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蝉が鳴くと思い出す母とのこと。

今朝は蝉の鳴き声で目が覚めた。今年に入って初めて聞いた気がする。1週間という私にとっては短い時間を地上で過ごし、子孫を残していくのだからスピード婚なんてもんじゃない。

個人的に蝉が鳴き出すといよいよ夏が始まるなあって気がするのだが、実際のところはどうなんだろう。平年だともう明けているはずの梅雨はまだ明けそうになく、地域によっては8月になるところもあるとかないとか。せっかく地上に出てきたのに雨続きだと婚活も上手くいかなかったりするのかしら。

突然だが、私は蝉をなんのためらいもなく触ることができる。蝉だけでなく基本的には虫も蛙も平気だ。これは間違いなく母親の影響なのだが、幼い頃の思い出を振り返るとなかなか濃い自然との繋がりを持たせてくれていた。

私の地元はいわゆる大都会だ。高層ビルは多いし、交通量も多い。家の前の小さな公園で自然とふれ合う機会があったくらいだが、その自然を大変満喫していた。ツツジのお尻を吸ったこともあるし、木登りなんかもそこで覚えた。頑張って探せば小さな生き物を見つけることも出来たし、よく分からない木の実をすり潰したりなんかもしていた。

母親の凄いところは、小さな生き物を見つけると「子どもたちに見せてあげよう!」という気持ちからひょいと掴んで持ってきてくれるところにあると思う。そのお陰もあって、持っていたポケット図鑑と本物を見比べてみたり、蝉が羽化する過程での透明でキラキラした姿を目に焼き付けたりすることができた。本だけでは分からなかったことをたくさん学べたと思う。

蝉の声を聞いてしばらくじっとしていた母親が木のそばに立ち、ひょいとジャンプをして蝉を捕まえた時は「お母さんならどこでも生きていけそう」という感想を幼心に抱いた。笑

スーパーに買い物に行って帰ってきた母が、「これ何かわかるー?」とカマキリの卵を見つけて持って帰ったときにも「自転車で行ったのにどこでどうやって見つけたんやろう・・・」と母親の目の良さに感心したものだ。ベランダのプランターに卵のついた枝を挿し、何日か経って小さなカマキリたちが風に乗って旅立つのを見た時は、想像以上に大量の命が誕生したのと呆気なく飛ばされていく命に何とも言えない不思議な気持ちになった。

田舎に行けば都会とは比べ物にならない自然に圧倒され、なかなか見られない生き物の数々に出会う。動物園や植物園も好きだが、自ら発見しふれ合った時の気持ちはまた全然違うと思っているので、自分の子どもにも(強制はしないが)その楽しさを知ってもらえたら嬉しいなあと思う。

余談ではあるが最近の母親はというと、蝉が洗濯物にとまってたー!とか買った野菜にてんとう虫がついてたー!とか当時とさほど変わっていない。きっと、いつまで経っても母であり、無邪気な女性なのだと思う。


「note」を書くための糖分に変わります。