生かされていることに気づこう
青空の広がる休日。
風に吹かれ、土に触れるのは何とも幸せな時間。
以前、雨天だと「雨かぁ~」とぼやいていた。
種や苗を植えると雨が降っても「作物にはちょうどいいな!」となる。
人間って勝手なものですね。
種をまく、芽が出てくるのを心待ちにする。
「お・・・!」 芽がでる。なんだかウキウキ。
成長していく姿を見守るのも楽しみ。✨
作物の成長を見守りお世話をする。
実ったら収穫。
調理する。
食べる。😊
私たちに足りないのは、きっとそんな四季とともにめぐる自然界のサイクルなのでは?と思ったりする。
「自然不足病」の現代人
自分で育てた野菜。
スーパーで買う野菜よりもていねいに味わって食べる。
「どんな味かな~」🙂「お、味が濃い」😮「おいしい!」😃
現代人に蔓延しているのは、きっと自然不足病なのだと思う。
養老猛司さんの「身体を忘れた日本人」こんなことが書いてありました。
人間の世界と自然の世界。
人間は両方の世界で生きている。
だけど、自然に親しむ時間が少ない現代人。
自然から切り離され狭い人間の世界だけで生きている。
仲間外れにされたら、それだけで自分の居場所は無くなってしまう。
だから人間の世界だけで生きるのはかなり息苦しい。
養老さんの言う「世界が半分になる」とはそういうこと。
自然から教わる、自然から頂く
自然には、森で遊んで面白かったというようなプラス面もある。
だけど自然災害といったマイナス面もある。
人が自然から切り離されれば、おそらく自然からの学びは無くなる。
半分の世界、つまり人間世界だけで生きていると私たちのエゴは大きくなるだろう。そもそも食べ物は自然からの恵であるという、命を頂いているという感覚は失われる。
「食とは他の命を頂いている」という当たり前のことを気にかけなくなるだろう。そして「自分は生かされている」ことを忘れ傲慢になるのでは。
ちょっと考えてみませんか。
例えば、あなたはジャガイモを作れるでしょうか? どうやって作る?
種イモとか苗さえ作り出せないですよね。
ということは、自然が生み出したものを分けてもらって私たちは
生かされていることがわかります。
とんでもない傲慢な人が増えているという昨今の日本。
日本人の精神性の根幹にかかわることが起きています。
医療費だって増加し続け、病人は減らない。その背景には自然不足があるのでは?
季節に応じた自然から恵みを頂いている
私は子どもの頃、原っぱで遊んだり虫を取ったりどろんこ遊びをして
夕暮れまで遊んだ。ごくありふれた日常だけど、宝物みたいに大切な季節ごとの思い出だ。
大人になった今では、よく川沿いを散歩する。そして草の生える土の道からアスファルトへ戻った瞬間、足にダルさに似た気持ち悪さを感じる。
そんな時「ああ、土って人に必要なんだな」と思う。
今、公園はあるけど原っぱとか空地みたいな場所を見かけなくなった。
土よりも、舗装されたアスファルトが多い。
旬の野菜が何なのかも、よくわからなくなっている。
意識しないとどんどん自然から遠ざかる。
SDG’sとやらは、お題目だけは立派だけど、樹木を伐採したり太陽光パネルを敷き詰めたりと何だかやっていることが逆では?
自然が破壊された後で後悔しても遅い。失ったあとで取り返すのは容易ではない。
大昔から四季のサイクルの中で生活し、太陽とともに生きる日本人。
日光も、雨も、風もすべて自然からの贈り物。水も土も植物も全部与えられたもの。
自然の摂理からから離れ感謝を忘れると、人は勝手放題・わがまま放題になっていく。人間の持っている知識なんてたかが知れているのに。人間が出来ることなんてごくわずかなのに。
ジャガイモひとつ作れないのに。
大人も子どもも、誰もが自然不足
私たちの生活や文化の土台としての自然。
その土台から遠ざかれば、養老孟子さんの言うように私たちの世界は半分になってしまう。
人は「何でも解決できる、人間は万能だ」と半分だけの狭い人間世界で、自分こそエライと勘違いしているのでは。
現代人に蔓延する「自然不足病」は深刻だ。
だから意識して自然へ近づくこと。そして自然をいっぱい浴びること。自然から教えてもらうことはたくさんある。
そして私たちに、自然界が与えてくれていることに気づこう。
そう思えば謙虚になれる。
出来る範囲で自然と触れ合う時間を増やしてみよう。
日光を浴びてみよう。土に触れてみよう。
薬を飲むよりはるかに効果的なはず。
お読みいただいてありがとうございます。🍀
記事がお役に立てれば嬉しいです。自然こそ私たちのお手本。自然や周りの人を大切にする日本の心を取り戻したい。サポート大歓迎。