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マクロ的コミュニティ:さとのば大学信岡さん(コミュニティの教室002)

昔から気になっていたgreenzが学校をやっていて、「コミュニティ」をテーマにした場をつくると聞いて申し込んだコミュニティの教室に参加している。

第1回はポットラック、第二回はgreenz編集長のなおさん講義で、第三回がプロジェクト共有のオンラインミーティング。今回は第四回はさとのば大学の信岡さんの授業。(講義形式は2回目なのでnoteは002)

講師:信岡さん(さとのば大学)

さとのば大学は、信岡さんが起案する地域を旅する大学の名前。
(▼クラウドファンディング中とのことなので、是非見てみてください。)

多彩な講師のレクチャーを聴いて仲間と議論できる「オンライン学習」と、リアルな地域課題に実地で取り組む「プロジェクト学習」を組み合わせた新しい学びの場です。(greenz記事より抜粋)

もともと2016年から都市と地域をつなぐ「地域共創カレッジ」を立ち上げ、都市に居ながら地域と関わることができるコミュニティづくりをしていたとのこと。

そんな信岡さんが6−7年取り組んできた「コミュニティ」というものについて、考えを共有してくださいました。

マクロでみたコミュニティと、社会の状況・今後について。

1.信岡さんのコミュニティとの出会い
もともとは環境問題に関心があり、「不都合な真実」を読んだりしながら、地球1個分の資源を人類はすでに使ってしまっており、成長を押し上げるのではなく、むしろ成長を緩やかにしていかなければならないと知った。
反面、働いているIT企業では連日「どうやって成長するか」「価値をあげて上場するか」ばかりにフォーカスして働いており、そのアンバランスさから体を壊した。それが、サスティナビリティや地域社会といった領域で活動し始めるきっかけになった。

2.持続可能性とは
環境・社会・経済の3つが重なり合うのが持続可能な社会と一般的には言われてきたが、近年間違いだとされている。

大枠としての環境の中に、社会があり、その中に経済がある。

もともと、社会や経済がなくても、環境自体は持続可能だったし、経済がなくても社会は持続可能だった。しかし、行きすぎた経済が環境のキャパシティを超えてしまったから、持続可能性が求められるようになった。しかし、ブームだった頃に比べると最近「環境問題」とか聞かなくなったし、環境という枠は軽んじられ、経済の持続可能性にみんながフォーカスするようになってしまっている。

3.地域について
「地域」は社会としてわかりやすいサイズで、実験できるサイズ。まず、その地域で持続可能な社会を作ることができたら、それを国へスケールしていけると思って、海士町でまずトライしてみた。

4.日本の人口と社会のかたち
これまでの日本の人口は、少しずつ増えながら、江戸幕府が始まって平和になっていった頃から増加率が上がり、1900−2000年の100年間では圧倒的な人口増加があった。2000-2100年は反対に圧倒的に人口が減っていく社会がこれから訪れる。

5.なぜ減るのか?
東京の出生率は1.2くらい。海士町は微増していて、地方にも関わらず待機児童が発生するくらい出生率伸びている。
都会(東京)は稼げる人に向けて最適化されていくので、生きているだけでお金がかかる。また、大人は小さい面積でも暮らせるが、子どもの方が広い場所を必要とするので、子どもの居場所がない都会では育てにくさがある。結果、産み育てにくい社会を作ってしまっている。
本来、出生率は2.0あってはじめて人口が安定する。1.4は三世代で半分以下になるペース=絶滅危惧種状態。それくらい、人間に適さない状況が今の日本にある。人間のサイクルは20年くらいだから絶滅はまだまだ先だが、3ヶ月サイクルくらいの虫で言うところの20年くらいで絶滅するレベルにある。

6.持続可能な社会にするためには
田舎で地域活性に携わっていく中で、都会から地域へ来る人たちは「結局、補助金や国のお金を使いながらやっているんだね」「株式会社なのに助成金使うんだね」と言われる。経済という軸だけで判断するのはやめて、家族というメタファーで考えてみると
①都市は稼ぐのが得意なお父さん②農村は育むのが得意なお母さん
みたいなもの。このチームを組み合わせて、どうやって日本を作っていけばいいのか、考えていきたい。

7.コモンズ(共)とは

もともと日本で中心になっていた「世間」のこと。「〇〇村の〇〇さん」「□□家の□□」とか「五人組(課税システム)」みたいな組織単位があった。土地から縛られていたという側面もあるが、それで成り立っていた。
土地に縛られずに、移動ができるようになった現代においては「企業」という形で「終身雇用」「健康診断」などを担っている。しかし、次第にその基盤が弱くなり、終身雇用の崩壊・成果報酬システムの強化があったから、新しいコモンズが必要。

パブリック(公)の役割は、幸せに生きるのが可能なラインを下げていくこと。反対にプライベート(私)は、個々が稼げる力を引き上げていくことを考えて動く。その間にあるコモンズは、公私の価値判断では評価に入らない部分を担う人もいるという部分を、共同体を作っていくことで成り立つようにする。
プライベート(私)で全方位的に(経済的にもそれ以外でも)生きていかなければならないという状況はしんどいので、コモンズ(共)を生み出してチームにしていく必要がある。

8.教育・社会で求められるもの
今は、「いい会社に入るための勉強」「安定した生活を手に入れるスキル」が必要だとされている。つまり、学校はプライベートの視点でしか社会を見せていない。そのため、これからは「未来を一緒に想像していける仲間と力」を育み、自分たちで仕組み自体から考え、作ることできるようになる必要があるのではないか?

