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見えない人たち

憂鬱な日曜日。私は日曜日が怖い。月曜日なんかよりもずっと日曜日が怖い。日曜日なんてこなけりゃいいのに。いくらそう願っても日は昇りあたらしい一日が始まる。
小さな色々が積み重なって私は日曜日がだんだん怖くなっていった。初めは何となく楽しかった。だけど最近は日曜日が近付くにつれてどんより、気分が沈んだ。
外見も内面も何となくいいなあ、かわいいなあと思っていた人間が同性だったら限りなく恋愛に発展する確率は低い。友情は育めるかもしれない。しかし友情を育む事すら苦手な私はましてや恋愛となれば宇宙人と遭遇する事よりも難しい。怒った所もかわいいなんて思える人がいて、それを共通の友人に何となく話していたらそいつとその子がくっついてしまった。


ベテランのサーバーが三人ほど辞めていった。職場は新人ばかりでレベルは低いにもかかわらず口答えや言い訳ばかりは立派だ。簡単な事も指示無しでは動かない。出来る人間はちょっと経ったらレベルの高い所に行ってしまうか、他の仕事を見つけて去っていく。そんな新人たちをお客様の様子を見ながら育てていかなくてはならない。接客も別の仮面で頑張っていっぱいいっぱいでやっているような私である。半ば壊れそうになりながら、途中色んないざこざに巻き込まれながら、最近は残った新人たちも要領を覚えだして少しはましになった。


私は人の顔を覚える事が大体苦手で、どれくらい酷いかというといつも一緒に働いている人間が私服でスーパーで声をかけてきたらずっとこの人誰かな?とか考えていたり、ランドリールームで洗濯していたらいつもは来ない上の子がいきなり顔を出して来たとき、一瞬他人かと思ってハローなんてかしこまった挨拶をしてしまったり、人の多い場所で連れとはぐれたりなんてしたら似たような恰好した人が全て連れに見える。そのくらい酷いのだからたまに顔を合わせる常連客なんて覚えれるはずもなく、毎回お酒やビールをたのむ人たちにIDの確認をするもんだから、中には俺らは常連客なのに、まじで?またIDの確認するの?なんて気分を害される人達もいる。例外もあって、団体で来る中の人のうち一人だけなぜか特徴的な仕草や雰囲気の人がいる場合はその人の事は覚えているのだけれど、あとの人は覚えていないのでやはり再びIDの確認となる。そんな事で、他のサーバー達が常連客の顔を把握しているのに私は全くできないから、劣等感というか情けないというか悔しいというか、多分そんな感情は殆どなくてでも久しぶりに落ち込んだ。出来ないんだから仕方ない。IDの確認をしないともしアンダーカバーの調査員だったら仕事ができなくなるし罰金も科されるので、文句を言うやつらには言わせておいて私は私の仕事をするのみだ。だって彼らが私の給料を払ってくれるわけではないんだし、罰金も払ってくれるわけではない、だから顔なんて覚えられなくても恥は一瞬だ。これが10年前とかだったら私は怒られる恐怖のためにきっとID確認を放棄しているだろう。だから案外自分を守れるようになってきたのかもしれない。他人は誰も赤の他人を守らない。身内だって守らない事が多いじゃないか。


今週もまた憂鬱な日曜日がやってきた。スーパーボールというフットボールのお祭り騒ぎで夜10時を過ぎるまで全く忙しくなく、時間がいつもの倍の速度で過ぎていくようだった。10時を過ぎたあたりから少しずつ客足は増えたが、やはりいつもに比べて余裕があった。11時過ぎた頃一人の薄汚れた白人女性が申し訳なさそうに入ってきた。落とし物をしたそうで電話を貸してくれないかという事で、私はつい仕事中という事を忘れていつもの癖で電話を貸した。困っている人、助けを求めてきた人、私もそこにいたかもしれない、そうなる可能性はあるから私はそういう人たちを放っておけない。これは偽善なのだろうか?結局毎回助けるたびに、本当は何も出来なかったのではないかと罪悪感に苛まされる。
どこかローラ ダーンに似た悲しそうな風貌の彼女は結局落し物は見つからず、一呼吸おいて話し始めた。
「今生活がつらくて、もしも何か仕事があればいいのだけど」
彼女の目は真っ直ぐで、薬中やアル中には見えなかったから、きっと精神的な病気があってまともなケアを受けれていないのだろう。私はアプリケーションを彼女に渡して、空いている席に通し記入してもらった。同僚が何で今は募集してないですって追い返さなかったの?何て言うから、嘘がつけない私はこういう時困惑してしまう。だって外にヘルプウォンテッドって張り紙してるじゃないか。


