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別れのつらさ・猫を飼うということ

己の肉体が呼吸をできない苦しみを知っているか?
体の自由がきかない苦しみを知っているか?
意思に反して水に沈み、もがくような苦しみを知っているか?
意識ははっきりしているのに、呼吸ができない苦しみを 恐怖を知っているか?
体に侵入してくる、管の乾燥の不快さを 動けないイライラを知っているか?
永遠に続くような痛みを 疼くような痛みを この世の終焉のような痛みを知っているか?
薬の酩酊感の恐怖を 朦朧とする意識の奥底にある覚醒した感情や恐怖。
呼吸を整えようとすればするほど、溺れていくような恐怖。
先の見えない、終わりのない恐怖。

あっけのない最後。
そう書いてしまうと、そこに情などないようになってしまう。
でも本当にあっけのない最後だった。
苦しみが死に勝るなら、私は安楽死を選ぶだろう。

13年前、私はさびしくてどうしようもないほど猫が欲しかった。自殺未遂の末に私は多少の落ち着きを取り戻し、何かあたたかいものが隣に欲しかったのだ。連れではだめだった。私は猫が欲しかったのだ。クレイグスリストか何かで見つけた場所に行くと、そこには子猫が3匹ほどいた。私はおとなしそうなのを選んでたのだが、連れが一番やんちゃな黒猫を選びこれにすると言った。自分の猫ぐらい、自分で選びたかったが仕方なくその小さな黒猫を家族として迎えた。大きめのショルダーバッグに守るようにその子を入れて帰りのバスに乗った私は、心なしか落ち着いていた。

私はその子猫にニコという名を与えて、久しぶりの「猫を飼う」という喜びを思い出していた。
しかしニコは膝に乗るような仔ではなく、暗い場所を探して隠れて眠るような仔だった。私は買い物から帰ってくるといつもニコを探して回った。膝の上に乗せてもすぐにどこかに行ってしまう。
餌もトイレも、ニコは全く手のかからない猫だった。
たまにそばに来てすぐどこかへ行ってしまう、ちょっとツンツンし過ぎている様な仔だった。私も過干渉は嫌いなのでちょうどよい関係だった。

ニコを筆頭に当時同居していた義母が動物好きで、次々と恵まれない猫を引き取ってしまい4匹になった。その中で私に一番懐いていたユキちゃんは、人間のような嫉妬を見せた猫だった。
二ヶ月ほど日本へ里帰りして、戻って来た時には口もきいてくれないようなそぶりだった。触らしてもくれないし、もう本当に怒っていた。でも私が買い物に行こうものなら、悲しそうに泣いて行かないで、と止めるのだ。
その時ニコもちょっとした焼きもちを焼いており、私には懐かず義母に懐いていた。いつも義母の横に寝ていた。そんなニコに私もちょっと焼いていたのかもしれない。
何よ、私の猫なのに、さ、と。

ユキちゃんは乳がんで、あっけなく7年の生涯を閉じた。
あっという間だった。
猫が三匹になって、義母も病気がちで、色々ないざこざが重なって、私たちは同居を解消し新しいアパートに移り住んだ。
三匹の猫たちを連れて、私たちの新しい生活が始まった。

あんなに義母に懐いていたニコは、当たり前のように私の横に座るようになった。おばあさん猫のミミは私の膝に座った。一番若いモーキーは、たまに私の肩に乗ってくる。私は全部の猫を独り占めしていた。

朝、猫たちが私の上に乗り、顔を優しく引っ掻く。腹へったよ、という催促はいじらしくもかわいらしくもあり、優しい気持ちになった。

おばあさん猫のミミはわたしが連れに出会って間もなく、連れのおばあちゃんが飼い始めた猫だ。おばあちゃんが亡くなり、義母が引き取り、いざこざの最中私が引き取った。色々な混沌を乗り越えてきた辛抱強いばあさん猫だ。
去年の12月、朝からちょっと様子がおかしくて私に張り付いてきた。その日私は楽しみにしていた美術館に行く予定だったのだけれど、あまりにも変なのでずっとばあさんの側に居た。そしたら、午後、眠るように息を引き取った。
15歳だった。
人間で言うと76歳くらいらしく、猫の中では長生きだ。

