好きという錯覚と依存

保育園の年中のころから、お昼寝の時間に数人の女の子の間で触り合うという少しエッチな時間がはじまった。それは小学生にあがっても続き、家に遊びにいっては、SEXの真似事を女の子とやっていた。

初恋は女の子だった。それに気づいたのは成人してからだ。

小学校2年生から複数人の男子を好きになったけど、一人ずっと想っていた男の子がいて、その子にはラブレターをいくつもいくつも書いていた。

中学1年ではじめて付き合った人とキスをした。男の子とはそれがはじめて。中学2年でまた別の彼と付き合い、中3の春にはじめてSEXした。その彼に夏ごろ、別れを告げられ、彼はほかの人と付き合いはじめた。

あたしは泣いて、泣いて、少しでも近づきたくて彼の友達の家に家出をした。運命が変わるように、安全ピンでピアスをあけた。嫌なことがある度にあたしは安全ピンをライターであぶって自分の耳に突き刺した。1ヵ月で12個穴があいた。

真夜中に片道10キロ以上ある彼の家まで歩いていっていた。ベランダをよじのぼり、ドアを叩き彼をおこし家にいれてもらった。

一緒に布団に入り、そのうち彼はあたしの頭を下半身に押し込む。SEXはしない。あたしは黙って口で射精して、朝彼の親が起きる前に高いベランダから飛び降り、そのまま学校へ向かった。

なんかしんどい。

心のどこかでそう思っていたのかもしれない。でも彼の気を引く以外のことをあたしは考えられなかった。他の何もどうでもよかった。

家出して2ヵ月ほどたったころ、父親が迎えにきた。それまでも何度か迎えにきていたがあたしが会うことはなかった。だけどその日は違った。

母親の病気を告げられた。家に帰るとこたつに母親が横になっていた。こたつの布団がお腹のところだけ妙にもりあがっている。手足はがりがり、お腹は栄養失調でふくれあがり、起き上がることもできない母親がいた。あたしは自分のせいだと思った。「おかえり。ごめんね。帰ってきてくれてありがとう」母は顔をこちらに向け笑っていた。

母は亡くなった。

「あなたは何も悪くないから、好きに生きたらいいよ。楽しんでね」最後にあたしに言った言葉だった。心臓が止まる瞬間バッと目を見開き、死んだ。

あたしは悲しむほどの実感がわかなく、お葬式の日も笑っていた。お坊さんのたたくいろいろな音にあたしは笑いを堪えきれなかった。

夜中父親がお仏壇の前で泣いているのを2階の部屋からきいていた。真面目で堅物で厳格な父親だ。海外赴任していて小さな頃からあまりかかわった記憶がなかった。その父親が泣いている。

あたしのせいだ。きっと何度もそう思った。そしてある日父親の怒りに触れたあたしは、姉弟に見られないよう襖をバンっとしめられ、畳の部屋で投げられ、殴られ、「お前のせいだ!」と言われた。それからしばらく、父親は何度かあたしに同じことをした。

仕方ない。

あたしはそう思っていた。

相変わらず彼のことが好きで彼と同じ塾に通った。彼に会いたいから学校へは行くけど保健室登校。

ある日耳が聞こえなくなった。筆談で友達とやりとりしていたが、入院した。彼に会えない。あたしは病院を抜け出し、片道20キロの距離を歩いた。着いたらもう夜明けだった。

またそんな日々を続け父親の強い意向で願書出せば入れる高校に進学した。

リストカットをしだしたのもこの頃だ。

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