子どもの好奇心を殺さないために親ができること

”学び”において最も重要な要素は「好奇心」だと考えています。子どもは誰でも小さい頃は好奇心のカタマリだったはずです。しかし成長するにつれて、好奇心が失われているように思えます。

最たる理由は、子どもたち一人ひとりの興味・関心に関係なく、高校までの12年間で、そこにいる全員が学ぶ内容を決めて、無理くり叩きこもうとする学校教育でしょう。

学校で習う内容の理解度で子どもたちに優劣をつけて、周囲の大人は良い結果を取らせようとする。そこに子どもの興味・好き嫌いは、関係ありません。まさに子どもの好奇心を殺す最高のシステムだといえます。

有識者の方々も学校教育を変えなければならない、のような声を上げておりますが、それでも変わる気配がないのだから、私ごときがこれ以上、学校教育についてどうこう言うつもりはありません。

ただ1人の大人として、娘を持つ父親として、子どもの好奇心を殺したくなく、むしろ高めたいと思っています。ですので、そんな自分に何ができるのか?を考えてみました。

考えた結果、子どもの小さな興味を心の底から尊重することくらいしかできないのでは?という結論に至りました。

誰しも自分の”ものの見方”から逃れることはできません。子どもが何の役にも立たなそうな物事に興味・疑問を持っていたら、「そんなこといいから、宿題・勉強をしなさい」とか言っちゃいがちだと思います。

これは子どものためを思って言っていることですよね。良い大学、良い就職先に入る=「幸せになるための一歩」という考えがありますから、学校の勉強を最優先に考えるのは自然でしょう。

でもVUCAと言われる時代に、もうこのロールモデルは通用しません。であれば、子どもが心の底から没頭できるものに集中させてほうがいいのでは?と思います。

こんなことをいうと、無責任とか言われそうですが、良い大学に入って、世間的に一流といわれる企業に入れば幸せと唱える方が今の時代、無責任かなと個人的には考えています。

古代ギリシア哲学者のアリストテレスは、「行動そのものが目的になることが最大の幸福だ」的なことを述べています。このような考えを自己充足的=コンサマトリーといいますが、これからはむしろこっちの考えの方が自然ではないのでしょうか。

学校の勉強は、未来のために今を犠牲にする=インストルメンタル(道具的)の発想のもと行われているので真逆ですよね。

未来のためにやってきたことが未来のためにすらならないのが、今の学校教育や受験勉強です。であれば、今大切なこと・夢中になれることをとことんさせた方が将来に良いように繋がる気がします。

とはいえ、子どもが心の底から夢中になれるものは簡単に見つかるものではりません。それに興味を持ったからといって、必ずしも没頭できるわけでもないです。

ただ興味を持たないことには何も始まらないですし、興味を持って始めたことの中から、子どもが心の底から夢中になれるものが見つかることは間違いありません。

ですので、親が子どもの小さな興味を否定したら、そのチャンスを潰してしまいます。たとえ親の価値観にそぐわないものに興味を持ったとしても、それを尊重する覚悟が親には求められると思います。

自分の子育てにも、この考えを反映していきたいと考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?