9.社会構造
今は、パブリック(公)とプライベート(私)の間のコモンズ(共)のバランスがよくない。今後コモンズが増えていって、蜂の巣型みたいにコミュニティ同士が繋がった集合体としての社会になればいいのではないかと考えている。
パブリック(公)のトップ(国の指導者)を選ぶスタイルの自治ではなくて、数多あるコモンズ(共≒コミュニティ)がそれぞれ共創していけて、それぞれのコミュニティ内でが自分たちで実験していけるようになればいいのではないか。

参加者QA(一部抜粋)

Q:コモンズの中で共有しているものをどう分け合うのか、どうやって決めていくのか?(均等さや納得感)
A:平等(みんな同じサイズ)と公正(体のサイズにあったご飯の量)のどちらかによるし、ランダム性を持ちたがる人たちもいるかもしれない。それも含めてコモンズの中で決めていく。

Q:パブリックやコモンズ自体が機能する為には小さくあるべき、ということ?
A:パブリックも必要ではあるし、大きいからできることもある。一方で、全体のバランスとして小さいコモンズの数が足りていないのではないかと考えている。もう一つは連結性。例えば、「農家の平均給与をあげないと自治体の農林課の給与が上がらない」となると、必死に仕事するのでは。連結性見える化することでうまく機能していく気がしている。

Q:地域での「コモンズ」と都市での「コモンズ」は違うのか?
A:前提として「コモンズ・コミュニテイ・共」というのは、まだ正体を把握していないものみたいな感覚。テーマとして出てきていて、発明しようとしている段階で、形になっている状態までいっていない。Googleができる前のインターネットみたいな状態だと思っている。ただ、「開発する価値があるのでは」ということしか今はまだ言えない。
都市は貨幣経済が強い。一方で、その瞬間に払えるものしか評価できない。地域は時間軸や返し方が違う(いつもお酒を奢ってくれる人の息子の進路相談にみんなが全力で協力する)。
「場の思想」贈与は送り主があり、価格がわかるし、返せる。生命とか共同体って、場に返すしかないものがある。「これを大切にしてくれたら嬉しい」と思っているものを他人が大事にしてくれていたら嬉しいし、仲間意識が生まれる。それが、コモンズになっていくのではないか。場が良くなって嬉しいと思うかどうか。サッカーのサポーターとかに近いかも。

Q:コモンズは場所・エリアで紐づいているものなのか?地域の区切りがない中で、どうするのか?
A:わかりやすい共同状況は確かに場所・エリアだが、インターネット世代は土地に縛られたくない。だから、選択できるコモンズが必要なのではないか。エストニアとかの事例は「未来共有型のコモンズ」に近いのではないか。宗教もコモンズの一つかもしれない。

Q:今は、主体的かつ能動的に動ける人しか未来共有型のコモンズに行かないが、それはどうなっていくのか?
A:普及曲線のイノベーター・アーリーアダプター・マジョリティー・ラガードみたいな感じで、今は率先して動く人しかそこにいないが、開発が進み、般化されていけば参加する側が増えていくはず

Q:今信岡さんが発明しようとしているものからシェアできるヒントがあれば教えて欲しい
A:地域共創カレッジはミネルバ大学みたいに、みんなが刺激を受けて自分で考えていくための刺激物にしようとしていた。先生は発言が少ない生徒には発言を促す。みんなが考えたくなるテーマを投げる。
今はアクティブブックダイアログを取り入れたりしていて、共創の前の共学が必要なのではないか。インプットとアウトプットが並列処理しにくいので、オンラインの良さを生かしてやっていく。

まとめ・感想・次までの自分の宿題**

マクロで歴史や政治を踏まえて世の中を見てみると、「コミュニティ」と叫ばれる現代の事象は必然的でもあるのだなと感じた。
所属が地元(村)から企業へ移り、思考や思想、ビジョンコンセプトの共感性に移っていく中で、物理的ではない繋がりを基盤にした社会がどんな未来になるのかを想定しながらコミュニティ形成をする必要性がある。

人が今まで以上にコミュニティを選べるようになっていくからこそ、個々の価値基準や判断、意思が必要な社会になっているのだなと実感しました。


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シビックテックのCode for Japanで働きながら、小児発達領域の大学院生をしながら、たまにデザインチームを組んで遊んでいます。いただいたサポートは研究や開発の費用に充てさせていただきます。