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「働き方」を見直すことは、「生き方」も見直すこと。

少し前の記事ですが、非常に興味深い投稿を見つけたので、今日はこの記事から話題をいただきまして。

「ワーケーション」はよく聞くけど「コワーケーション」というとちょっと耳慣れない感じですね。
曰く、

『ワーケーションは、企業主導の福利厚生的制度で、ワーケーションの目的も旅先も工程も企業の意図が介入する』
のに対して
『コワーケーションは、個人主導で、旅の目的も、行先もブッキングもすべて自分で行い、あくまでも「自分はこうしたい」を表現するもの。』

だそうです。

そして、この考え方はすごく素敵だし、共感しかないなあ、と思ったのが、こちらの一文で。

つまり、コワーケーションは、働き方改革なんかじゃなくて「生き方改革」なんだと思う。会社や世間の働くに支配された生き方ではなく、自分自身の内なる声を大切にし生きていくために、今コワーケーションが必要だし、定期的にコワーケーションに行くことがものすごく重要だと感じている。


テレワーク、リモートワーク、パラレルワーク、ワーケーション、フレックス・・・
いろいろな働き方があって、
それは去年からのこの社会情勢下で、一気にその加速度合いを増したと思うけれど、
社会が少しずつ元の姿を取り戻していったとして、
この流れは恒久的なものになるのか、それともまた逆戻りしていくのか。

その分岐を左右する要素として、
これらの「新しい働き方」を、単に「労働形態のオプション」と捉えるのか、それとも「より良いライフスタイル(&ワークスタイル)を実現するための手段」と捉えるかどうか、というのは大きいと思っています。


単純に、
(様々な制約条件を無視して)より職務上の成果を高くする、とか、
組織におけるマネジメントを容易にする、という観点で考えれば、
(平時においては)全員がひとつの場にいたほうが「組織としての能率」は高いだろうし、わざわざ多様な勤務形態を設ける必要なんてないはず。

でも、それぞれのライフスタイルにおいて、最もフィットする働き方を追求する、とか、多様な人が働ける職務環境を実現する、という点を考えると、働き方のオプションはたくさんあったほうがいいし、結果的に「組織の中で働く一人ひとりのポテンシャル」を最大限引き出すことにはつながるはず。

「組織としての能率」を考えるか、
「組織の中にいる一人ひとり」のことを考えるか。
前も別のところで書きましたが、「働く」ことはあくまで「生きる」ことの一部でしかないし、まして私たちは会社組織のために生きているわけではない。
そう考えると、これから未来の働き方は、後者を追求するものであってほしいし、自分自身も、そうありたいですね…!

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