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石垣島の泡盛6ヶ所と沖縄フェス、そして首里の瑞泉酒造へ

 11月2日(木)から4泊5日の日程で石垣、そして沖縄の那覇に行っていた。石垣の6つの泡盛蔵の取材と、5日(日)の沖縄フェス、そして6日の瑞泉さんの取材のためである。

 石垣に行きたいと思ったのは、石垣・八重山にしか直火焚き蒸留、いわゆる直火式の地釜が残っていないからである。直火焚きで泡盛を蒸留する、このことを知ったのは八重泉さんと話している時で、しかも聞けば石垣本島の6ヶ所の蔵が今でも直火式を使っているという事だった。ちょうど4年ぶりに、沖縄フェスが開かれ、そこにウイ文研としても出店し、私もセミナーをやることになっていたので、そのついでに石垣まで足を伸ばし取材をすることになったのだ。

 2日の午前便で石垣に飛び、そこから3日間で6つすべてを回った。回った順番は八重泉、請福、池原、玉那覇、高嶺、仲間で、池原、玉那覇は石垣の中心街で、八重泉、請福、仲間はそれぞれ郊外、高嶺さんは中心街から車で40分という離れた、川平地区に存在する。

詳細は来年の3月12日に発行するガロアでレポートしたいと思っているが、直火式地釜は文字どおり直火の蒸留器で、それもほとんどが手作り。容量も200リットルという小型のものばかりだ。形や仕組み、サイズが似ているのは、もともと中心街の玉那覇や池原、仲間が昔ながらの製法を伝統としてきたからだろう。かつては6蔵でなく、もっと沢山あったという。どれも重油バーナーで加熱していたが、請福だけがガス直火で、しかもサイズも小さく、仕組みも他の5か所とは違っている。岐阜県の郡上八幡にある辰巳蒸留所のカブト式蒸留機の改造版といえるもので、これが12基もずらりと並んでいる。

 この地釜、石垣本島以外に波照間と与那国に3か所存在し、現在は計9か所の蒸留所で使っているということだが、いつか機会があれば、その波照間も与那国も行ってみたいと思っている。

 石垣の取材を終えたあと4日の夕方に那覇に飛び、5日の日曜日は沖縄フェス。そしてテイスティングセミナーもして、6日の月曜日は、首里城近くの瑞泉酒造さんへ。これも3月12日発行のガロアでレポートするつもりだが、かつて「首里三箇(しゅりさんか)」といわれた、お城の周辺の崎山、赤間、鳥堀の3地区にのみ許されていたのが泡盛づくりで、その三箇に現在も残っているのは瑞泉さんと識名の2つだけだという。

 製造担当の伊藝さんに案内されて泡盛の歴史や瑞泉の歴史、そして泡盛造りの詳細を知る貴重な機会となった。石垣に比べればかなり大きな蔵だが、瑞泉と言えば古酒、その伝統の仕次ぎも見せてもらい、さらに戦後、東京大学の研究室に残っていた戦前の瑞泉の黒麹を復活させて醸した「御酒(うさき)」も飲ませてもらった。建物の屋上からは修復中の首里城がすぐ近くに見えたが、首里三箇は思っていた以上に首里城に近い。御酒と書いてうさきと読ませるのは、それは琉球の発音だからで、琉球語には母音がアとイとウの3つしかなく、オがウに、そしてケがキとなるからだ。

 売店を兼ねたビジターセンターには、もうひとつの銘酒「おもろ」の語源ともなった「おもろそうし」の本も展示してあって、思わず懐かしくなった。「おもろそうし」は沖縄版の万葉集ともいうべきもので、15世紀の尚真王の時代に編さんされた歌集である。学習院大学国文科1年生だった頃、当時法政大学の外間守善さんのおもろの講義を1年間とっていたことがあり、この沖縄独特の歌謡の不思議な世界を垣間見ることができた。

 「聞こえ大君…」で始まる叙事詩で、万葉集よりは古い歌の形式が残っていると、外間先生からも聞かされていた。それが瑞泉さんの銘柄名となっているところも、首里三箇の泡盛らしいと感じ入ったものだ。といにかく詳細はガロアで…。お楽しみに!!


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