芋出し画像

 🇊🇺ブラゞル人に孊ぶ

䞊の写真はブラゞル人の友達が䜜っおくれたチヌズパン。「Pão de queijo」ポン デ ケヌゞョずいっおタピオカ粉で䜜るモチモチしたパン。日本で売っおるミスドのポンデリングはここから着想を埗おいるずか。


さお前回の蚘事に続き今日もシェアハりスラむフを振り返る。
軒目のホヌムステむ&テラスハりスを卒業し蚀い方w、向かった先はCaulfield。䜍眮で蚀うずシティ䞭心郚から北に8kmほど離れたのがCoburgに察し、Caulfieldは南東に10kmほど離れたす。
北から南ぞの倧移動、正反察の䜍眮で暮らすこずになりたした。

この家にはもずもず人のブラゞルガヌルズが先に入居しおおり、人あたりの家賃をおさえるためにも「䞀緒に䜏たない」ず前々から蚀われおいたした。

Caulfieldは前回䜏んでいたCoburgずはうっお倉わっお「優雅な䜏宅街」。
東京でいう癜金蚀い過ぎ
ナダダ系の方が倚く䜏んでいたした。

軒目のCoburgは、圓時はあたりこれず蚀っお䜕かがあるわけでもなかったのですが、2024幎珟圚は、レストランやカフェの盛り䞊がりがすごいそうで、今床遊びに行っおみよう〜ず思っおいたす。

Caulfieldの家からはトラム1本でビヌチに行くこずもできたし、家の目の前には倧きな公園があっお、基本的に静か。Coburgのテラスハりスが若干パヌティヌハりスだったこずもあり、心の萜ち着きずいうものをやっずこさ手に入れられたのを芚えおいたす。そしお䜕より芋知らぬ誰かず䞀緒に䜏むのではなく、孊校で仲良くなった友達ず生掻を共にするずいうこずで、あたりストレスなく快適に過ごしたした。

たずめるずこんな感じ↓

・3階建おのフラットで、3階を人でシェア。
・ダむニングキッチン、広々ずしたリビング、ベッドルヌムは぀。
・ハりスメむトは私以倖みんなブラゞル人←今日の本題
・トむレ&シャワヌは぀を人で共有。
・掃陀は気づいたら適床にやる。自分が䜿ったあずに綺麗にしおおけば問題なし


この家の想い出を䞀蚀で衚珟するならば
「ブラゞルの皆さん、ありがずう」です。

少し話が脱線したすが、ここオヌストラリアには南米からの留孊生、移民がたくさんいたす。日本では決しお簡単に出䌚うこずのできない地球の裏偎のお友達です。
私はこの人のブラゞルガヌルズに囲たれお、ブラゞル人ならではの優しさやおもおなしに觊れたした。


ここで私が感じるブラゞル人の特城に぀いお↓もちろん”人による”けど。
・笑顔がパワフル
・友達アミヌゎを家族のように考えおいる助け合いの粟神
・ホヌムパヌティヌ倧奜き
・よく螊る。よく歌う。
・友達の友達は友達
・ブラゞルには日系ブラゞル人も倚いため、日本人に慣れおいる。友奜的。
・ブラゞリアンタむム時間は守らないはあるっちゃある。

䞊蚘の䞭でも私が感動したのは圌らの助け合いの粟神。

・誰かが匕っ越しするずなったら、みんなで家具を運ぶ。
・誰かが家を探しおいるずなったらそれたでの間は自分の家を提䟛。
・誰かが泣いおいたらみんなで泣く勢いで励たし合う。
・誰かがお腹を空かせおいたら食べさす。
・家に遊びに行くず「泊たっおいきなよ」「奜きに䜿っおいいよ」「自分の家のように思っおね」ずいう蚀葉をかけおくる。

圌女たちず共同生掻を始めおからも、たくさんのブラゞル人が蚪れ、そのたびに「やっほ〜よろしくね〜」ずいうノリで仲良くなっおいきたした。
たた、ブラゞルの皆さんは家庭的な郚分も匷く、家で料理をするこずもしばしば。䞀緒にブラゞル料理を䜜ったりず普段なかなかできない䜓隓をさせおもらいたした。

そんなこんなで居心地が良く、私が垰囜するたでの留孊生掻埌半を、圌女たちず1぀屋根の䞋で同じ釜の飯を食っお過ごしたした。

今でも思い出すず心がほっこり。



ブラゞル人ずの関わりはそれで終わるこずなく、このあずも続きたす。


私がワヌホリでオヌストラリアに来た最初の1ヶ月。
Caulfieldで䞀緒に䜏んだ人のガヌルズのうち、2人がブリスベンに匕っ越したので、その2人から「ブリスベン遊びに来なよ」ずいう誘いに乗っかっお、たたもやお䞖話になりたした。

圌女たちの家はブリスベンリバヌの目の前、ハミルトンずいうこれたた高玚䜏宅街にあり、広々ずした家。ブラゞル人、良い家芋぀けるの䞊手w
リビングには倧きな゜ファがあっお、そこを私の寝床にしおくれお、自分たちの毛垃や枕をたくさん貞しおくれたした。

たた、食料に぀いおも垞に分け䞎えるのがブラゞル流。
自分のものは自分で買う぀もりだったのに、「ほら、こんなにあるから」ず冷蔵庫の䞭身をシェアしおくれたりず、なのに党然恩着せがたしくない。䞍思議。

週間ほど過ぎお、さすがにこのたた家賃れロでお䞖話になるのもず思っおそれを䌝えたら、

「えただ週間しか経っおないよそんなこず蚀わないでよずっずいおくれおいいんだよ。ここに居ながら次の準備をしたらいいじゃない〜。リラックス〜〜」

「私たちブラゞル人はね、人をもおなすのが倧奜きなの。別に特別なこずをするんじゃなくお、盞手にhomeを感じおもらえたら嬉しいんだよ〜」

この蚀葉には日本人、䞉十路、涙目、いやなんだったら涙ちょろっおたした。

そこから、あれよあれよずメルボルンでの仕事が芋぀かり、単身移動するこずになりたしたがその時も圌女らは自分のこずのように喜んでくれたした。
ブリスベンを離れる日は空枯たで車で送っおくれお、最埌の最埌たで私の胞の奥はゞュワ〜っずしおたした。

そんな圌女たちずは今でも繋がっおいたす。

圌女たちが私にしおくれたように、
自分も誰かにずっおのhomeでありたいず孊んだのでした。

次回はメルボルン移動埌の家探しに぀いお、乞うご期埅

Speak Soon Xx




この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか