しんどい、嫌い、不便を知ること
こんにちは僕です。
143記事目です。
昨日は、久しぶりに華金みたいなことして締めにラーメンまで食べて超絶ハッピーでした。
ほんとただ外でお酒飲んで、好きなこと話して、締めにラーメン食べて、酔っ払いながらお家に帰るっていうことがこんなにも幸せなんだと思えるのって最高だなーと思いました。
去年なんかはほぼ毎週のように金曜は飲みに行って、終電逃して、タクシーで帰るみたいなことしてたけど今はそんなことできません。
やっぱりそれを"出来なくなってしまう"、"本当はやりたいのに出来ない"っていう期間を味わってるからこそ今までの当たり前がこんなに有り難く思えるんだろうなと。
"幸せ"とか、"好き"とか、"心地いい"とか思うプラスの感覚ってその逆を知ってるからこそより強く感じることができるんだと今は思うようになりました。
"しんどい"とか、"嫌い"とか、"不便"とか逆を経験したり、知ってるからこそ反対のプラスの感情ってめちゃくちゃ大きくなるんだろうなって思います。
よく海外に行くと、「日本がどれだけ恵まれてるか」、「どれだけ日本の当たり前が世界の当たり前じゃないか」に気づくよって言われます。
僕自身も海外行って(特にインドや東南アジア)、日本とは異なるっていう意味での不便を感じることで、日本がどれだけ恵まれた環境なのかっていうのを再認識できる部分も少なからずありました。当たり前にお湯が出て、トイレの水が流せて、電車が時間通りに来て、頼んだ料理が注文通りきてっていうことがこんなにも有り難いことなんだと。
たぶんその不便を知らなかったら、便利を便利として考えることはなくて、"ただの当たり前"と捉えてしまっていたと思います。だからその当たり前が当たり前のように起こらなかった時にすぐイライラしてしまいます。海外からしたらそれが当たり前かもしれないのに。
華金を奪われなかったら、華金をこんなにも有り難く思えなかったと思います。
色んなことができなくなったことで、しんどい思いをしたり、不便を感じるようになったからこそ、気づける"当たり前の大切さ"は絶対にあるなと改めて感じました。
何度かnoteでも"当たり前"というテーマについて書いてるので、過去の記事でも触れたことありますが、僕の好きな言葉の一つに『幸せとは、当たり前に感謝できること』っていう言葉があります。
置かれた環境に感謝の気持ちを忘れずに、今日もお酒を飲みます。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
それではまた次回のnoteでお会いしましょう。ばいばい!
今日行けん
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