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正解っぽい、美しい言葉に気をつけて

政府や大組織からわかりやすいスローガンが掲げられる。
そして全員で推進しよう!と広められる。


誰一人反対出来ないような美しい言葉で。
それが正解であるといわんばかりに。


だけどそれは、きっと間違っている。


5類になったけど、元には戻っていない


2020年からどれだけ私たちは、大切な日常を奪われただろう。
感染症という恐怖を蔓延させる騒動。


5月8日になったので、コロナは感染症としては5類に分類された。
どうやら日付が変わるとウイルスって人間の都合で簡単に弱毒化するものらしい。


「コロナ以前の世界に戻った」と安心している人はいないだろう。
このままフェードアウト?



いやいや、絶対に忘れない!!
結果的にたくさんの命が失われたことを。
日常を奪われていった人のことを。


政府が「命を大切に」「大切な人を守るため」という謎のスローガンを掲げて推進した感染対策。


それはどれだけ命を大切にし、どれだけ命を守れたのでしょう?
逆の結果になってるのでは?と疑問を持つのは私だけではない。


だとしたら、この空虚で中身の無いスローガンは、私たちが大切にしたいと思っている他を思いやる精神を利用しながら大切なものを奪っていったことになる。

医療、政府、教育、そこに携わる人こそ相手を思いやる心命を大切にするという利他の思いが必要であるにもかかわらずだ。


普通の人からしたら、もはや社会は普通じゃない


特例承認された治験中のワクチンという名の薬物。人の持っている自然な免疫機能を利用して感染を防ぐというより、逆に免疫機能を混乱させているかのようだ。


そもそも、国の医療として認められている現代医療は、病気に対して決して万能ではない


むしろ容態を悪化させているのでは?そういった意見も顕在化している。
なのでこのコロナ騒動は、医療に対する私たちの意識を大きく変えるほどインパクトがあった。


それにしても、コロナ騒動の総括や検証も行われていないようだ。
反省すべき点を未来へ活かそうという動きも、全く見られない。



何がその人の健康をアップさせるか?それは個々の人で違うのに、
「緊急事態」という仮想現実をつくり不要不急と切り捨てられた私たちのごく当たり前な日常。



朝、登校していく小学生たちはまだマスクをしている。
子供たちの健康や学びを守るどころか、非科学的な対策は相変わらず続いている。


この国の政府はもう国民の方を向いていないのだろう。すでにまともな国ではない。ずっと前からそうだったのかもしれない。コロナ騒動で馬脚があらわれてきた。



本当に大切なことは何? 


政府や大きな組織が掲げる、誰もが異議を唱えることの出来ないようなスローガン。正解らしさに包まれ、一見まともで美しい響きだ。




それらは、上手く利用されている。


大切な人、命、つながり、思いやり、やさしさ、
愛、家族、守る、みんなの笑顔、持続可能、循環、地球・・・。



今回の騒動で思いやりという利他の精神や、命と健康を守るという私たちが大切だと思っていることは、スローガンとして悪用されることがわかった。


だから、私たちはもっともらしい標語には絶対に騙されないようにしないといけない。


ウイルスそのものによる感染より、むしろウイルスを悪者に仕立て上げ、
美しいスローガンで多くの人を扇動する精神の腐敗、そちらの方が私には
はるかに恐ろしい。




間違っても素直に謝らない人たち


もうひとつ、わかったことがある。
嘘(うそ)間違いは別のものだということだ。



間違ったらそれを認めて謝ればいい。
その後は行いを改めればいい。


きっと子どもにはそう教育しているはずだ。
だけど多数の大人がやっていない。
今だけ、お金だけ、自分だけ得をしているような人々。


日本人が大切にしている美しい言葉
その通りの行動が出来る人は、残念ながら限りなく少ないのだ。
そんな残念なことを思い知った3年間だった。


「命を大切に」「大切な人を守るため」誰もが否定できない美しい言葉は、多数の人々を扇動するのに利用される表面的な言葉であり、その裏にあるのは正気とは思えない人心の荒廃だ。


せめて私たちは未来へ向けて、体験したことを活かそうと思う。
人々を巻き込むように広まる正解っぽい美しい言葉に騙されたらダメだ。


お読みいただいてありがとうございます。😐

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