


◯ はじまりに至るまで

忘年会で小町谷さんと再会したとき「体調は大丈夫?」と気にかけてくださったことを覚えています。

僕はもともと人に相談することが苦手でした。そのせいで色々と溜め込んでしまい、うつ状態がひどくなったのだと思います。本当に自分だけではどうしようもなくなった10月に、いっそのこと色んな人に相談してみようと思い、自分の現状を赤裸々に話してみました。すると、多くの方が寄り添っていただき、アドバイスなどをいただきました。この時に、「自己開示することの大切さ」を実感しました。同時に、自己開示するためにはまず自己認識ができていなければいけないとも感じました。

このように考えていたので、躊躇う事なく小町谷さんに自分のことを話しました。すると、小町谷さんも過去に同じような境遇だったことがあると話してくださり、「何かやりたいね」と話した覚えがあります。

そして、年が変わった1月に小町谷さんに連絡し、「まなびのとまり木」を始めることになりました。


◯ 精神疾患は「個性」

「まなびのとまり木」は、このような経験と思いからはじまりました。

僕は、精神疾患は「個性」だと思うことができました。なぜなら、躁うつというのは、病気ではなく性質だと考えているからです。治ることはないからです。僕は薬に頼らずに自分でコントロールする道を選びました。それは、一生付き合っていく個性だと感じているからであり、それを可能にするのは「自己認識」「まなび」だと考えています。

3月16日(木)19:30、ぜひご参加いただけますと嬉しいです!


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