7月22日 地元なんだけど行ったことないところへ。魔術的読書論。
大阪神戸へ出張があったあと、1日休暇を取っていま西明石の松江海岸のハンバーガー屋さんにて朝からコロナを飲んでいるという状況。
コロナビールはコロナ禍でさんざんな目にあったと思うが、だいぶましになったのだろうか。
ハンバーガーを食べるのも1年ぶりくらいだろうか。基本マクドでも(東京で入ってもマクドなのは不思議ですね)コーヒーしかのまないし、普段はパン断ち(というかなんちゃってグルテンフリー)しているので。
今日は休暇なのでチートデイプラス非日常、ということである。昨日夜も普段は最近はやめている餃子定食だったし、ごはんは大盛であったし。
まあ、体重を測ると推定67キロにはなっているだろう。最近は64キロくらいなので3キロはたぶん太っている。
一昨日は鳥貴族で2人せ9000円ほど、鳥関係を結構食べまくった。
今日の晩東京に帰る予定だが、体重計に乗るのが怖いところだ。。
私は神戸市で育った期間がたぶん15年くらい、あとは尼崎市と明石市が合計3年くらいと、高校卒業までの18年は基本兵庫県民であった。神戸といっても明石寄りで、毎日淡路島の灯台の光を見て2段ベッドで眠ったことをいまだ思い出す。
なので、今日来ている西明石の松江海岸は、幼少時に見ていた海の風景とだいぶ近い。それでぼんやり見ているとほっとするのだろう。
中学・高校の通学でも朝晩はずっと海を見ていた。景色に海がある時間を、脳内感覚では年を取ってからとは違う長い時間の流れのなかで多くすごしたことを、こうして海を見ながら文章を打っていると改めて実感する。
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アドルノの書物論が(恐るべき難解さにもかかわらず)わたしに魅力的なのは、彼がその後、魔術的な世界へどんどん足を突っ込んでいくためである。まず書物はからずしも読破しなくともよい。
四方田犬彦さんの”人・中年に至る”を引き続き読んでいる。本好きな四方田さんの本に関するコメントが楽しい部分を引用する。同書P.59から引き続き。
いや、極言するならば、頁を捲らなくともよい。長年にわたって本棚に並べられた背表紙を眺めているだけで、そこから眼に見えない滋養のような雰囲気がかもし出され、人に影響を与えるのである。
ここなどは”積読”の積極的評価、というべきものだ。引き続き引く。
ある書物は、手にするとかならず同じ頁が開けてしまうことがある。これは疎かに考えてはならない。というのもその書物が読み手に送るメッセージなのであって、その頁にはおそらくは読み手の未来を予言する何ごとかが記されているのだから。逆に子供のころから親しんでいて、いくたびも読み直し、しばらく姿を見せなくなったと思ったら、また思いがけないときに戻ってくるという書物も存在している。人生にあってもっとも大切な書物は整然とした本棚に仕舞われることなく、いつもどこかその辺りを動き回っていて、ここぞという時に持ち主の手元に戻ってくるのだ。
本が好きで、もちろん電子でもいいのだが、やはり紙の本はいいなあ、と漠然と思っているときに、このような”物神”的認識は心楽しいものだ。
(また本を買う言い訳を仕入れてしまいました。。(´;ω;`))
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。