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青春は、移ろいゆくから美しい、のかもしれない。

昨日今日と、私が住んでいる地域では、
先週末までの酷暑から一転して、曇りがちな空模様が一日中続き、
昼間もだいぶ過ごしやすい、
「私たちが慣れ親しんだ夏」が帰ってきたようなお天気になりました。

そんな、1週間前と比べたらもはや晩夏のような気候に触れて、
もうこのまま今年の夏が終わってゆくのかもしれない…と思ったときに、
本当になにげなく、なぜか思い浮かんだのが、
「永遠の八月」というキーワード。
かつて本当に大好きだったアーティスト、Goose houseの曲名です。

無性にあの曲を聴きたくなって、
でもSpotifyにはなぜかこのアルバムは収録されていなくて、
YouTubeを探したら、この動画に行き当たりました。

そのコメント欄に
「Goose houseは私の青春でした」
という書き込みがたくさんあったのを見たのが、今回のお話の本題。


確かに、私にとってもGoose houseは青春だった。
改めて今考えると、そう強く思います。
2011年、YUIさんのカバーアルバムをきっかけにYouTubeで見つけて、そこから一気にハマり。
月イチでやるYouTubeの生配信(当時はまだUstreamだったなあ)も毎月欠かさず見てたし、
CDも毎回買ってたし、
ライブにだって足を運んだ。(横浜に始まり、東京・大阪・北海道も…!)
大学に入るぐらいの頃から、社会人数年目ぐらいまで、
私のエンタメ、いや人生のそれなりの割合を占めていたのは、もうひとつの「青春」だったYUIさん、そしてGoose houseの音楽だった。

でも、そんな「青春」も、あるときに突然終わりを迎えることになって。
YUIさんは2012年末で活動を休止、
Goose houseも2018年に、突然その幕を閉じることになる。
YUIさんはしばらくして「flower flower」として活動を再開したし、
Goose houseも実質的に後継となる「Play.Goose」が今もなお活動を続けているけど、
正直、一度「終わり」を迎えた時点で、私の熱量は冷めてしまって、
flower flowerやPlay.Gooseのことは、まったく追っていません。
人は同じなのに。あんなに熱心に応援していたのに。


でも、逆に考えると、
こうやってあの頃の記憶を「青春」として思い返せるのも、
一度はっきりとした形で「終わり」を迎えたから、
「あのとき」をあのときのまま、今とは切り離された過去のものとして変わらず保存できているからなのだろうなあ、とも思います。

もし、彼らが今も当時と同じように活動を続けていたら、
彼らの音楽は「私の人生にずっと寄り添ってきたもの」になってくれていたのだろうけど、
それは「青春」というニュアンスとはちょっと違うなあと思っていて。

あくまで、取り戻せない過去、
現在と過去はもちろん地続きなんだけど、それでもどこかで埋めきれない時の隔たりみたいなものがあって、
その懐かしさ、郷愁も含めて、「青春」と呼ぶのかなあ、と。

移ろわないもの、変化しないものなんて早々なくて、
もちろん「ずっと続けていく」ことも美しい、尊いことではあるけれど、
いつか必ず終わりが来ること、有限の時間の中で、一瞬のまばゆい輝きを放つこと、
その美しさも、間違いなくあると思うし、
そんな輝きを「思い出す」ときに抱く感情も、また素敵なものだなあと思います。


原曲のリリースはもう10年も前なのかあ…
時が経つのは本当に早いなあ…

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