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7月8日 狂気と生き方。

「狂気なしで生きている人は、自分が思っているほど賢明ではない。」
                         ラ・ロシュフーコー

狂気というほどではないにしろ、自分の通常営業が大きく道から外れるような熱気は、日々のなかで必要な気がする。

オタク、が差別語でなくなって久しいような感触があるが、多くの人々がオタクを名乗るようになると、そこに狂気的なものがあるかないかが真性オタクかどうかの分かれ目である気がする。

別に真性でなければオタクではない、と差別的に特に言いたいわけではないと思いたいが、まあオタクが”知識や経験勝負”みたいな人との比較に陥りがちな状態である気もするし、そもそも”比較は地獄”というのは私も常々思うところでもあるので、地獄のない世界で生息したいとは思っている。

狂気、とは時に深みにダイブすることにつながるし、自分の立っているところを堀に掘ってどこまでも、時空と宇宙と時を超える精神状態に入るためにも有利、というと語弊があるかもだが、しかしそうであろうと思っている。

酒をドラッグの一種と思えば、そのとっかかりにすることもできるだろう。池田晶子さんがご自宅で酔うほどに覚醒する、という体で飲酒なさっていたことなども思い出す。

無理に狂気を演じる必要はない。演じることはむしろ危険だろう。演じるときには”自身は演者=真の者ではない”という意識による焦燥感がどこかに隠れている時も多かろうから。どちらかというと”日常生活での演者”にその感じは多い気がするが。

(オタク、とは他者がある人のことを形容するときの言葉であったような気がします。いまは”それにメッチャ嵌ってます”という意味で自身を表すことととほぼ同意となっている気がしますね)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。