お客様の付いているテーブルを見回っている時ちらりと外を見た。荷物の積みこまれた赤いショッピングカート。彼女の物だろうか?やはりホームレスなんだろうか?その日は朝から雨が降っており、いつもは行列ができる私の職場もがらんとしていた。だから彼女は何の躊躇なく自分のカートを外に置いて入れたのかも知れない。雨の降る中彼女はどこで眠りにつくのだろうか?毎晩毎晩、時が経つにつれてもう元には戻れない恐怖を彼女は抱えて、少しの望みを持って仕事はないかと尋ねてきた。そんな人間をたった一言で突き放してしまえるほど私は冷酷ではない。ホームレスになる人間が悪い、なんて決めつける事が出来る程私の心は歪んではいない。
母親のものだというアプリケーションに記入された電話番号。そこに電話すれば彼女に繋がるのかはわからない。最後まで礼儀正しかった彼女は気をつけてね、と私を気遣い、私もあなたの方こそ気をつけてね、と見送った。
彼女の記入したアプリケーションを握りしめていると、同僚がはやく捨ててしまいなと面白そうに言った。私はそんな事出来るはずなく、呆れられること前提で面接担当の人にこういう人が来ました、ホームレスっぽそうでしたけど困ってそうで、良さそうな人でした、と渡した。彼はざっと目を通すと彼女の経歴に目がとまったようで、動物が好きな彼女は大きな動物をケアする勉強を大学でしており、その後アニマルシェルターのボランティアや獣医のアシスタントという職に就いていた。優しそうな眼をした人だったのできっと動物が大好きなのかもしれない。何が彼女をストリートに追いやったのだろうか?
面接担当の人はアプリケーションをしっかりと受け取ってくれた。もしかしたら彼女は電話がつながらない事で面接にこぎつける事が出来ないかもしれない。でも捨てられなかった。遊び感覚で仕事をやっているような人ではない。私は少し安心した。酷い人間ばかりではない事を知れたから。


そして月曜日の朝。再び雨が降っており私は下の子を学校まで送り、上の子を途中まで送った。雨のめったに降らないロサンゼルスでは傘を持っている家庭が少ないのか、大半の子供たちがずぶぬれで登校しているのだ。上の子もひどくなった雨にジーンズの裾が濡れて来ていたのだが、そんなのとは比べ物にならない位他の子達はずぶぬれだ。
上の子と別れた帰り道、前から小さなステレオを抱え薄汚れた、ちょっと見慣れた雰囲気の人間が近付いてくる。
「テリー?」
連れのいとこの三男、テリーだった。成人したらいとこは彼を追い出した。ゲイだとか、薬中だとか、刑務所を出たり入ったりしているだとかそういう事をたまに来る連れの兄に聞かされていた。久しぶりに会う彼はホームレスだった。前回スーパーであったときは友達とアパートを借りたと言っていた。あの時は身なりもちゃんとしており、中々のファッションセンスだと思った。でも今私の目の前にいる彼は薄汚れたスウェットに、泥だらけの顔。言葉を交わすといつも通りの気さくな彼の笑顔があふれだした。私が心配な言葉をかけるより早く彼は今からアパートに戻る所なんだと話し始めた。友達と新しいアパートを借りたからそこに荷物を運んでいるんだ、と。
嘘だ、と思った。絶対嘘だ。前回のも嘘だったのかもしれない。本当に大丈夫なの?私が心配していると、大丈夫だからと笑顔で彼は去っていった。
何で嘘をつくのだろうか?プライド?誰も助けてくれないという事を知っているから?どこに行くの?何で私は手ぶらで来たんだろうか?少しでもお金を渡せたら、彼は受け取っただろうか?電話番号も紙に書いておけばよかった。私は身内すら救えないではないか。


