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“何者か”になりたくて挫折したけど幸せになれた話 「とにかく働きたくなかった20代」

数年前までの私は、常にうっすらとした欠乏感を抱えながら生きていた。そして、ほとんど常に、「仕事の苦痛かと拘束から解放されて、自分の好きなことを仕事にするにはどうしたらいいか?」ということで悩んでいた。

そんな私が苦痛から解放されて、100%幸せだといえるようになったので、そのコツを語っていく。

最初の記事はこちら。

晒したくない私の過去を語ってゆく

で、これから読者のために、過去の私について、もう少し語ってみようと思う。本当はあんまり思い出したくないのだけど……。過去の私みたいに進路に迷って鬱々としていた人は、結構多いと思うので。

ペンネーム:タヌ子

生まれ年:1981年生まれ
出身地:神奈川県
最終学歴:専門学校卒
既婚・子なし

現在の仕事:Webメディアの編集や運営に関わる業務、副業でフリーランスのライター

過去にやった仕事:保険会社営業、コールセンター勤務、アパレル販売員、ケータイキャリアの店員、家電量販店のケータイ販売、家電量販店でのメーカー販売員、フリーライター、Webメディア(女性向けライフスタイルやインバウンド向けの旅行ガイド)の編集など

進路に失敗した学生時代

中学校時代は、部活や友人と遊ぶのが楽しかった。英語の勉強が得意だった。好きなことはわりとたくさんあった。映画鑑賞、読書、絵を描くこと、文章を書くこと、ファッションやインテリアも好きでこの頃から雑誌もよく買っていた。

ハマった本は『24人のビリー・ミリガン』。『ターミネーター2』のエドワード・ファーロングくんと、マライア・キャリーのファンだった。

卒業後は平均レベルの公立高校に進学。高校生活も平凡だった。部活してバイトをして、遊んで。中学校時代から、趣味は変わっていなかった気がする。

一般的には、高校生の頃から将来の進路を考え始めるが、私は、将来自分がサラリーマンやOLをやっているイメージがぜんぜん湧かなかった。

かといって看護師とか保育士とかそういった職業にも興味はなかった。絵や文は好きだけど、まさか絵描や作家になんてなれないよな〜という感じで、何がやりたいかわからないとかいうレベルではなくて、進路についてまったくピンときていなかったと思う。

両親は母は看護師、父親はふらふら自営業をしているような感じだったので、大学に行けとは言われず、お金を払えば誰でも入れるような英語の専門学校にいく。唯一ぼんやりとチャレンジしてみたいと思ったのが翻訳家だったから。

しかし、専門学校に行き始めて早々に「あ、これ失敗した」と思った。専攻学科にもよるかもしれないが授業内容が薄い。さすがに専門学校で学んだだけで翻訳家になるとはまったくもって思っていなかったが、それにしても薄すぎる。自分が感じるだけかと思っていたけど、皆感じてるようだったし、卒業後も皆同じこと(あの学校は失敗だった)をいっていた。

卒業後は語学とは関係ない保険会社に就職する。そのうち遊びにうつつをぬかすようになり、翻訳家の夢は消えてゆく。

ちなみにすごい恥ずかしいのだけど、私は10代の頃、「ライター」という職業があることすら知らなかった。確かし、紙に印字され販売されているものは、全て作家や専門家が書いていると思っていた。

その頃はまだインターネットも一般的ではなかったので尚更だろうが、都心のリベラルな家庭やお金もちをのぞいて、平々凡々な高校生なんてこれくらい世の中のことをわかっていない。

ついでにいうと、美大に行った人は絵描きを目指して挫折するという道を通るか美術の先生になるかくらいしかないと思っていたし、法学部に行った人は全員、弁護士や裁判官や検察官にならないといけないものだと思い込んでいた。

おまえがバカなだけだろうという人もいるかもしれないし、あまり否定はできないが、フォローするわけではないけど進学した高校レベルや40年間生てきた中でおそらく私の地頭の良し悪しはおおよそおおざっぱに日本人平均レベルだと思うので、私のように10代の頃、職業選択の仕組みがまったくわかっていないという人は多くいると思う。

それなのに日本の学校教育といったら。人生を左右する進路を決めるときに、自分の長所も短所も興味も価値観もよくわからないまま、ほぼ「地元から出たことがない16〜18才の頭で思いつく将来像や選択肢」のみで決められるという……。大人になって改めて考えてみると、これはかなり問題だと思う。

とはいえ、日本はまだ今のところはなんだかんだいって選択肢が多いので、学校卒業後、自分で進路を挽回することが可能ではあるが。が、私はそれができず、仕事や働くということがどうゆうものなのかよくわからないまま、20代に突入していく。

とにかく働きたくなかった20代

20代、何を一番考えていたかというと、働きたくないなということ。

誘われて入った保険会社は通勤が大変なのと興味がながなく続かなかった。その後、派遣やアルバイトで事務やコールセンターの仕事をするも、相変わらず、まず通勤がいや。満員電車に1時間揺られたうえに9時間拘束されるのが耐え難い……。しかも、残業とかしてる人の体力と精神力はどうなってるの? よっぽど好きな仕事ならできるかもしれないけど、それが何かはわからない。なんでみんな普通に働けるんだろう? と常に思っていた気がする。

20代で比較的続いた仕事が携帯ショップの店員。とはいっても4年くらいか。接客はあまり好きではなかったがまったく向いていないという感じでもなく、通勤時間が短かったのと、昼からの勤務があったことと、同年代が多くスタッフ同志の仲がよい、という楽しみがあったから、なんとか続いていた。

その頃から、インターネットというものが身近になり、ライターという仕事があることに気がつき、ライターになりたいと思うようになった。ライターの短期講座に行ってこんな感じなら書けそうだというWebメディアへメールをして、めでたく副業ライターに。

そのうちだんだんと興味のないデジタル危機の営業や販売の仕事に辟易し、好きだったアパレルのバイトとライターの仕事でやっていこうとケータイショップを辞める。ただ、家を追い出され一人暮らしをしていたので金銭的にやっていけず(見積もりが甘かった)貧乏に耐えられず、またケータイの販売業に戻る。

キャリアショップはいろいろとめんどくさいから、家電量販店の販売員を選んだ。仕事はラクだったが、ライターでやっていきたいのに副業程度の収入以上は増やせず、そもそもこの仕事してたら時間ないし。何をすればいいのかわからず悶々としていた。

30代編へ続く。

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