"障害"って結局、なにもの? 発達障害は個性か、特性か。それとも天才なのか。

はじめて自分に「障害がある」と知ったとき、号泣した。

悲しいからじゃない。

長年の苦しみの理由がわかった自分が何者かわかった安堵感からだった。


できないのは、あなたの努力不足ではない」という本のなかの一文をきっかけに

26年溜め込んでたものが、すべて水分になって流れ出た。


どうやっても集団からはみ出る。

どんなに「普通に」とがんばっても、変わりモノ扱い。

みんなが無意識にできてることが、まったくできない。

みんなが興味あることには、興味がない。

会話は噛み合わない、誰の心とも交われない。

落とし物、忘れ物、遅刻グセ。

20歳になっても、子供の頃と変わらず何時間もアリを眺めたり、空をみて空想の世界に入り浸るような子だった。


あまりに地球に馴染めないので

「きっと私は、間違って地球に生まれ落ちてしまった宇宙人だ」と信じ、採血のときは「血が青いのがバレる!」とよくわからない心配をしていた。

それほど、私にとって地球の居心地は悪いものだった

こんなにも美しい星なのに。

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あれから(発達障害と判明して)、13年。

大した対策も練らず、「人の3倍努力する!」という根性論で突破しようとした13年。

転び、傷つき、鬱になり。それでもパートナーや友人、家族にも話さず、孤独に戦ってきました。

それが、あれほど頑なに「普通」を装っていたのはなんだったんだろう、というくらい、ここ数年の環境に変化がチラリ

大きな要因は、発達障害の認知度があがり、身近な人にナチュラルにカミングアウトする機会が増えてきたこと。

反応は、といえば人それぞれ。
思い返す限りの反応を寄せ集めてみました。

パターン① 努力不足、気合いれろ系
「それは言い訳。できないのは努力が足りないからだよ」

▶これは発達障害の方へのタブーな発言ナンバー1。これを人から言われるごとに、当事者は心を閉ざしていきます。
パターン② 個性とみなす系
「まあ、あんまネガティブにならず。発達障害って悲観するより、個性を活かせる環境に身をおいたらいいんじゃない?」

▶発達障害を「個性」といえるほど輝いてる当事者は、ありのままを肯定されて育ったか、すでに大変なものを乗り越えてきた人。自尊心が地の底にあるところから、”個性といえる強さ”と”自分にあった環境”を手に入れるまでが当事者の課題なんですよ…。
パターン③ あの天才もそうだよね系
「坂本龍馬とかエジソンもそうだって説があるし、自分の才能を活かしたらいいんじゃない?」

▶「天才」はあくまでも後付け。裏表のない喜怒哀楽で人を引きつける人間的魅力、圧倒的な発想力、一つのことに没頭する過集中、人に影響を与える熱意…そんな発達障害の特性をうまく活用できたら、「変人」ではなく「天才」の称号を与えられます。が、ほとんどの当事者は普通の生活も人間関係もままならず「変人」扱いで生きづらさを感じています。
パターン④ 「私もそうかも」便乗系
「私もそういうとこあるある!完璧な人なんていないし、誰でも割とそういう傾向あるもんだよ」

▶フォローのつもりかもしれないけど、当事者としては複雑。まるで「あなたの気のせい」「ネガティブに考えすぎ」と否定されているようで、なんだかモヤモヤが残ります。
パターン⑤ 無関心および、どう反応したらいいのか困る系
「あ、そうなんですね…へえ」

▶素直な反応ともいえるけど、こちらはある程度覚悟をもってカミングアウトしているので、家に帰ってから考え込むかもしれません。個人的には、"無関心"というものが、時に誰かの生き辛さにつながると感じます。
パターン⑥ 私のほうが大変!不幸自慢系
「発達障害なんてまだマシだよ。私なんて生い立ちが…」

▶こちらのカミングアウトを自分の話にすり替え「私のほうがすごいんだから」というのは、不幸自慢さんかお話泥棒さんの仕業です。いつも自分のことばかり話す人に共感を期待しても難しいので、こういう方には何も求めず、潔くあきらめます…。
パターン⑦ 断じて受け入れない、否定系
「〇〇ちゃんは障害者なんかじゃない。普通だよ!」

▶「障害」という言葉に過剰反応し、まるで友人のパーソナリティが変わったかのように感じるのかもしれません。が、発達障害でもあなたの友人であり「私」であることに変わりはありません。励まそうとするあまりの発言だろうけど、当事者には人知れず「普通」を懸命に演じてきた辛さがあるんです。


じゃあ、結局どうせえっちゅーねん!

というツッコミが聞こえてきそうですが…^^;

ただ、ひとり。黙って聞いてくれた人がいました。

言葉少なに、うなずきながら、こちらの話をそのまま受け入れてくれました。

十分、そのときの空気から、非言語の安心とやさしさを感じました。

いま、その人は最愛のパートナーです。


結局、「障害」ってなんだろう?

発達障害は見た目には、そうだとわかりません。

でもその内側で当事者は、周囲の理解が及ばない苦労と生きづらさを抱えています。

発達障害は、「生きること」そのものに苦労が伴う障害です。

朝寝坊しないで起きる、遅刻しないで約束の場所に行く、良好な人間関係を長く保つ、お金の管理をする、物事を計画的に進める、迷わないで目的地にたどりつく、財布やカギはなくさないように、ゴミはゴミ箱に捨てる・・・

脳内物質の不調和によってそれができないというのは、外からは分かりようがない。

本人は自分を責める、できない自分に落ち込む。

他人からはバカにされる、だらしないと思われる。

そんなふうに「自尊心を失っていく」障害です。


今は少しずつその原因や症状を緩和させる方法も分かってきています。

私は障害と呼ばずに「特性」と呼びたい。

生活に支障のあるところは改善させていって、

ストレスのないライフスタイルを選択していくこと。


それは「逃げ」ではありません。

障害は「環境」が作るものだから。

その人にとって最適な居場所がみつかれば、それは障害ではなくなるんです。


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