5月5日 超越的覚知を獲た卓立無依の自在人。
まさに美文といおうか。あるいは単に昔の人々は自然こうした文章の中に在ったのか。
だが個人的には古臭いとは感じない。言い回しは重いかもしれないが、内容は心を浮き立たせるような面さえある。
何しろ(もちろん私が、とはいわないが)人は自在人となる可能性、あるいは未来、あるいは時期があり、自在人となればなんと「宇宙的動性そのものの本源にまで」「飛入」する、ということなのだから。
不安な状態で、「この世の生」はあると思う。日々、想う。
不安が不安のままで終わるだろう、という諦念のような思いもまた、ある。
なので人はそうしたものの「本源」、本能的に求めるものなのだ、と思う。
答え、という形では、たぶんないだろう。
だが、「本源」のようなものがある気はするのだ。
すべてを含み、あるいは表現者によっては「一」であったりあるいは「神」であったり。
そうした「かまえ」としてあるだろう存在、あるいは状態。
そこに限りなく人は、
あこがれるのだ、と感じております。
(本源。深淵。原初。川の源泉みたいなものでしょうか)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。