夢追う人はカッコいいよって話
(1)前置き ごあいさつ
おひさしぶりです。まめです。
小説公募勢名乗りつつ、口先だけのビギナーズアカウントはこちらです。
ここまで色々ありました。
どっかで私の深夜の泣き喚きnoteを公開してたりもしたんですが、色々あって意地になりつつ、ずーっと同じ長編を書き進めてます。(後の話にも関係するので、その記事はまた後に貼ります)。
Twitterのほうはずいぶんとフォロワー数が増え、いつのまにか4桁に。
嘘つけよ!みたいなプロフつけてるので勘違いしてる人も多いかもですが、私は公募ガチ勢アカウントというより、長編ガチ勢アカウントです。
とある一作の長編を仕上げるためだけのアカウントだったんですね。本当に完成が遠い。私にとって完成は悲願です。
どうやら見返すと、Twitterのアカウントは2021年の8月に開設した(動かし始めた)らしいです。
で、はじめは2022年の3月末の小説すばるに出すために1年近くかけて書いていて、結局それは無理だ〜と諦め、次は2022年の8末のメフィスト、それもやっぱり無理で今年の2末、それも間に合わずに今目指しているのは今年の8末の公募です。
おそらく30万文字ほどの長編になると思われますので、上限枚数あるところには出せなくて、応募できるところも限られてしまっています。
いまの進捗は7,8割くらい? わりと絶望です。
長編に向き合い始めてからの2年の間に、文フリで短編集出してみたり、仕事の資格勉強期間に入ったり、シンプルに仕事に追われて泣きそうになってたりいろいろあったんですが、まあそれはさておき、もう後戻りできないとこまできてしまいました。
早く終わらせてえ、長編。
でもマジで面白いと思ってるから手を抜きたくないって感じです。早く完成させて「面白かったよ!」「感動した!」「最高だった!」と言ってもらえる日を待ち望んで頑張っています。
と、ここでしっかりちゃっかり自分の不甲斐ないところを公開しておくんですけれども。もう隠すところもございません。
常に書けないも読めないもあけっぴろげにして、やるぞー!って気合い入れてるようなアカウントなので今更です。
もともとは、その長編仕上げたら創作いったん卒業というかお休みしてもいいかな~なんて思ってたりもしたんです。でも、創作アカウントを作ってみてからいろんな繋がりがあり、本気で小説に向き合うようになって、思いをあらためました。
——私、小説書くの好きだな(もはや自明)。
これからも、半年や一年じっくり腰据えて書くような長編を書き続けていきたいな、という思いが今はあります。
でもきっと私は、小説を書くだけで食べていけるような生活を将来の目標としているわけでないな、と思います。そんなことをすれば、私の小説は死ぬだろうと思うのです。
人と話したり、自分の知らない世界のことを知るのがとても好きなので、小説というきっかけからいろんなところへ取材できるようになって、仕事もしつつ社会と関わりながら、人生かけてじっくりゆっくりと作品を生み出し続けられるような作家になりたいですね。それは本当に夢だなあ。
私は創作するうえで、ひとつ大切にしていることがあって。
「背伸びをしない」、「今書ける等身大のものを書く」、ということです。
たとえばこれから、結婚して子供が生まれて母親になることもあるでしょうし、仕事をしていてまた壁にぶつかることもあるでしょうし、そのたびに私は小説とともに成長していきたいな、と思うのです。
逆に言うと「今しか書けないものを書く」――これをとても大切にしていますね。
私の小説は、常に日常から得た驚きや気づきや感動から生まれています。
この信条だけは、これからもぶれることはないでしょう。
私は、自分の中の高い高い基準を超える「最高に面白い物語」を生み出せるようになるのが、人生かけての目標です。
私の「最高に面白い物語」の基準はエベレストより高いんで。それだけは自信あるんで、そんな自分を満足させられる作品が書けた時には大往生ですね。もう死ねます。
まだまだ書きたい作品はたくさんあって、でもそれは今の私の力ではなかなか実現が難しくて、まだまだ遅筆で燃費も悪いので、そう簡単にぽんぽんと作品は生み出せません。
死ぬまでに書きたいもの全部書き切れたらいいなあと思うけど、でも不思議と書きたいものは増えていく。過度な供給であきらかに消費量が追いついてない状態です。まさに積読と一緒だなあと思ったりします。
