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【未来の仲間ナティーアに向けた日記2021/8/15】〜それぞれの平和/日常生活が世界につながる〜

2021年の日本は、COVID-19の流行の中にあり、これまでのパラダイムでは立ち行かないところにいるように思う。今だから書き残せること、在野の特に名も無い人間だからこそ置ける言葉があるのではないか。ある日、未来の人類について考えていた時、「ナティーア」という女の子の名前が思い浮かんだ。この日記は未来の仲間「ナティーア」を思いながら書く日記である。

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〜それぞれの平和:日常生活が世界につながる〜

今日は、終戦記念日だった。戦後76年。この時期になると「戦争」と「平和」についてメディアで多くのことが報道されたり、学生時代は平和教育があった。でも、自分にとっては、あまりに手触り感が薄いことで、安易に感情が揺さぶられることの怖さへの嗅覚も働いて、近寄り難いものになっていた。

だから、まさか自分がこの日に「過去とのつながりの対話」などというものを開こうとは、全く想像ができなかった。「戦争」や「平和」への思いに大きな転換があったのは、今年の7月に広島に始めて足を踏み入れ、原爆ドームと平和資料館を見たことがきっかけ。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」という碑を見、原爆に苦しめられた1人1人の人生に出会う中で、変化が訪れた。これを見て、原爆を落としたいなどという人間がいるだろうかと思ったとき、逆に誰でも加害者になり得る、という感覚が湧き上がってきた。

あの時代、多くの"普通の"人たちが、殺し合った。殺し合うなんて、誰が望んでやっただろうか。でも、時代の流れが、自分の立場を守ることがそうさせたんだろう。そう思うと、私たちの日常と変わらないではないか。毎日生きている中で、自分の立場を守るために、誰かを攻撃することや、違和感を感じても、流れる空気に乗ることはいくらでもある。その延長線上に戦争があるんだ。広島に来て思ったのは、そういうことだった。

終戦記念日の朝、みんなと対話しながら、その思いがより鮮明になっていった。私が「戦争」や「平和」ということを手触り感を持って感じられなかったり、だからこそ、何となく真っ正面から扱えなかった理由の1つに、「自分事にしてしまったら、見なかったことにできない」ということがあったのだろうと思う。それに自分が実は関与していたことを認めたら、自分が変わらざるを得ないから。

「戦争」や「平和」は私たちの日常にある。私たちが、毎日自分と家族と仲間と社会とどう向き合うかの中に、「戦争」や「平和」がある。今でも世界のどこかで起きている戦闘に思いを馳せると同時に、いや、だからこそ、私たちの毎日の「戦争」や「平和」に心を向ける。そうしなければ、嘘になる。

誰かから押し付けられた手垢のついた言葉ではない「平和」、「それぞれの平和」を感じながら、日々を生きて行きたいなあ、と思う。

ナティーア、あなたの生きる時代が、そうした「それぞれの平和」の重なりで生み出されるものでありますように。そう願うし、そこに願う一歩を私たちは出し続けるよ。



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