【掌編】 深夜、マクドナルドにて敵からの通信を待つ
時計の針が夜の11時40分を指した。
もうすぐ日が変わるというこの時間になって、私は一人きりの静寂に耐えきれず、近くのマクドナルドまで来てしまっていた。
こんな時間にマスクを新しく一枚おろした。今日の、あとたった二、三〇分を過ごすためだけに一枚。多分明日同じマスクは使わない。なんてもったいない。
マクドナルドの店内は、こんな時間でも当たり前に明るかった。
平日の夜である。土日みたいに深夜まで騒ぐような客もいない。端の席を埋めるように座る一人客がちらほら目につくくらい。
私も、通りに面したカウンター席の隅っこで、スマートフォンを前にひっそりと息をしている。
今日は私の誕生日だった。
とはいえ、もう祝ってほしいと人に言いふらすような年齢でもない。特に今年は新しい職場で迎える初めての誕生日になった。全員が私の誕生日を知っていた前の職場とは違い、今の職場ではどこまでも他人行儀なやり取りが続いている。同僚の誰一人として私の誕生日を知らないし、私自身、祝ってほしいとも思わなかった。
強がりではない。
今の職場は私にとって戦場に等しい。上手くいかないコミュニケーション、慣れないルール、わかっていて当然のことを知らない人間とみなされているのだ。
会社では、お客様扱いの時期を通り越して、面倒くさい新人と認識が改まった頃だった。まだまだこの先も逆境が続くと覚悟してもいた。
それでも転職を選んだのだから現状に不満はない。
ただ見渡す限り敵ばかりの日々は緊張が途切れる暇がない。ここ最近、過去最低体重を記録している。敵地で孤軍奮闘している成果がこれなら ── ダイエットいらずだ ── まったくもって喜ばしい限りである。
その敵地で、唯一、私の連絡先を知りたがる人と出会った。
最初は冗談だと思っていた。
同じ会社で隠さなければならない関係など、お互いにとって面倒なだけである。
けれども、彼は私の言葉を聞きたがったし、疑ってばかりの私に根気強く付き合った。SNSでの他愛もないやり取りは毎日続き、どんなやり取りにおいても間を空けることを良しとしなかった。
最初の一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ。三ヶ月も経てば、そろそろ冗談を疑うことの方が難しくなってくる。
そして、今夜の私は彼からの連絡を待っている。
今年、誰からも誕生日を祝われなくても良かった。いや、この言い方は違う。正しくは、彼が祝ってくれたら他は良かった。
いつもなら日付が変わりそうな時間帯にラインなり電話なりがある。その時に一言だけ祝いの言葉を聞けたなら、満足するだろう自分を知っていた。
今日の会社での彼とのやりとりは業務連絡ばかり。途中で問題が発生したらしく、慌てて顧客先に出掛けて行ったから、ほとんど顔を見ていない。
彼にとってはありふれた一日のように見えた。
私には……特別な日、みたいだ。こんなもやもやした気持ちになるなんて、自分でもあんまり予想できなかったけれども。
11時55分。
この時間になり店内に人が増え始めていた。私は手元のオレンジジュースを飲みきり、そっとマスクを付け直す。
三つ隣の席に疲れた様子の女性が座った。服装は会社帰りそのままに見える。
お疲れ様と言ってあげたいが、もちろん何も言わないまま、私はまた時計の針を見た。
12時を過ぎたら私からラインを入れようと思っていた。別に大したことでもないというふうに、今日何の日だったか知ってる?と聞いてみたら良い。
知らなかったと言ったなら、もうそれで。
もし今より悲しくなったら、傷が深くなる前に彼から離れてしまおう。極端だろうか。でも、どうせ彼は敵地の人間なのだから。
スマートフォンには何の通知もないまま12時が過ぎていく。私は席を立ち、空の紙コップを捨て、店を出た。
夜の通りは明るく、車の往来もまだ多い。世の中にはたくさん人がいるのに、どうしてこんなに一人ぼっちの気分になるのか。
溜め息しか出ない。
その時、ようやくポケットの中が振動した。ラインじゃなく電話だった。私は少しの間息を詰め、迷ったのちに、コールが切れそうなぎりぎりのタイミングで通話ボタンを押した。
「……お疲れ様」
普通の声で言えたと思う。
私がどんなことを考えているかも知らず、彼は今日の顧客がいかに大層だったかを弾んだ声で話した。私は適当に相づちを打ちながら、だんだんと胸の奥に溜まっていくものを感じていた。
悲しい?
悲しい気もするけど、そうじゃなくこれは。
「そう、大変だったね。本当にお疲れ様でした。それで……今日の間に私に何か言うことはない?」
一瞬の沈黙。
── あっ、おめでとう!
電話の向こうで、言うのを忘れていたと、本当にまったく悪びれずに答える声。
ふーん、そう?
知ってたの?
知らなかったんじゃなく?
彼曰く、ラインで誕生日を知らせる通知が出ていて、朝から言うのもどうかと思ったので控えていたら、仕事でトラブルが起こって完全に頭から飛んだらしい。
今更そんな明るい声で、おめでとうとかプレゼントは明日ねとか言われたって。
「へぇ……そう? そういうのは朝から言ってほしかったなぁ。おかげさまで私は今日一日もの凄く嫌な気分で過ごせました、ありがとうございます! じゃあね!」
通話は強制終了してやった。
即座にコールバックがあったがかまわなかった。
私は思いきり腹を立てたまま家路を急いだ。スマートフォンはしばらく震えていたが、結局そこそこでおさまった。最後にラインが申し訳なさげに新着の通知を寄越した。
内容は、ごめんなさいと、明日の予定を確認する文字。
元々会う予定ではあったから、私はこれにも知らないふりを決め込んでやった。
せいぜい慌てたらいい。そのくらい今日の私は寂しかったし、やっぱり彼も敵の一人でしかないのだと悲しかった。
でも ── 良かった。
日はまたいだものの、今日の間におめでとうと言ってもらえた。彼は、どうやら正真正銘、誕生日ごときで私が怒って甘えても良い相手らしかった。
きっと明日の私は、始めに不機嫌顔で彼を困らせ、すぐに笑ってありがとうと言うのだろう。
敵地にて味方一名発見。
一人ではないなら、明日も元気に戦いに行ける。
春は目の前
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