(2)本題 夢追う人はカッコイイよって話
さて、前置き長くなりましたが、本題へと移っていきたいと思います。
実は先月、ちょっとした背景があり、急に思い立って3月末の公募を目指して書いてみることにしたんです。(理由は大したことじゃありませんが、とりあえず今は内密に)。
結局、〆切間に合わなかったんですけどね。それは私の計画性のなさや見積もりの甘さのせいだし、やっぱり焦って出さないでよかったなと思えたし。バッチリしっかりヘコみましたが、今は前向きです。
今回の作品、当初の想定だと増えても5万文字くらいだろうと、そんなイメージで書き始めたんです。でも、1か月で9万文字近く書いてしまって。これまでの私にはない経験でした。
この文章量は、私の創作人生で3つの指に入るほどのものです。私はそこまで長い話をこれまで書いてこなかったので、そもそも書き上げられたこと自体がすごいというか。しかもそれをたった1か月で、です。
前置きで話していた長編も、1年かけてようやっと10万文字書けたくらいでした。毎回休日返上で図書館に引きこもって書いていても、です。
マイペースで書き出すと、気が遠くなるほど、ほんとうに書くのが遅いんです。だから、年に何作も10万文字超えのものを書けるような力なんて持ち合わせちゃいません。今の私がすると、完全につぶれるだろうと思います。
喉から手が出るほど欲しい力ですが、これから私はそれを何年もかけてようやく身に着けていくのだと思うのです。
もしかしたら、一生かけてもそんなペースで書くことはできないかもしれません。でもそれはマイスタイルなので、受け入れて付き合っていくつもりです。
そして、公募に向けて執筆していたその作品ですが、一番大きなテーマは「夢を追いかけるすべての創作者へ」というものでした。
私は基本テーマ先行で書き始めるので、ラストシーンあたりの伝えたい言葉は最初っから決まってました。
これは意図してなんですが、全クリエイターの心臓の真ん中をぐりぐり抉ってやろうと思って書いた作品なんです。だから、説教くさいかもしれないし熱苦しいかもしれないけど、それでもそれを形にしてみたくて。
どこかの誰かにブッ刺されよと思いながら、なんなら文章で殴りつけてやるくらいの気持ちで書きました。
急に話飛んじゃうんですが、私にはどうやら心の真ん中のアッツい部分、ここをつつかれると感情が昂って泣いちゃう、みたいな部分があって。
これは最近になってようやく気がついたというか、私の中で繋がったことなんですけど。
私、夢を全力で追っかけてる姿に弱いんです。逆にいうと、その努力を否定したり軽んじたりするようなことが許せない、みたいなところがあって。
でも、最近まではこのことがよくわからなくて、訳も分からず突然涙が溢れてしまったり、普段の自分では考えられないくらいの憤りを感じてしまったり、しばらくへこんで戻らなかったことが何回かありました。後から思い返せば、全部そうだったなあって思うんです。
この章の最後に話すのですが、今回の公募に向けて書いていた話もそれに関連します。
これもきっとそうだったよなあっていうエピソードをここにいくつか書いていこうと思います。
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エピソード① 就活で泣いちゃった話
まず1つ目のエピソード。
私は就活の時に、一回だけ面接の帰り道に号泣したことがあって。
それは圧迫面殺だったとか、自分が上手く話せなかったとか、そういうのじゃなかったんです。全くむしろアットホームな会社の話しやすい面接でした。
私はちょうどコロナ第一世代の就活生なんですが、当時はコロナもこんなに長引くとも思われてなくて、どの会社の説明会や面接も延期や中止が重なり、長期化していました。そのうえ田舎~な地元に帰って就活やってたりしたのでなおさら就職先の選択肢もなくって、このまま続けててもジリ貧だなってわかりつつ就活やってたときでした。
なんかいろいろヤケになってたのかもしれません。その会社はめちゃくちゃに給料低いとこでした。でも、就活のポータルサイトでなんとなくボタンぽちっと押して、なんとなく面接の予約しちゃったんです。
