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12月6日 未だに神でない神について。そして中華・ナン祭りで体脂肪アップのこと。

今朝の体重65.1kg、体脂肪はなんと15.6%であった。



これはいささかショックで、この5-6年で一番高い体脂肪かもしれない。
体重がそれほど上がっていないのもショックなところだ。

年末は結構出張会食が多いのと、出張でトレーニングの時間が取りにくいものだ、と実感している。
まあ、この会社に来て1年とちょっと、1年の流れは1回しか体験していないので、夏・冬のパターンを練り直してゆくべきところかもしれない。

もう一つはこの1-2週間ほど中華とナンカレーの割合が高かったことだろうか。餃子にあんかけ中華飯、ラーメンやナン食べまくりということが多かった。

まあ、グルテンフリーに振れすぎると、たまに脳内で”チートデイ!”などという言葉が浮かんで暴れてばくばく食べてしまう。これで体重と体脂肪が増えるとわかりやすく絞ればいいのだが、この体重であれば、実は筋肉の絶対量が落ちているのかもしれない。

まあ、こうしたデータを見ながら一喜一憂するのも実は面白いことなのかもしれないのだが。

著者は、この不思議さに「離脱」の最も深い場所を見る。それは、この不思議さにおいて「私」は未だに「私」ではなく、あらゆる「所有」、あるいは、「我性」に汚されず、それから自由に、未だに神でない神の一様なる生命に安らっているからである。

最近読んでいるヴェルテの「マイスター・エックハルト」から、翻訳者大津留 直さんによる解説、P.271から引いた。

マイスター・エックハルト―その思索へ向かって思索する試み (叢書・ウニベルシタス)
マイスター・エックハルト―その思索へ向かって思索する試み (叢書・ウニベルシタス)
作者:ベルンハルト ヴェルテ
法政大学出版局
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私、という個別に分かれることで、仮にそれぞれの人間の魂に「神の残り香」的なものがすべからく含まれており(そしてそれを天使も悪魔も欲する、という構図)、人はすべて成仏ならぬ”たそがれに還る”ということがあるとしても、それが生を営むなかではゆがんで曇ってしまいがちである、というようなことをエックハルトは言っているように思う。

確かに個別最適は全体最適にはならぬ。人間界だけではなく、アース、という視点でもそうだろう。あるいは宇宙も、だろうか。

だが”それがイカン”と青筋を立てるのではなく、禅のように”解脱”を欲し、エックハルト神学のように”離脱”を欲すること。それが”一”へと還る道であるようにも思っている。

それはただ広く、豊かで、波に任せてたゆたうが如き、至福のところ、という気がする。場所としての”神”ともいえるかもしれない。

(未だ神でない神、という言い方は素敵ですね。。)



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