年寄になっても遊びがいのある、かわいい猫だった。
こんなに長生きした猫は、初めてだった。

三月、娘が誕生日に子猫が欲しいという。
私は、まだ心の準備ができておらず乗り気ではなかったのだが、猫以外は何もいらないというので、シェルターを探した。
私には幼少期のトラウマがある。近所にやたら捨て猫が多く、通学途中、車にはねられ命を落としたであろう子猫をよく見かけた。段ボールに入れられ、まだ目も開いてないような数匹の子猫たちが捨てられているのを見つけた事もあった。
母は動物が嫌いだったので、拾っても戻して来いと言われた。
ずっとそういう捨てられた動物の事がかわいそうで、怖くて、保健所に連れていかれた後は引き取り手なんてそういるものではないのだから、殺傷処分されてしまうんだという事も知っていた。
健康なのに、まだ生きているのに、病気でもないのに、暖かいミルクが必要なのに、そんなことお構いなしに棄てられ、殺されていく動物たちがいるという事。そして、その動物たちを殺さないといけない仕事に就いている人がいるという事。
普通のシェルターだと、私が引き取らなかった子達は殺傷処分される運命だ、というのが嫌でもこびりつく。
私は自分の心がそんなに強くないのを知っている。
だから殺傷処分ゼロのシェルターを探した。

ペリーズ プレイスはファミリーガイの生みの親、セス・マクファーレンの母親が立ち上げたシェルターだ。そこは殺傷処分ゼロで、もしも何かどうしようもない理由の為に飼えなくなってしまった時、再び猫を戻しに来ても良い場所でもある。
ここにいる子たちは、守られている。誰も死なない、殺されない。そういうクッションが私にはまだ必要だった。

そして引き取れる子たちはすべて避妊・去勢済みで予防接種やワクチンもしてくれており、迷子になった時の為にマイクロチップも入っているという徹底されたものだった。
そんなものが全て込みで75ドルで引き取れてしまうのだ。
私が飼っている子に避妊手術をした時は手術だけで85ドル、去勢は50ドル掛かったので、本当に安いと思う。
私と下の子は子猫たちの集う部屋に入り、座ってどの子がいいか選んだ。何匹かはすでに引き取り手がいて、選ぶのが結構大変だった。下の子の誕生日プレゼントだったので時間をかけて選ばせることにした。案外すんなりこの子がいいと決めたので持ち帰る書類なんかにサインをしてお金を払って、私たちの新しい家族が増えた。

その子には既に名前があって、私たちが付ける必要はなかったけれど、呼びにくいので縮めて呼んでいたら、それが結構呼びやすいので今はコトちゃんと呼んでいる。
とても元気で人間が好きな子猫だ。物怖じせず、ニコとモーキーにも興味津々でやんちゃだ。ニコは少し焼きもちを焼いているようだったけれど、ちょっとずつ慣れていき、再び三匹の猫に囲まれて穏やかな日々を過ごしていた。

ニコに異変を感じたのはその直後だった。首の上あたりに少しコブのようなものが出来ているのだ。猫に詳しい友人に聞いてみると感染症かも知れないと言われ、軟膏を塗る事を勧められたのでそうしていたのだけれど、そのしこりはどんどん大きくなっていきこれはただ事ではないと感じ、動物病院を探した。手術となると、猫用の保険何て入っていないのできっと大きなお金がかかるだろう。大体この位かかります、というのを聞いて足りそうにないお金を貯めた。大抵の動物病院はその日にお金を払わなくてはいけない。友人に聞くと癌だった猫に一万ドル掛かったとか、手術に4000ドル掛かったとか、今の私には到底無理な金額でどうしようと思った。でもどんどんしこりは大きくなっていくし、その部分をひっかき始めたのだ。引っ掻いた場所は傷ができ、傷がかゆいのか、どんどん掻いてしまう。
おかしいのはそのしこりだけで、あとは何も問題なかった。ちゃんとご飯も食べて、トイレにも行く。他の猫とも喧嘩をしない。

でも怖かった。
お金が無い事に対するいら立ち。
自分は無責任な飼い主だという、恥ずかしさ。
何でこんな事になったのか、というやり場のない憤り。

そんな時、見付けたのが低コストの動物病院だ。しかも、スクラッチペイと言って分割払いが出来るのだ。急いで電話をすると、月曜か水曜に食べ物・水を摂取していない状態で連れて来て下さいという。
月曜日まで、3日あった。でも、何故だか救われた気がした。

金額がグレイな他の動物病院に対し、その病院はきちんとおよその金額を提示しており、分割払いも可能で、動物の命を救いたいのだという優しさというか、思いやりを感じた。動物を飼っている人間はお金に余裕のある人ばかりではない。そういう人たちの存在を認めてくれている感じがした。

ペットを飼うこと、家族に迎え入れるという事は結構大変で、それなりに責任感も必要だ。飽きたからと言って捨てたり、怪我や病気になった時にすぐに病院に連れて行ける経済力も必要になってくる。もしもペットが他人を傷つけてしまった場合、その責任は飼い主が負うことになる。
私の住む地域ではペットに避妊・去勢をさせない飼い主には罰金が科せられる。それほど外には捨てられた動物たちがあふれ、無駄に命が殺されてしまうのである。
悪徳ブリーダーの話もよく聞くし、そもそも動物が好きならなぜ血統にこだわらなければいけないのだろうか?雑種でもかわいいではないか。雑種の何がいけないというのだ?血統書付きでも売れ残れば処分される子たちもいる。
動物だからといって、何で生まれてきただけで殺されなくてはならないのだ?

