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【ここに来るまで】 1987-1988 はじめての海外は英国エセックス大学への交換留学

🌈  【ここに来るまで】シリーズ

このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドに移住し、博士号を取得して大学教員となり、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。

🌈 初めての海外: 英国エセックス大学への1年の交換留学

大学4年の時に交換留学生として、英国の国立エセックス大学に約1年留学したのが初めての海外でした。短期の海外旅行をしてから留学というステップが理想的だと思いますが、海外旅行経験なしでの留学は生活の点でも英語力の点でも大きなインパクトがありました。

この経験が自分の将来にどのような意味を持つのかは全くわかりませんでしたが、いま振り返ると言語習得への関心やニュージーランドへの移住の原点となっていることがわかります。

🌈  ブリテッシュカウンセルでの事前研修

大学の交換留学生の選考試験にパスした仲間6人と、渡英前に飯田橋のブリテッシュカウンセルでアカデミックイングリッシュの短期集中研修を受けました。僕は外国語学部の英語学科でしたが会話力がなかったので、この研修から苦労をしました。

🇬🇧  英国へ
モスクワ経由のアエロフロートでヒースロー空港に到着し、ロンドン郊外のフォレストヒルという街にあるホームステイ先に着いた時には夜10時ごろになってしまい、通りに人もいなくて不安だったのを覚えています。

ホームステイ先の家庭には小学生の男の子が二人いましたが、スペイン人、スイス人、そしてブラジル人もホームステイをしており、僕の留学生活は多文化の家の中で始まりました。

一緒にホームステイをしていたスペイン人の友人とホームステイ先の家の前で

大学の講義が始まる前に、Euro Centreという英語学校に1ヶ月通いました。上級クラスに入ったものの、クラスメートのスイス人やルーマニア人と僕の英会話力の差は大人と子供の差でした。

🌈  エセックス大学

エセックス大学は、古代ローマ人が建設した町コルチェスターという町にあり、1965年設立の比較的新しい大学です。広大な公園の中に大学があるという感じです。

僕の寮は大学の敷地内にあるタワーの一つでEddingtonという名前がついていました。専攻が20世紀の英文学だったので、朝から晩までひたすら本を読む生活でした。原書を読むことに追われ、講義などで英語を聴く機会はあっても話す機会がほとんどなかった留学生活前半が、第二言語習得におけるインプットとアウトプットの役割について興味を持つきっかけとなりました。

作家のD.H ローレンスの故郷のイーストウッドや、ダブリンにあるジェイムズ・ジョイスの Tower and Musem、アイルランドの西にあるアラン諸島まで足を伸ばしたこともいい思い出です。

クリスマスから新年にかけてのホリデーには、フランス、イタリア、オーストリア、スペインも旅行することができました。

今でも強く印象に残っているのは
❤️オランジェリー美術館のモネの睡蓮
❤️システィナ礼拝堂
❤️ゲルニカ(当時はマドリッドのプラド美術館。現在はソフィア王妃芸術センター)
❤️バルセルナのサグラダファミリア

🌈  この経験を振り返ると

振り返るとこの留学経験は、ニュージーランドへの海外移住、大学院への進学、そしてニュージーランドの大学教員トップ10の一人への原点でした。(その記事はこちら)

みなさんの初めての海外経験はどんなものだったでしょうか。その経験は現在とどのように繋がっているでしょうか。

何がどう繋がっていくかその時はわからないので、一つ一つの経験を大切にしていきたいと改めて思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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