道端でホームレスを目にすると私たちは躊躇する。
汚らしい、薬中やアル中で人間としてクズだ、そう感じて嫌悪する人もいる。見なかった事にする人もいる。なぜかいつもお金を渡したり、食べ物をあげたりしてしまう人もいる。
きっと大半の人達は見て見ぬふりをするのではないだろうか?怖いから、本当は助け何て求めてなくてそっとしておいてほしいと思っているかもしれないから、声をかけない方がよいのではないか?もしかしたら詐欺かもしれない。そんな感じで、目の前に佇む、もしくは雨に濡れながら必死で毛布にしがみつく同じ人間を素通りしてしまう。
生きている人間なのに、彼らは見えない人たちだ。
私は見えない人たちをしっかりと見ているのに、一体何をすれば、何をしたらよかったのか?何をすべきなのか全くわからなくなってしまった。一時しのぎのお金や食べ物はただの偽善に過ぎないではないか?それ以上踏み込むべきなのであろうか?
簡単な疑問をインターネットにぶつけてみた。
”ホームレスの人を見かけたら私は何をすべきですか?”
”毎日見かけるホームレスの人間を助けたい、何かをしてあげたいと少しでも感じるならシェルターや団体の電話番号、住所等書いた紙を渡してあげると良いかもしれない。ホームレスの中にはそういう団体やシェルターの存在すら知らない人も多くいる。もしも近所にシェルター等が存在するのなら場所を教えてあげるのも良いかもしれない。
もしも病気だとか怪我をしているのなら救急車を呼ぶべきだ。もしくは市に呼び掛けてみるのも良い”
アメリカでは311という電話番号がこういう時に役立つらしいが、現状は表面的な一時的な解決に過ぎず、ホームレスの荷物や寝具の強制撤去といった悲しい結果になってしまい、撤去された荷物を返してもらえたという人はゼロに等しい。ホームレスを救助する市の団体や民間の団体もやはり人が足りず職員も安月給なので入れ替わりが激しいようだ。大都市になればシェルターのベッドの数も足りず、毎日行列ができる。
現状は思ったよりも芳しくないし深刻だ。
助けたい人の数に対しホームレスの数ははるかに多い。助けようとしている人も明日は我が身のような事態だ。
その場しのぎの小銭や食料でもきっと大丈夫だ。
”お茶でも買って話をしてみる事も良いかもしれません。
もしホームレスだという理由でカフェやお店から追い出されそうなホームレスが居たら、食べ物を買ってあげるのもいいかもしれない。道端で時間を過ぎるのを待つ、というのはどれほどの苦痛であろうか?コーヒーでも買って話をしてみるのもいいかもしれない”
”親子連れのホームレスを見かけたらどうすればよいですか?”
”子供達は決してストリートで寝るべきではありません。シェルターに断られたという人もいるかもしれませんが、311に連絡するなり、シェルターの場所を教えてあげるなりしてください。子供の友達又はクラスメイトがホームレスかもしれない場合、学校に報告してください。多くの大人が問題を把握しているという事は大切です。親子連れの場合比較的優先的にテンポラリーハウジングや低所得者用のアパートに移れるかもしれません”
一つ一つは小さなことかもしれないけれど、誰かが始める事により周りの人も感化されるかもしれない。彼らは見えない人間ではない。存在して必死に耐えている、途方に暮れている、もしかしたら諦めているのかもしれない。でも誰かが声をかける事で、名前を呼ばれる事で、以前の暮らしに戻ろうと動き出すかもしれない。


私もテリーをできるだけ助けようと思う。シェルターやリソースを記入した紙を持ち歩き、ギフトカードやバスパスなんかも常にお財布に入れておけば急にあった時に渡す事が出来るじゃないか。一番難しいのがそのお金をドラッグやアルコールの為に使わないか?という事だ。だからギフトカードという形にしようと思うんだけど、連れのいとこは子供達の為にとあげた洋服なんかまでお金に換える人である。それを小さな頃から見てきたテリーももしかしたらギフトカードなんかを売ってお金に換えてしまうかもしれない。そうしたら助けるどころか殺してしまう。でも、テリーには嘘をつかず頼ってほしい。私は頼っていいのだと気付かせたい。私は彼が三歳の頃からずっと見てきた。小さな子供だった彼が生きる術を知らず路上を彷徨い若さを蔑ろにしているのがつらい。

道のりは険しく長そうだ。

私はここに存在している。
あなたがそこに存在し、彼らが透明でないように。

(今回使用した写真は去年の死者の日の展示物、ロサンゼルスのストリートで亡くなったホームレスの人たちを祀ったオルターやその一部です。)

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