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サザンオールスターズは、いかにして国民的存在になったのか?(前編)

今回は、12月19日(土)に開催した沢井原兒(サワイ ゲンジ)先生と高垣健(タカガキ タケシ)さんの対談の模様をお届けします!

高垣さんは「SPEEDSTAR RECORDS」創設者であり、サザンオールスターズ、Cocco、UA、斉藤和義など数々の有名アーティストの発掘、育成を行った方です。

対談では、サザンオールスターズとの出会いや国民的バンドになるまでの裏話、レーベル設立に至るまでの経緯などを中心にお話頂きました。
また、当時の音楽業界と今の音楽業界を比較し、アーティストやレーベルのあり方についても考えます。

今では聴くことのできない貴重なお話が満載のスペシャルな対談を、ぜひお楽しみください!(以下、敬称略)

【対談者プロフィール】

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沢井原兒(サワイ ゲンジ)

20代より多くのジャズバンドに参加。
アルバムのプロデュースは40枚を超える。
矢沢永吉/RCサクセション/鈴木雅之/加山雄三/今井美樹/米倉利紀/REBECCA/中村雅俊/上田正樹/シーナ&ロケッツ/吉川晃司/小林克也 他、Stage Support / Produceを行う。
インストラクターとしてはヤマハ、音楽学校メーザー・ハウスなどで40年以上。現在は株式会社MOP代表、IRMA役員。

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高垣 健(タカガキ タケシ)

ビクターエンタテインメントOB。
制作アシスタントを経て、洋楽宣伝課へ。
1975年にフライングドッグレーベルが発足。1977年インビテーションレーベルが発足。その後、1992年スピードスターレコーズを設立。1998年スピードスターミュージック(株)設立。 
関係アーティストはPANTA、ARB、松田優作、泉谷しげる、プラスチックス、シーナ&ロケッツ、サザンオールスターズ、リアルフィッシュ、ダンガンブラザーズ、UA、Cocco、くるり、斉藤和義、つじあやの、浜崎貴司、バックホーン、ほか。

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\高垣さんのルーツに迫った対談はこちら!/

対談は今回の記事から、「サザンオールスターズについて」、「レーベルについて」を各2回ずつに分け、全4回に渡ってお送りします!

また、この記事は、Podcastの内容からポイントをピックアップしてまとめていきます。
Podcastでは、さらに詳しくお話頂いているのでぜひチェックしてみてください📻

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1.  サザンオールスターズ編①ー出会い

高垣さんnote1

沢井:まずは、サザンとの出会いから教えてもらえますか?

高垣:はい。「フライングドッグ」というレーベルができた当初は、スタッフも3、4人でとても少なかったんです。その人数で、制作・宣伝を回していたので仕事はヘビーでしたがとても楽しかったですね。

沢井:はい。

高垣:そこで、PANTAをはじめ、いろんなミュージシャンとお会いできたんですけどね。その後、世の中で日本のロック、ポップスが盛り上がりはじめて、ユーミンやはっぴいえんどというような、影響力が大きいアーティストが増えていったんですよね。それで、「フライングドッグ」の規模では収まりきらないビジネスが見えはじめてきた時に、サザンと出会いました。

沢井:なるほど。

高垣:当時、ヤマハの「EastWest」というアマチュアコンテストが行われていたのですが、僕が渋谷のライブハウスに出入りしていた時に、ヤマハのスタッフの方から「こんな面白いバンドが今度EastWestに応募してきたんだけど、聴いてみる?」と紹介されたのが、当時まだ青山学院の学生だったサザンだったんですよ。

沢井:おー、なるほど!

高垣:学生だったのにブルースやブギーなどをやっていて、オリジナルの曲が3、4曲入っているカセットを聴きました。その時は「色々なことをやっていて面白いな」という軽い気持ちで、予選を観に行きました。何度か観に行くうちに、メンバーと話をするようになりましたね。本選に出るというので観に行ったのですが、たぬきブラザーズというバンドが優勝して、ベストヴォーカル賞を桑田くんが取りました。

沢井:サザンは優勝しなかったんですね!

高垣:そうなんです。でも「いいじゃん!よかったよ!」という感じでしたね。その時は、まだあまり僕も「仕事、仕事!」という感覚はなく、ロックファンの一人というような感じで、彼らもあまりプロ志向というような感覚ではなかったと思います。

沢井:うんうん。

高垣:居酒屋に飲みに行ったり、青学の学食で一緒にご飯を食べたりっていうノリでしたね。それで、オリジナルの楽曲が10曲くらいできたと言うので、デモテープを録ろうかという話になって、ビクターのいいスタジオで音出しをしてみようということになったんですよ。

沢井;はい。

高垣:2回くらいやって、その中で何曲か面白い曲があったんです。『女呼んでブギ』とか、『今宵あなたに』とか『茅ヶ崎に背を向けて』とか。ファーストアルバムに入る曲もありましたね。それで、「じゃあ曲もできてきたし、試しにアルバム作ってみる?」という感じで作ることになりました。野心とか欲とかっていうものは全然なかったですね!メンバーだって、「学生の記念で1枚出しますか」っていう感じだったんじゃないかな?

沢井:その時はまだ学生だったんですね!

高垣:学生!

沢井:当時は、その後絶対的な存在になるとは思っていなかったんですか?

高垣:夢にも思ってなかったですね。本人たちもそうだったと思います。「プロになる」という言葉はなかったですしね。

沢井:そのころは、「スターになる」というよりも、「自分たちの音楽をやる」ということだけで満足するみたいなところがありましたよね。サザンもそんな感じだったんですね。今でもそういう人たちがいてもいいはずなのに、あまりいないですよね。

高垣:そうですね。当時は、ビートルズとか洋楽のコピーバンド、ブルースなどをやっている人が多かったですよね。その中で1曲だけオリジナル曲ができたけど聴いてみる?みたいな感じで、9割方はコピーでしたね。

沢井:うん、なんか世界的に憧れるようなバンドがいくつかあって、そこを最初はコピーして、そこから自分の音楽をやるっていうような流れが多かった気がします。

高垣:そうですね。そこが今とは違う1番大きなポイントでしょうね。

沢井:あまり下心がなかったというか。

高垣:なかったですね。

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盛り上がってきたところですが、今週はここまで!

サザンオールスターズといえば、今や知らない人はいない国民的バンドというイメージなので、貴重なデビュー前のエピソードをお聞き出来て嬉しかったです。

対談の中で、「当時は世界的に憧れるようなバンドのコピーから始めて、そこからオリジナルの楽曲を作成していた」「自分の音楽をやれるということで満足していた」という部分がありましたが、確かに今はそういったスタイルで音楽活動をしているケースは少ないような気がします。

流行の音楽や、音楽の聴き方、情報の収集、発信方法などは時代とともに変わり、それに伴って活動の仕方も変化していくのは必然的なことではありますが、受け継がれる名曲や世界的アーティストなど、「知っているけどあまり知らない」という音楽をこの機会に聴き直してみようと思いました。
もちろん、サザンオールスターズの初期の名曲も。

次回はサザンオールスターズ編後半、大スターになるきっかけとなった出来事や、当時の音楽業界についてお伺いします!

お楽しみに。


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