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三菱地所に死ぬ気で就活した男の話

いつもマナベル就活部をご覧いただきありがとうございます。

今回はマナベル就活部を立ち上げた私の、就活の話をしたいと思います。

私は就活時、三菱地所という不動産会社に入るため、死ぬ気で努力しました。
ほぼ三菱地所のみにリソースを投下し、三菱地所のありとあらゆる物件を見学し、様々なプロジェクトの担当者数十名にOB訪問を行いました。
加えて、三菱地所を想定したGD練習や面接練習は合計数十回に及びました。

最終的に最終面接で落選することとなりましたが、100%の準備をした結果なので、全く後悔を残さず就活を終えました。

その時の経験を踏まえ、「後輩たちに後悔のない就活を送ってほしい」と思い、就活相談を日々受けるようになりました。
これがマナベル就活部の始まりです。

私の経験が、少しでも多くの就活生に役立つように、お話したいと思います。

三菱地所とは

三菱地所は、国内第2位の不動産デベロッパーです。
丸の内を起点とした、丸ビル・新丸ビルを始めとするオフィスビル開発や、「プレミアム・アウトレット」「MARK IS(マークイズ)」などの商業施設開発も手掛ける不動産デベロッパーです。

不動産デベロッパーの仕事は、「街をつくる」仕事です。
計画を立て、用地を取得し、建物を立て、テナントを呼び、イベントを開催する等、それらを通じ街を彩ります。

その結果として、ハードの「街」だけでなく、「人の賑わい」や「温かみ」などのソフト面の「街」もつくるのです。

よくデベロッパーは「指揮者」に例えられます。
数十年先の未来を見据え、街の地権者や行政を巻き込みながら、街をつくる仕事はまさに「指揮者」だと思います。

なぜ三菱地所に行きたかったのか

私はもともと「多くの人の幸せの基盤を創ること」を就活の軸としていました。

学生時代は、学生団体にのめり込み、様々なプロジェクトの立ち上げや、リーダーを担い、エピソードとしてはある程度充実したものを持っていました。

そして就活の軸としては「できるだけ多くの人に影響を与え、幸せの基盤を創る仕事をしたい」と考えていました。

そんな中、とあるサイトで三菱地所の就活記事を目にし、プロジェクトの規模感や社員の方のインタビューを読み、憧れを持ちました。

三菱地所の仕事は、まさしく私が求めていた「多くの人の幸せの基盤を創る仕事」だったのです。

調べて行くと三菱地所は、「誠実且つ想いを持ってリーダーシップを発揮できる人材」を取っていることが分かりました。
当時の私は、不遜ながら「まさしく自分のことだ!」と思っていました。

魅力的な内定者との出会い

そこで私はまずゼミのツテで内定者の先輩を探し、内定者訪問を行いました。
内定者訪問を行った理由は、三菱地所はOB訪問でチェックを行い、優遇ルートに乗せるという噂があったためです。
企業理解が不完全な状態からOB訪問を行うことはリスクだと判断し、あえて内定者訪問から行ったのです。

この選択が、私の三菱地所志望度を一気に引き上げました。

一人目の内定者訪問では、超トップ企業に複数内定を持ちながらもすべて辞退し、三菱地所に行く先輩でした。
見るからに優秀且つ誠実で、1時間の会話の中で、あっと言う間にファンになりました。
この先輩は、「一般的には辞退した企業の方が人気だけど、自分は三菱地所でやりたいことがある!」と目を輝かせて話していました。
その姿に「このような人たちと一緒に働きたい」と心から思いました。
この先輩が、他の内定者も紹介してくれたため、私は同じ大学から三菱地所に内定した先輩全員に内定者訪問を行いました。

その時、全員が高い誠実さとコミュニケーション力を持っていることを知り、非常にハイレベルの内定者であることを実感していました。

私は業界研究や三菱地所の内定者訪問を終えた段階で、すでに業界第一位の三井不動産もOB訪問を行っていました。
しかし三井不動産はあまりフィット感がありませんでした。
内定者訪問で、三菱地所のファンになっていた私は、秋頃には三菱地所を第一志望とし就活を進めて行きました。

余談ですが、この時お会いした内定者から、「君は多分最終面接まではこれるよ。けど最終面接は運も必要だと思う」と言われたことがあります。

結局最終面接で落ちたため、この方のおっしゃるとおりでしたが、運がなかったのではなく、実力が足りなかったと心から思っています。

まれに、選考に落ちた理由を「運がなかった」という就活生がいます。
企業は会社とのフィット感も含めながら多角的に就活生を評価します。
そのため、「実力」と一括にはできません。しかし、自分が落ちた理由はしっかりと考え、次に活かしていくことをおすすめします。