月曜の朝一番に、ニコをキャリーに入れ病院に連れて行った。
一軒家を改造したような作りの動物病院は、ちょっときつい感じのおばさんと、引っ込み思案な若い女の子が受付をしており、たのもしく感じた。
必要な事を記入して、体重を量ってもらうついでにしこりと傷を見てもらう。傷を見た女の子は急いでドクターに診てもらえるようにはからってくれ、一番に診てもらえる事となった。
ドクターが診察している間におばさんがどのくらい費用が掛かるのか説明してくれた。
しこりの除去の手術が1000ドル、レントゲンと薬代を入れてあと130ドルくらいです、と。そしてスクラッチペイを利用するなら今のうちに申し込みをしておくとスムーズよ、という感じで、もっと早くここの存在を知っておけたらどんなに楽だっただろうと強く思った。
もっとお金がかかると思ってしまい、病院に連れていく事を躊躇していた。
どんどん大きくなっていくしこりをみながら、怖いくせに、不安なくせに、お金が無いからというこじつけで後回しにしていた。

私は酷い飼い主だ。

そしてドクターの言葉は私の心に、返しの付いた釣り針のようにじじりと突き刺さった。

「癌が、肺まで転移しています。しこりをとって少しでも楽にさせてあげるか、今日ここでお別れするか、どっちにしますか?」

元気なんです、ちゃんとご飯も食べて、私の上に乗って眠るんです。トイレもちゃんときれいにするし、他の猫とも楽しそうに遊ぶんです。そして、お気に入りの椅子の上にジャンプするんです。

声に出来ない言葉が脳内を駆け巡る。

こぼれそうになる涙を必死でこらえ、
「手術してください、お願いします」
と言った。

今日ここでお別れするなんてできなかった。そこまで深刻な状態なんて思えなかった。きっと飼い主特有のエゴなんだろう。恋人のような愛しい猫にちょっとでも長くそばに居て欲しいという、自分勝手な我儘なんだろう。

手術に耐えられず、途中で死んでしまう場合もあるがそれでもいいかと聞かれた。
それでもいいと、私は答えた。

ニコの他にも猫が一匹、犬が数匹手術を待っていた。
大型犬に顔を噛まれ、口が閉じなくなった小型犬や、車にはねられた外飼いの猫、傷が化膿して切断しなくてはいけなくなった大型犬等、みんな大変そうだった。

受付の女の子が、長くなると思うので一度家に帰った方が良いと促してくれ、そうする事にした。
連れに電話して手術をする事にしたと告げると、自分だったら安楽死を選ぶな、と言われてますます打ちのめされた感じがして、帰りの車の中涙が止まらなかった。苦しんでいるのは、ニコなのに、いい加減に感傷に浸り、悲壮感漂う自分に涙するというあほな飼い主だ。

朝10時前に家を出て、手術が終わり麻酔から覚めてきたという電話があったのが夜の10時。迎えに行っても、まだ完全に覚めていないので、何が起こるかわからないのでもう少し待ってくださいと、待たされた。
ドクターが出て来て、ニコの様子が伝えられた。しこりは全て取り除き、虫歯があったのでそれも抜いた。耳に感染が見られたのでそれもきれいにし、お風呂にも入れてあげた。麻酔から覚めている過程なので、ちょっと怒りっぽくなっているが、よくある事なので問題ないという事、餌を食べたいだけあげて、薬を決められた時間ごとにあげること、もし何か起きたらすぐに連絡していいし、心配なら救急病院があるのでそこで一晩預ける事もできるということ。痛み止めは強いので必ず何か食べてからあげること。

