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母と娘の歴史

去年の4月、母方の祖母が他界した。身内を亡くしたのは初めてだった。亡くなる前日の夜、母から電話で危篤を知らされた。「大学があるなら無理して帰らなくていい」と言う母を、薄情だと思った。この人は優しさを履き違えていると思った。私と祖母の歴史を、知らないのだと思った。

翌朝、始発の新幹線で実家に帰った。何の連絡もせずに帰って来た私を見て家族は驚いていたが、何も言ってはこなかった。病院に向かうと、祖母はまだ生きていた。私が会いに来たことも理解していた。手を握るとかすかに握り返した。それから数十分後の21時6分、皆に見守られ、静かに息を引き取った。祖母の目に、一粒、滴が光っていた。

祖母の一人娘だった母は、それまで涙一つ見せず気丈に振る舞っていたが、死亡確認されて初めて、声を上げて泣いた。張りつめた糸がぷつんと切れたようだった。そんな母の肩を父が抱いた。さめざめと静かに泣く私に対して、父の腕の中でわめくその姿は、紛れもなく一人の「子供」だった。薄情なものか。誰より祖母を愛しているのは母だ。私と祖母の間に流れる何十倍もの歴史が、二人の間にはあるのだ。生前、それほど仲睦まじく接しているようには見えなかった祖母と母だったけれど、いい親子だったんだなと、その時は思った。

母は家族の前で弱さを見せない。父にも頼らない。自分にも他人にも厳しい。ように見える。そんな母が、犬のぬいぐるみに名をつけ溺愛している姿を見ると、子供だなぁと思う。帰省する度にぬいぐるみにアテレコしてちょっかいを出してくるので「この人一体いくつなんだろう」と思う。そして父方の祖母(姑)はそれを呆れながら見ている。何だかんだ仲が良いと思う。

「父と娘」、「祖父母と孫」、「兄と妹」、「姉と弟」。私には家族との間に様々な関係があって、その全てが大切。それでもやっぱり「母と娘」には特別な何かがあるように感じる。祖母と母の姿を見ていたからかもしれない。二人の間に長い歴史があったように、母と私の間にも歴史は流れてゆく。親より先に死んではいけないから、その歴史は、母が死ぬ日まで続く。失いたくない。いつまでも続いてほしいと願う。祖母と母のような、いい親子でいられますように。

そう言えばいつだったか、弟が「母を尊敬する」と言った。私は「尊敬はしない」と言った。尊敬とは違う。でも好きだ。

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