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日本美適進化論:社会の鮮度

自分が良ければそれでよいという短絡的な結論で済ませられれば、すべてがそれで良くなってしまいますが、人は影響し合い生きているので、社会性のある大人であればその時点で責任を放棄した発言だと思うことがあります。特にリーダ―としての役職がある方の場合、その思考は行動に現れ身勝手だと周囲に評価されかねません。しかし先日、かなり久しぶりに東北でたくさんの方々との情報交換をした際に、コロナ感染症の流行による経済的な打撃は震災よりも酷いかも知れませんという話がでました。特に誠実に自主規制を設けて対応したその反動は、町の活気を無くしたまま回復策を見いだせずにいる苦しい状況も伝わりました。より周囲の目を気にする土地柄や県民性のようなものが、良い効果となって現れることばかりとは限りません。

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時と場合によるような柔軟性が必要な状況を画一的に処理しようとすると、多くの理不尽さを生みだすことがあります。「そのような決まりですから」「ルールには従わなければなりません。」という白黒をつけることが仕事だとするより、理不尽を生まずよく相手を観て判断できる柔軟な対応をすることで、心情的な悪意を取り除き丁寧に取り組めるような仕事につなげたいものです。改めてルールや規則はあくまでも目安でそれに従うことでガバナンスは保たれますが、協力したくないと思わされるほどの理不尽さを抱かせては、それを決めた体制に向かう不本意な悪意を助長しかねず、社会の鮮度そのものが劣化しそうです。

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日本人は、侘び寂びの染み入るような心の背景や、曖昧さやグラデーションの繊細な美意識を持ち併せているはずですが、社会でそれが上手く機能できず、コミュニケーションに於いの優しさがただの無責任さだったり、強さがただのエゴだったり、何が責任で何が強さなのかを我が身を振り返りながら仕事をブラッシュアップする毎日。いまこそ、女性のしなやかさとキメ細やかな感性を、規則やルールを気持ちよく納得して協力できるような体制づくりに活かせることを心より切に願い、変化をし続けることでよどみが流され、新鮮な空気が入れ替わるような社会の鮮度が保たれると感じています。



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