12時間ぶりに見るニコはまだ朦朧としている意識の中で痛いのか、悲痛にうめき声をあげていた。手の前に指を出すとぎゅっと握ってくれる。急いで家に連れて帰った。

家に着いても包帯でぐるぐる巻きになっている為と、麻酔の影響で思うように歩けず、でも緊急用の栄養食を目の前に置くとがついて食べた。

良かったと思った。
食べてくれている。
食べてくれる、自分で生きようとしている、そういう光があった。
それだけで、私の心は随分と軽くなった。

おしっこもした。

薬も6時間毎と12時間毎にきちんと与え、食べたいだけ食べさせた。

麻酔のせいなのか、少し目に濁りがあって焦点が定まっていないのが気になったけれど、次の日には随分と良くなった。

だけど、食べなくなってしまったのだ。
水で溶いて食べやすくしたり、好きな味に混ぜて注意をひいてみたのだけれど、あまり食べない。そして、お腹が膨らんできたのだ。
トイレにも行かない。
腹水なのかと思い急に怖くなり、次の日また病院に連れて行った。

血液不足で貧血を起こしていること、お腹にたまっていたのはガスで、浣腸をしてもらった。輸血用の血液がここには常備していないので、探してもらい、サンタモニカまで取りに行ってもらった。

その日10件の手術があり、随分長い間待たされた。
ドクターひとりに、助手が二人だと思う。
すごいなあと思った。
彼女は毎日毎日飛び入りでやってくるどうしようもない動物たちの命を救っている。私もニコの傷を見て、どうする事もできませんと言われてしまうのかもしれないとびくびくしていた。でもこのドクターはどんなコンディションの動物でも診てくれ、出来る事はやってみる。
低コストで良心的で、きちんと自分の出来たこと、出来なかったことを説明してくれる。

家に帰りついたのは午前一時を過ぎていた。
その後ニコのお腹をマッサージし、トイレに座らせたら大きなうんちをしてくれた。
冷たかった体温も少しづつ暖かくなり、添い寝をした。
薬が切れる時間に近付くと痛みでうめきだす。
薬の前に餌をあげてみて、食べたらほっとし、食べなかったらつらくなる。
魚の匂いの餌をよく食べてくれたので、緊急用の栄養食と魚の味の餌を混ぜてあげた。水も少し混ぜて、水分補給を出来るようにした。でも前のように食べてはくれない。
ドアの付いたキッチンの棚に隠れるようになったので、棚を一つ開けて、布団を敷いてそこでゆっくりできるようにした。トイレまで必死に歩き、粗相をしないようにちゃんと砂の上で用を足す。つらいはずなのに、何でこんな事を頑張るんだ?
出来る限り私はニコの側に居た。他の家族に影響する事は分かっていたけれど、ずっとそばに居たかった。
案の定寝過ごして、子供達が遅刻した。

食べなくなったらチューブを通すと言われた。

息を苦しそうにするようになった。
よく見ると、片方の鼻が詰まっている。
餌が詰まってしまったのかと思い濡らしてやっと取れた。
水も飲まない。
餌も食べない。
シリンジで少しづつやっても、苦しそうにするばかりだ。

ドクターに電話して、連れて行った。

何をやっているんだ、私は?

この移動がどれだけニコを苦しませているなんて考えもせず、己の別れの苦しみだけの為にこの子をこの世に留めさせている。

チューブだけは絶対に嫌だと思った。

暫く経って、ドクターから伝えられた。

鼻が詰まっているのは餌じゃなくて、血みたい。口にも血液の痕跡があるから、血を吐いたのかもしれない。肺に転移してた癌が結構速く進行しているみたい。彼は苦しんでいるわ。安楽死をお勧めします。

呼吸の出来ない恐怖の中、私はニコに無理やり食べさせようと、飲ませようと躍起になっていた。
どんなに怖かっただろうか?
酸素の中で溺れる不安。
ごめんね。
怖かったね。
酷いね。

ドクターは私とニコが最後の時を過ごせるように計らってくれた。

包帯を外されて心地よいのか、まっすぐ歩けるニコ。
きれいになったね。
しこりが取れて、よかったね。
抱っこすると穏やかに身を任せる、随分と軽くなってしまったニコ。

赤ちゃんだったニコ。
やきもち焼きの、ニコ。
よく拗ねて、おかしかった。

手を握ると、ぎゅっと握り返してくれた。

一時間ほど経った時、ドクターがやってきた。
最後、一緒に居ますか?それとも待機していますか?と聞かれた。

待機する飼い主もいるのだろうか?

抱っこして、小さなキャンドルの灯された手術台に乗せる。

つらいのかなあ?痛いのかなあ?苦しむの?
怖くなってドクターに尋ねた。

「大丈夫ですよ、苦しみませんから」

それでもつらかった。

腕にあらかじめセットされたピックには、ハート型にカットされた包帯が張り付けられていた。

病気なんて嘘みたいに穏やかだった。
本当は大丈夫なんじゃないか、なんて思ってしまう。

私はニコの手を握りながら、ドクターが優しく語りかけ、注射器から薬が注入された。

眠るように、あっという間だった。

本当にあっという間だった。

苦しみもせず、心臓が止まった。

呼吸をやめた。

死んだら、どこへ行く?

