見出し画像

関心を持つこと

こんばんは僕です。

134記事目です。

昨日の飲み過ぎてしまったせいか今日はまったくやる気が出ません。ほぼ動くことをしていません。

でも、今日はNiziUが「THE MUSIC DAY」でテレビ初パフォーマンスを披露する記念すべき日でした。さっきそのパフォーマンスをテレビで見て幸せな気持ちになりました。ほぼ動かずに1日過ごしてしまったけど、おかげで素敵な日になりました。ありがとうNiziU。

そんな記念すべき日なので、また僕の尊敬するJ.Y.PARKさんがおっしゃっていた「素敵だなー」と思った考え方について書こうと思います。

J.Y.Parkさんは虹プロの中でもたくさんの名言を残されていますが、個人的には何よりも人を評価する"フィードバックする力"が本当にすごいなーと思って、大尊敬しています。

心の師匠です。

その人の能力やパフォーマンスを褒めるにしても、指摘されるにしてもどちらにしても、本当にその人をよく見られているからこそ出てくる言葉ばっかりで、いつも見てるこっちまで勝手にグサグサ刺さっています。

そんなJ.Y.Parkさんが、人を評価するのにすごく大切な第一歩は「関心を持つこと」とおっしゃっていました。

まず、「関心を持って」"その人を知る"ことが大切だと。

これ当たり前のことかもしれないけど、本当にその通りだと思います。

その人のことを知ろうとすることをせずに、その人のこと怒ったり、がっかりしたりってありえることだし、僕も思い当たることあったりします。

この前の芦田愛菜ちゃんの信じることについての考え方もそうだけど、その人のことを知らずに、その人に期待したり、「〇〇さんはこんな人」って思い込んだり、そんなイメージを知らないうちに一方的に押し付けるから、そうじゃなかった時に勝手にがっかりしてしまったり、怒ったりしてしまいます。

その人のことに関心を持って、「知りたい」って思えば"どんな面も"その人なんだって少しは受け止められるんだと思います。

その人に関心を持つから、マイナスな面も「こうなってほしい」って思えるんだろうし、そのために指摘しようとする。

"関心を持たない指摘"と、"関心を持っての指摘"の違いは、「自分のために(思い通りにいかなくて)怒る」のと、「その人のために(良くなってほしくて)指摘する」っていうところだと思います。

自分本位な気持ちからくるのか、相手のことを思っての気持ちなのかは大きく違います。

飲みの場なんかで、誰かへの愚痴や文句みたいなこと言いたくなるような場面ってあると思うけど、それは「自分の勝手なイメージだったりの押し付けじゃないかな?」って立ち止まらないといけないなって思います。

「その人はその人の事情や理由を抱えてるんじゃないかな?」って。

今思うと、愚痴とか文句出るような時の自分って、その人のことを知ろうとする(教えてもらえるような)努力したって胸張って言えなくて、「自分の思い通りにならなくて」っていう気持ちがどこかにあることの方がほとんどです。

相手のことを考える余裕がないんです。

まず「どんな人なのかな?」って知ろうとするから、その人のこと見ようとするし、いいなって思うところは褒めるし、ここはもっとこうなったらいいのになってところ指摘もするし、その人への"関心"から出てくる言葉なのか、そうじゃないのかで、全然伝わり方も違うんだろうなって。

また大切なことをJ.Y.Parkさんが教えてくれました。

今日は「関心を持つことの大切さ」について書かせて頂きました。

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。


それではまた次回のnoteでお会いしましょう。ばいばい!

今日行けん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?