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ハモリの美しさ、ユニゾンの美しさ。

来週発売される新曲「ここにはないもの」。

この曲を始めて聴いたとき、真っ先に私が感じた印象が
「なんだか合唱曲っぽいな。」
そして、以前読んだこの記事を思い出したのでした。

「大人数のアイドルの名曲って、合唱曲としての完成度とイコールだと思うんですけど。そのパーセンテージというか、ゲージってのがビヨ~ンって振り切ってて。わかりやすく言うと、小中学生が体育館のステージで歌ってる画が容易にイメージ出来るんですよね。それが本当に素晴らしいなと思いました」

もちろん乃木坂の中にも、歌が上手い人はそれなりにいて、
でもグループとしてまとまったときに、「歌の上手さ」が求められる場面というのは、実際のところあまりないのだとは思います。
そして、ここでいう「歌の上手さ」というのは、具体的に言うと一体どういうものだろう?と考えると、
(ソロアーティストではなく)グループでの歌唱、という点でいうと、
個々人の上手さの総和ももちろんですが、
それ以上に「ハモリの美しさ」というのが、ひとつの要素なのかな、と思っている節があって。

それこそ、数日前に新メンバーが入ったリトグリとかはその最たるもので、
一人ひとりがもちろん超絶に上手いのは周知の事実として、
それに加えて、その声が合わさったときのハーモニーが、あまりにも美しすぎる。

とはいえ、じゃあたとえばリトグリと乃木坂と、
どちらが感動できる歌か、どちらが心を動かされる歌か、ということは、
明確に優劣がつけられるものではなくて、
もちろんそれは、それぞれに「良い」場所が違うから。
そして、リトグリの良さが「ハモリの美しさ」だとすると、
乃木坂の良さは「ユニゾンの美しさ」
まさに「合唱曲」としての美しさなのかなあ、と思うのです。

冒頭の記事中にも言及されている「男性コーラスの存在」というのは、
私も「サヨナラの意味」を初めて聴いたときから、とても印象的に感じていたのですが、
これも、合唱曲のパート分けという発想を考えるとすごく腑に落ちるし、
乃木坂の曲は、ピアノの旋律が印象的な曲が多いけれど、
この、ギターでもパーカッションでもなくピアノ、というところも、
また「合唱曲っぽさ」を増しているような気がしてなりません。

「ここにはないもの」も、
イントロの美しいピアノの旋律から、ソロ歌唱のAメロが始まり、
段々と声が重ねられていく、という展開で、
どこかの市民会館とか、NHKホールとか、そういうステージで、
大人数が扇形になって歌っているその光景が、容易にイメージできるし、
きっと冒頭のソロを任せられるのが、各学校の合唱部でもエースと言えるような生徒になるのだろうな、というところまで想像がついてしまいます。
来年のNコン中学生の部の課題曲です、って言われても、たぶん驚かない。


心に響く歌、というのは様々あるけれど、
合唱という歌われ方は、割とクラシックな、小さな頃から耳なじみのある音だと思っていて、
だからこそ、違和感なく心にすっと入ってくるし、
なんなら懐かしさすら感じてしまう。
ちょっとした安心感、ストレスなく聞ける耳馴染み、というか…。
秋元康さんの歌詞って好き嫌いが分かれるとはよく言われますが、
個人的には、そういった「懐かしさ」は好きな部類に入るなあと思います。

もうひとつ余談ですが、
乃木坂の(特にピアノイントロが印象的な)曲って、
アコースティックアレンジにしたときの相性も、ものすごく良くて、
この曲も例外なく、イントロをアコギ一本でしっとりと弾き奏でる姿が容易に想像がつくんですよね。
5月に日産スタジアムであったライブや、今夏の全国ツアーでも、過去の名曲のアコースティックアレンジ版が披露されていましたが、
もはやセルフカバーアルバムとして出してほしいくらいよかったなあ…。

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