ほんとにその会社で働きたかったかっていうと、わかんないです。もしかしたら、興味みたいなものもあったのかなって思います。
そこはIT系の会社でした。面接会場は、表札もついてるような普通の一軒家で、そこが一応会社のオフィスのようでした。
会場たどり着いてみて、入るの少しためらいましたね。あー……まじか、みたいな。
で、面接もマンツーマン。社長さんと直接お話する感じでした。
面接というより雑談みたいな感じで。なんでも気になること聞いてね、と言われてむしろ私は取材するみたいな感じでいろいろ根掘り葉掘り聞いちゃってました。
社長さんは、もとは大きなIT企業の社員だったみたいです。でも、いろいろ思うところがあって独立して。で、今は大きな会社の下請け見たいな感じで、いろんな仕事を幅広く引き受けてるみたいでした。
それこそ独立したばかりのころはすごく大変だったみたいです。いろんな会社に足を運んでは頭を下げて仕事をとってきていて、大きな会社の規則にしばられなくなっても、結局大きな会社の仕事の一部を委託されてやってるって具合で。ああ、それって本意なのかなあって思いつつ、でもなんとか社員の給料を払うために必死なんだなあって思って話を聞いていました。
それで、なんでその会社に興味持ったかっていうと、下請け業務ばっかりじゃなくて、自社でアプリ開発のようなものをしてるって書いてあったんです。
それで、話題もそのアプリ開発の話に移っていって。そのアプリのフライヤー?みたいなものをもらって、実際に作ってるアプリみたいなものもダウンロードして見せてもらったんです。
(……思い出しながら、すでに心が痛いです。苦しいなって思いながら書いてます)
そのアプリは、シチュエーションゲーム?みたいなんですけど、アニメーションというより小説をベースにした感じのもので(伝わりますかね?ちなみに私もゲーム詳しくないんでよくわかってないです)。
訊いてみると、その小説の内容も自作みたいなんですよね。そして、そのアプリを売り出していきたいって感じで話してくれて。
シンプルに物書きとして気になりますよね。
「これって、物語の内容だけでどれくらいの文章量あるんですか?」って聞いたんです。
「うーん、まあソースコード書いてるから、物語だけの正確な文章量はわからないけど、30万文字くらいかなあ」って言ってて。
……びっくりですよ。だって私なんて、2年たっても30万文字の文章書き上げられないんですから。
そして、話聞いててよく伝わったんです。
ほんとは、多分そういうのがやりたい人なんだろうなって。そういうクリエイティブなことがやりたい人なんだなって。
当然、制作に想像を絶する時間をかけてるのはわかったんです。
この話を考えて、ソースコード書いて、デザインや機能つけたりするのに、どれだけの時間を使ったんだろう。なんだかそう思うと、こみあげてくるものがあって。
でも、思っちゃったんですよね。
――これじゃ売れないし、日の目を見ることはないだろうなって。
思っても当然言えるわけないし、絶対態度にも出すまいと思ったんです。もちろん出したつもりもないし、ちゃんとそのフライヤーみたいなのも受け取って大切に鞄に入れて。
でも帰りのバスで、そのもらった紙をぼうっとみてると、急に涙が溢れてきたんです。自分でも予想外の涙で、泣いたことに自分自身戸惑っていました。
今思えばなんですけど、私は夢に向かって努力する人に弱くて、それを否定したり軽んじたりするのが嫌なわけじゃないですか。その嫌な人自身に、私がなっちゃってたんですよね。
もちろん、言ったり態度に出したりはしないけど、心の中で思ってしまった——それがどうしようもなく辛かったんだと思うんです。
これも今思えば、です。あの時もぼんやりとそうなのかな?と理由には気がついたんですが、どうしてここまで涙が出てしまうのかまではよくわかりませんでした。
エピソード② 創作友達と決別しちゃった話
2つ目のエピソードは、大学時代の創作友達との決別の話ですね。
この友達との決別をきっかけに、前書きに書いたあの長編を、意地になって書きはじめるようになりました。
これは、まさに私の弱い部分を直撃されたような出来事で、この時私は、自分の目標に向かって努力する姿勢や、決意みたいなものを踏みにじられたような気がしました。