どこへ行ってしまったんだろう?

動物たちには安楽死が認められているんだ。

どんなに苦しくても、人間にはまだ一部の地域でしか安楽死は認められていない。

別れはつらいだろう。

苦しむ愛しい人間を見るのは、もっとつらいだろう。

私がもし呼吸できなくなったら、最後まで苦しんで死ぬしかない。
安楽死させてもらえるのかもわからない。

生きている事の恐怖が、死の恐怖に勝る事もあるだろう。
絶望の内に、かなしみを感じながら死ぬことを幸せと呼べるだろうか?
これから始まるであろう地獄のような痛みを待って、その痛みと共にのたうち回りながら死ぬことを頑張りましたね、と喜んであげれるだろうか?

同じ苦しみに晒された時、死にたくない人と、死にたい人は必ず存在する。

管に生かされるのは、回避したい。
薬で呼吸の出来ない恐怖は、本当につらい。
死ぬまで痛め止め漬けにされ、過呼吸の恐怖に震えながら過ごすなんて御免だ。

人間ももっと簡単に安楽死、出来たらいいのに。

ニコの火葬が終わり、引き取りに行った。
随分と小さな、でも香りのよいシダーウッドで出来た木の箱に収められたニコ。
ベルベットの袋を開けるとジップロックに砕かれたニコの灰。
こっちの火葬は骨を砕いて箱に入れる。人間のも砕かれる。

また小さくなったね。
ミミの灰の隣に並べ、スーパーで買ってきた花を活けて偲ぶ。

死って、本当にあっけのないものなんだなあと思う。
眠るみたいな感じで、あっち側に行って、永遠に目覚めない。
鼓動をやめた心臓と、呼吸をやめた肺。
その後どうなったのか?なんてまだわからないし、死後の世界や輪廻があるか、なんて知らない。
魂がもしも存在して、体に閉じ込められているのだとしたら、随分と酷い拷問じゃないかと思う。死後の世界が存在する事がよくわからない事と同じくらい、この私たちの呼吸している世界の事も不思議だらけだ。
生まれた時から私たちは、死に向かって一直線に歩いているのだ。
何のために?

こういう事を考え始めると、生きている事が薄っぺらになり、世界中の恐怖が無になり生きる事自体が馬鹿らしくなってしまう。

だから死にたくなる。

何かを成し遂げたら、何がいいのだ?
何かを残したところで、私はいなくなる。
目撃者ではなくなってしまう。

ニコはどこにいるのだろう?

父さんや、ミミ、ユキちゃんは、義母は?死にたくないといつも言っていた義母は何をしているのだろう?
死んだ人間と、生きている人間。
一体何が違うというのだろう?
死後でも恐怖は、不安は継続するのだろうか?

音楽は聴ける?
映画を観れる?
特別な感情を他人に感じれる?
それが生きている事の特権だったら、もう少しだけこの世界にいる事も悪くはない。

ああ、会いたい人、会えてない人、会うかもしれない人、そんなのに期待をしている。
出会えば別れは必然なんだけれど。

ニコちゃん、あんたに決めてよかった。
感情豊かな猫だった。
またな!

猫ちゃんを家族に迎え入れたい、もしくは寄付をしたい方は
PERRY'S PLACE
Heaven on earth
(818) 474-2700
info@heavenlypets.org
7342 Fulton Avenue
North Hollywood, CA 91605

https://heavenlypets.org/about/perrys-place/

ペットを病院に連れて行きたいけれどお金の事で躊躇している方、もしくはワンちゃんを家族に迎え入れたい、寄付したい人は
Kinder for rescue
Low cost pet clinic
4926 Vineland Ave. North Hollywood
818.505.0006

http://kinder4rescue.org/clinic/

どちらともカリフォルニア州ロサンゼルス近郊です。
少しでも誰かの役に立てたらいいな。

ロサンゼルスではうさぎの里親や家族になってくれる人も多くのシェルターで募集しているようです。少しでも殺傷処分される動物たちが減って、きちんと責任感のある飼い主が増えればいいと思う。(動物OKの賃貸も増えればな)
カリフォルニアでは飼い猫・飼い犬が6ヶ月になる前に避妊・去勢手術をさせない飼い主は罰金刑です。
カリフォルニアでは子犬工場で生まれた子犬をペットショップで売り買いする事は出来ません。ペットショップで売り買いできるのは全てレスキューされた動物のみです。
しかし未だにアメリカでは年間3-4百万匹の動物が殺傷処分されています。

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