OB訪問で出会った素晴らしい社員

三菱地所は内定者だけでなく、社員も非常に素晴らしい人が多かったです。
誠実かつ、仕事に誇りを持ち、親身に私の質問に答えてくれる人ばかりでした。

私は、三菱地所の仕事を深く理解するために、OB訪問で必ず、この質問をしていました。

「三菱地所のスローガンである『人を、想う力。街を、想う力』を体現したエピソードを教えてください!」

皆さん、この質問をすると、熱く仕事の話を語ってくださりました。
この質問は、仕事の生々しい部分や社風を知ることができるため、非常に有効でした。

本気で人や街の事を考えているからこそ出てくるエピソードばかりで、三菱地所に対しての憧れが強くなっていきました。

また私のOB訪問を受け「君はうちにいそうだから応援するよ!もう一回OB訪問受けるよ!相談して!」と言ってくださる方が2名いました。
この時お言葉に甘えて、ESの添削やどんな点をアピールすべきか相談をさせてもらいました。
この2名については、非常によくしてもらい、感謝が尽きません。

最終的に、ほぼすべての事業領域に関連する社員さんにOB訪問を行い、圧倒的な企業理解をできていたと思います。

今思えば、この時間を自己成長に使っておくべきだったと反省しています。
準備も大切ですが、新卒就活で求められることは「搭載しているエンジンの大きさ」です。
そのためには、もっと行動し、ガクチカを強くすること、これが最も重要でした。
企業研究も大切ですが、最も大切なことは、何かに本気で打ち込むことだと思います。

三菱地所に行くために受けた併願先

①インターン時
三菱地所に内定するには有名企業に複数内定できる実力が必要だと理解していました。
そのためインターン時から、難関と呼ばれる大手企業に絞り、選考を受けていました。
特に、三菱地所の競合理解のために、デベロッパー業界や不動産開発に注力している総合商社を見ていました。

結果として、大手デベロッパーと5大商社のインターンに計4回参加し、ある程度の箔をつけた状態で本選考に挑むことができました。
加えて就活解禁前に、大手金融の実質内定を獲得し、三菱地所のための準備に入っていました。

余談ですが、この時インターンを共にした友人とは、後の三菱地所のGDや2次面接で再会しました。
インターンを通過する学生がやはり本選考でも最後まで残るため、レベルの高いインターンに参加しておくことで、ある程度自らの実力を確認することができます。

②本選考時
6月頭の三菱地所での最終面接は、役員級の上役が出てくることが分かっていました。
そのため、「最終面接の緊張感」を事前に知るために、6月前に最終面接を行う企業に多くエントリーしていました。
ここで多くの実践をこなし、最終面接慣れしていきました。

この時受けた企業に素晴らしい企業があり、後々ファンになることもありました。
しかし今思えば、第2志望群をもっとしっかり決め、注力して選考を受けるべきだったと思います。
不安から多くの企業の選考に費やしてしまいましたが、もっとどっしりと構え、時間を使うべきでした。
この判断は、当時の私にはできなかったため、近くの社会人にアドバイスを求めるべきだったと思います。

三菱地所のES

ESは推敲に推敲を重ね、満足できるものを作り上げました。
やり方としては、まず三菱地所が求める人物像を言語化し、ガクチカのアピールポイントを作りました。
具体的には、「真摯さ」と「リーダーシップ」にアピールポイントを設定し、言語化を行いました。
加えて、就活仲間や相談できる社会人に依頼し、かなりの労力をかけてESの修正を重ねました。

三菱地所で作り上げたESは、他の企業でも活用し、ESで落ちることはありませんでした。
ESは一回作り上げると、転用が可能なので、しっかりと作り込むことをおすすめします。

三菱地所のグルディス

6/1の午前中、グルディスが行われました。
三菱地所のグルディスは5~6人1グループでのディスカッションでした。
おそらく全員学歴が高く、地頭の良さがありましたが、かなり緊張しているようでした。
5~6人のグルディスでは上位2名が通過するため、私は冷静に役割の見極めやロジックの確認を行いました。
最初はファシリテーターの役割を奪われましたが、論理の穴を補足したり、議論の修正を行うことで、最終的に主導権を握り、通過を確信しました。
その日のうちに通過連絡があり、翌日に1次面接が組まれました。

