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一度死んだから言えること!

◉この日記で二番目に書きたかった事

そもそもこの闘病日記を始めた理由は、ワ〇〇ン云々よりも、ウィルスの存在そのものへの投げかけであり、入院現場での出来事を通して見て来たことや感じた事を、皆さんに伝えたかったからなのです。

そして、その長期入院を通して得た【道の開き方】とでもいう様なものを伝えることでもありました。

なので、少しばかり長くなりますが、これが斜め45度の感覚だと思って、読んでみて下さい。 

前の記事では自他共生、つまり【自他共に幸せ】である生き方を目指す事を伝えました。

これは、自分の幸せも周りの人の幸せも願う自分である行動を言います。これはこれで素晴らしいのですが、実はこれだと未だ道の途中になります。

簡単に言うと、【自他】と言う二極の考えでは無く、もっと大きな枠組みで捉えていこうという事なのです。

もちろん、その中には自分も含まれていますから、「私はどうなるの?」と言う寂しい思いもしないで下さい。

【自他】よりは【皆んな】という捉え方というか、立ち位置こそが大切なんだと、師匠から学び、ゆあんさんに背中を押され私は病院で実践して行ったのです。

そして、この【皆んな】という大きさが【愛】なのです。

沖縄の久高島の代々のノロは、毎日世界の安寧を祈っておられます。世界の中心で愛を祈っておられるのです。

人の愛では、実は小さくて好きな人以外は包括出来ません。私だけ、あなただけ、身内だけとか、友だちだけという限定を付けないと難しいのです。

この【世界の外の愛】とは、そんな区別なく【皆んな】になるのです。そんな大きさなのです。

その大きさの愛のほんの一部が人の中にあるのですが、先ほど書いた様に大きな意識というか大きな観点がなくては、上手く使え無いのです。

【皆んな】という意識と観点と行動なのです。

そして、リアル的には、【人はズレている】いや【この世界はズレている】もしくは【ズレてしまう世界】だと意識して、【皆んな】を使わないと直ぐに限定が起こるのです。

そこに立った時に、人は無意識に繋がれるのです。皆んなが幸せになれる行動を取るのです。

それこそが【ワンネス】というものなのです。ワンネスとは構想や意思や意識ではなく、大きな愛である自分だという事なのです。

それを、日々の生活の中に落とし込みながら、実行して行く事をするのです。それが【皆んな】という表現なのです。

これを書いている2024年の現在では、大震災が起きてしまい、この冬空の下で多くの人たちが辛い思いをしています。

多くの方たちは、石川県に知り合いも居ないでしょうから、「皆んな無事であってほしいな」とか、「皆さん早くに救われますように」と思っているはずです。

あなたと私という様な小さなフォーカスから、皆さん!という大きな投げかけへと変わっている、そうああ立ち位置で胸を痛めているはずです。

あなたと私だと小さな愛にしかならず、直ぐ周りの人は含めても、石川やその他の人は漏れてしまいます。

だけど大きな災害の時には、誰もが【皆んな】【皆さん】という事で応援しています。これが大きな視点であり【愛】なのです。宗教的な意味合いではありません。

そこから自分にできる事を考えてこそ、初めて自分の周りを幸せにしようとなるのです。

私が病院で味わった様に、今のこの国はどこかギスギスしています。怒りを抱えながら我慢して生きています。

「皆んなでって言ったって無理じゃ無いか」「被災者の元へも行かれない」とか思いますよね。何もしない自分を貶める様なキャンペーンに引っかかるのは辞めましょう。

出来る人はすれば良い。そうで無い人はそうで無い方法をすれば良いだけです。

人は主観がある事で、自分か自分でないか?という立ち位置を取ってしまいます。確かに子供の頃は皆んなでを習ったんですが、それは平等とか人との繋がりという小さなものです。

そうではなく、ここで言う皆んなの大きさとは、宇宙という引きで見た観点で言っているもので、そこから戻って、人もまたその中に全て含まれる存在なのだと伝えたいのです。

それが大きな災害などの時に、実際には誰もが行っているのに、日常ではそれが行われにくいのです。

それを踏まえて、普段から【皆んな】という概念が必要なのです。【皆んなで】ではありません。皆んな【皆んな】とは全てがであり、【皆んなで】となると強制ですからね。

その前に理解する事があるというか、順番があるのです。ズバリ、自分の目の前にある事から逃げない事です。

この場での説明は難しいのですが、少しかいつまんで話しましょう。ただ、私が様々な痛みと向き合い、介護士のボスのパワハラに出会わなかったのなら、取り組んでなかったのは確かです。

苦痛から逃げたい、避けたい、減らしたいという欲求に駆られている私は、その痛みから逃げていると、逆に安らいでいた体が余計に辛くなったり、望まない現象が2度も3度も続いたのです。

簡単に言えば体調が安定しないのです。さっきまで喀痰が無く、呼吸も楽で周りも優しかったのに、楽しい時間はあっという間に過ぎるのに、その逆の苦しみは続けて起こり、それも長く続くのはなぜ?と思ったのです。

それを紐解くカギが【量子力学】だったのです。自分に向かってくる運気の流れ、または自分が向かって行く先にあるものは、この世界の周波数です。つまり波です。この波をどう理解するか?なのです。
 
アインシュタインは波は粒々であると言い、シュレディンガーは猫を題材に、確定していない50%の重なりの世界を言いました。

この2つの考えから、どちらでもありどちらでも無い同時にあるものならば、不幸と幸せも同時にあるもので、それをまず認識し認めて、自分が幸せを選択すれば良いとなります。

ベタに言うならば、先ずは逃げないで自分に起こる現象をちゃんと見定めて、受け入れて、理解していく事が必要なのです。何を具現化するのか、猫が生きてるか死んでいるのか?を選択するのは私たち次第なのです。

そこを踏まえて、ある周波数の前回書いた二つの言葉を、呪文のように唱えるのです。意思や考えや欲を持たずに、ただただその言葉を口に出したり、心の中で唱えるのです。

そして、皆さんも知っている方の「ありがとう」の言葉は、事あるごとに口にして周囲へ伝えてください。私もそうして行きました。

そう言っても、苦しくて痛いのは同じですから嫌なものなのですが、逃げずに受け入れてその言葉を唱えて行くと、不思議に苦痛が速く収まるようになって来ました。

二波三波と痛みや不都合な事が、続かなくなり単発となって行ったのです。また逆に忘れて横着すると、直ぐに不都合が更に増えていきます。

真面目に続けていると、どんどんと波が穏やかになり、苦痛が軽減され、医療的にも治癒の方向へと進んでいくのです。動悸が下がり始め、肺の中の痰が上背部だけとなり、喀痰の量が減って来ました。

今風に言うならまさに【領域展開】ですよー♪でもこれは自分にだけ有利じゃないのがポイントです、自分い関わる全ての人に伝搬していきます。

でも精神世界的と言うか、スピリチュアル的なものだけでは、このリアルな世界は変化しません。道理というか理屈というか、そういうものをちゃんと意識して、そしてそれを起こす周波数を使っていくのです。

ここでは書けませんが、地球全体を含むすべての命にも共鳴する仕組みがあり、それを統計データーを取っている先生もおられます。ちゃんとして科学でもあるのです。

続く

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