1次面接、2次面接、最終面接の日

6/2、私は三菱地所の面接が1日で終わりました。
1次面接と2次面接共に、その場で通過を告げられ、その日のうちに最終面接まで実施したためです。
その場で通過を告げるのは、他の候補者との比較をせずに、面接官が「すぐに次の面接をして採りたい」と思ったときに限ります。
つまり、これはかなりの高評価であったことを意味します。
しかし、最終面接は突破できませんでした。

それぞれの詳細を記載します。

①1次面接
1次面接は30代と思われる若手社員との1対1の個人面接でした。
非常にスムーズに面接が進み、逆質問でもアピールが成功し、確かな手応えを感じました。
その場で通過を告げられ、当日のうちに2次面接が組まれました。
6/2は他社の面接を詰めていたため、かなりのリスケを余儀なくされました。

6月の頭はもっと余裕をもたせたスケジュールを組むべきでした。
志望度が高い企業を6月1日~2日に固めていましたが、三菱地所の面接が急遽入ったことにより、3社ほどリスケしたり辞退を行いました。
結果として、三菱地所以外の第2志望群を6/4以降にリスケを行うこととなりました。(6/3迄はすでに面接枠埋まっていて、選択ができなかったため。)
これはかなり痛い選択でした。
6/4以降では、企業側も内定数をかなり埋めてしまうので、志望度が高い企業は6/3までに決める必要がありました。

②2次面接
部長と思われる方との1対1の個人面接でした。
HPでも見たことがある人で、かなりの緊張が走ります。
相手の質問意図を冷静に汲み取り、誠実さと熱意が伝わるように丁寧に会話していきました。

特に印象に残っているやり取りがあります。

「三菱地所でやりたいこと」と聞かれ、私はとある地方都市の再開発を行いたいと答えました。
するとその面接官は一気に真剣に、具体的な質問を投げかけてきました。
一瞬の気も緩ませられないやり取りです。
冷静に、けれど素直に自分の想いを伝えました。

一通りのやり取りの後、面接官は私にこう言いました

「〇〇さん(私)にはぜひ最終面接を受けてほしいのですが、~時間後にまた来ていただけますか?」

驚きと共に、一気に感情が高まったことを覚えています。

ここからは、面接官が最終面接に向けてエールを送ってくれました。
私がやりたいと答えた地方都市の再開発について、実はその面接官が関わっていたことも、この時聞かされました。
そのため、詳細を私に聞いて来たのです。
最後に「一緒にあのプロジェクトをやりたいね」という話をしてくださり、改めて最終面接への気持ちを引き締めていました。

③最終面接
2次面接からの数時間、私の体力は限界でした。
前日から緊張でほぼ寝れず、ぶっ通しで面接を行っていたためです。
また1年以上に及ぶ就活のゴールが目の前に迫り、極度の緊張で吐きそうでした。

丸の内の仲通りで数時間待機し、最終面接に向かいました。

最終面接は、皇居が一望できる部屋で、役員(おそらく)との面接でした。
私の数メートル先に面接官が座っていましたが、体感20メートルほどあるような厳かな空気感でした。時間としては15分程度のものでした。

ここからは、ほぼ記憶が無いです。

極度の緊張の中、矢継ぎ早に問われる質問に、全くもってうまく回答できませんでした。
就活を始めて何十回も行ってきた面接ですが、三菱地所の最終面接が最も失敗に終わりました。

あれほど推敲を重ねた「つくりたい街」についての想いも、全く言葉が出ませんでした。

最後に面接官は、私の「つくりたい街」を一通り聞いた上で、「私達に任せてください」と言い残し、面接が終わりました。

同時に私の三菱地所就活が終了しました。

6月3日以降

最終的に大手企業の内定を5社程度獲得し、就活を終える事となりました。

その中でも就職先を選んだ理由は、内定先の中で最も「多くの人の幸せの基盤を創ること」ができるからです。

15ヶ月ほど就活を行いましたが、全力で、そして後悔なくやりきる事ができたことは今でも自分の糧になっています。

一方で、支援してくれた社員さんに対して、結果でお返しできなかった申し訳なさで非常に落ち込みました。
数日空けて、内定が取れなかったことと、これまでの感謝を改めてメールししました。
その際、三菱地所の社員さんは、非常に強くエールを送ってくれました。
やはり素晴らしい社員さんだと感じるとともに、こんな高い人間性を持った社会人になることを誓いました。

私の就活を踏まえ、皆さんに伝えたいこと

ここまで私の体験談をご覧いただきありがとうございます。
この記事を通じて、私から皆さんに伝えたいことは3つあります。

①就活に「正解」なんてないこと
私は「三菱地所への内定」を「正解」としていました。
だからこそ本気で就活をやりきる事ができました。
しかし、これは大きな間違いだったと思います。

社会人になって数年立つと分かりますが、就活で見える景色と社会人から見る景色は全く違います。

誰もが羨む企業に入っても、会社にフィットせずに精神的に病んで、休職や退職することがあります。
私と一緒に就活していた仲間でも何人もいます。一人や二人ではありません。
それぞれ超人気企業ですが、このような実態は就活生からは見えません。

就活で憧れの企業に内定し、満足していても、それが正解とは言えないのです。

ただ言えるのは、選んだ選択を正解にする意識が必要であることです。

自分のキャリアは自分で切開くしかありません。
就職先が自分を幸せにしてくれるのではなく、自ら機会を作り出し、成果を出して、人生を切り開くしか無いのです。
人生を豊かにしていくのは、就職先ではなく、自分です。

今私は、「多くの人の幸せの基盤を創る仕事」をしています。
就活時に思い描いていた、デベロッパーの仕事では無いですが、就活時に思い描いていた仕事よりも遥かに多くの人に影響を与えられる仕事の一翼を担っています。

就活時には見えていませんでしたが、私の夢を叶えられる仕事は世の中にたくさんあったのです。

このような仕事は就活時には見えません。
選んだ選択肢の中で、しっかりとアウトプットを出すことで、少しずつ、けれど必ず見えてきます。

ぜひ、「正解を選ぶ」のではなく、「選んだ選択を正解にする」気持ちを持っていてください。
そうすれば、今の自分では見えない可能性が広がって来るはずです。

②後悔無く、やりきること
就活は人生の大きな転換点です。
どんな選択であれ、自らのキャリアとして刻まれます。
大きな決断であるからこそ、後悔をせずに納得して選択をしてほしいと思っています。
そのためには、どこに行くかではなく、自分なりの「理由」や「意思」を持って意思決定することが非常に重要です。

一方で、就活生と話していると、自分の人生に本気になれていない人が一定数います。

「有名だから」「人気だから」といった他者評価で就活をする学生や、「自分がどう生きたいか」をしっかり考えないまま就活している人もいます。

このまま就職してしまうと、お金のために会社に時間を拘束され、やりがいは無いが、特にやりたいことも無く、愚痴を言い続けるサラリーマンになるかもしれません。

私から見ると非常にもったいないです。
私はもっと多くの人が、自己実現して、やりがいを持った生き方ができると思います。

そのためには、「主体的に人生を切り開く意識」を持つことが大切だと思います。

この意識を持つために、しっかりと自己分析を行い、自分なりの「理由」や「意思」を持って就職活動に取り組んでください。

この姿勢を持って就活をやり抜くことで、「主体的に人生を切り開く意識」を持つことができるはずです。

読者の皆さんが就職活動で「自分の人生に本気になること」や「主体的に人生を切り開くこと」を意識して、納得した就活を送ることを祈っています。

③変化を受け入れ、自ら開拓していくこと
これからは、転職が当たり前の時代です。
変化が激しく、安泰な企業などはどこにもありません。
そんな中で生き残っていくには、あなた自身が世の中の変化を捉え、自分の人生を開拓していく必要があります。

「就職人気ランキング」のようなものに惑わされずに、世の中の動きを捉え、自らの頭で考える癖をつけてください。
そして、自分でアクションを取り続けてください。
この姿勢を持っておけば、あなたは自走式で能力を高めて行けるはずです。

特に転職では、あなたの「職能(スキル)」を見られています。
どの職能(スキル)を伸ばすべきかは、時代の流れやあなたの特性によります。

どの会社に入るかも大切ですが、どのような職能(スキル)を持ってビジネスの世界で戦って行くのかも同時に考えておきましょう。

職能に関しての考え方は下記の本が参考になるので、興味がある方は就活前に読んでみてください。

マナベル就活部について

ここまで本記事をご覧いただきありがとうございます。
マナベル就活部は、就活に対して前向きに取り組みたい学生を応援しています。
早慶出身の社会人が、皆さんの就活を応援するため、面接練習やES添削などを行っています。
一人でも多くの就活生が、後悔なく就活を終えることをこれからも支援していきます。
ぜひ、興味のある方はオープンチャットを覗いてみてください!
見る専でも構いません。自由に質問してもらっても構いません。
少しでも私の経験がお役に立てれば幸いです。

三菱地所の企業研究

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