詳しい話は ↑の記事に書いてあったりするんですけど、かいつまんで話すと、大学時代に仲良くしてた創作友達が、卒業して社会人になりたてのころに、「創作はもうやめる」って私に宣言してきたって話です。
私は私で、社会人になっても筆を置かずに頑張りたいんだ!と決意したばかりのときで、彼女にその熱意を押し付けてたところがあるんですよね。
私も、彼女の仕事が忙しくなり始めているのは知っていて、でも彼女も創作やめたくないんだろうな、なんとかつなぎとめててほしいんだろうな、と思っていたから励まし続けていたんですが、それがどうやら彼女には重荷だったようで。
最後に電話口で「創作をやめたい」と言った彼女は、私に対して「まめちゃんも忙しくなれば今にわかるよ」とか「大人になるってそういうことだと思うんだよね。何かをあきらめることっていうか」みたいなことを言ったわけです。
ほんとにこれは、精神的にキましたね。本当にキツかった。
普段人に対してそうそう怒ったりしないような人間なんですが、これまでに経験したことないくらいの憤りを感じてしまって、訣別に近い形になってしまいました。でも思い返すと、私も本当に彼女に対してひどいことをしていたなと思います。
それからしばらくは、毎朝通勤時に電車の中で泣いてましたね。
ちょうど新人研修終わって部署に配属されたあたりのタイミングだったんで、コイツ朝から泣き腫らしてて大丈夫か?ってたぶん上司からは思われてました。全然仕事と関係ないのに、新しい部署でナーバスになってると思われて、めっちゃ気を遣われてたの思い出します(笑)
エピソード③ 小説のために取材してた話
そして、最後3つめのエピソード。
これこそが年度末に公募に出そうとしていた小説の題材で、友達のバンドマンくんに取材したときの話です。
というか、全部ひっくるめて、今回年度末の公募に向けて小説を書いてみて思ったこと、というような話になります。
さっきお話した作品の大きなテーマ「すべての創作者へ」は、実は後から自覚したもので、もとは「はじめてライブハウスへ行ったときの感動とか興奮」を物語で表現したいと思って筆を取りました。
はじめてライブハウスへいったときの経験は、私にとってものすごく大きくて、その時の話はnoteの下書きにも書いてたんです。タイトルは「夢追う人はカッコいいよって話」——まあ、この記事のタイトルまんまなんですけど。
記事には、初めてのライブハウスに行ってわ〜〜って興奮していたことまでは書いてあったんですが、うまく文章を閉じられずにずっと下書きに残ってて。
なぜ書ききれなかったかっていうと、ライブにいった翌朝、めちゃくちゃヘコんでいたんです。
ライブの夜は楽しかったはずなのに夜寝て目覚めると、なんか虚無というか、心がスッカスカの搾りかすみたいになっちゃって。本当に理由もわからず、ヘコみながらもぼんやり昨日買ったCD入れたりするんだけど、心が欠けたような状態だからもう苦しくて。
自分なりにいろいろ言語化しようとして、ツイートしてみたりもしたけれど、どの言葉もしっくりこなかったんです。
でもやっぱり昨晩のことを思い返すと、ライブハウスでのきらめきがまだ頭の中にあって、胸がきゅうっとなって。それに気がついた時、いまは言葉にできないこの感情をいつか小説にするんだーって思いました。
今回は、ちょっとしたきっかけでそのテーマで筆を取ることにしまして。
この話を書こうとした時、初めてライブハウスに行った時にライブしてたバンドマンくんに取材をしたんです。その人は、学生時代に音楽をやっていたわけでもなくて、急に社会人2年目くらいになってバンドをやりはじめたような人でした。
取材では、私が真剣にきいたぶん、彼も真摯に答えてくれました。そのあと私は何度もライブに足を運びました。それだけやっても最初は全然上手く書けなかったんです。
いろいろ理由考えて、なんとかスランプ克服しようとして。話の題材についてもよく知ってる創作仲間に、なんで上手く書けないんだろうって話を相談したんです。
創作仲間は親身に聞いてくれて。うまく書けない理由をなんとか言語化しようと、まとまった文章にならないまでも、ぽつりぽつりとその時の思いを口にしてたんです。
で、話しながら思い出したんです。
その時私が取材で聞いたこと、彼がいったこと。
――なんで、バンド始めようと思ったの?
――俺、バンド好きでさ、大学の時ライブとかもよくいってて。カッコいいなって思ったんだよね。でも、大学の時は自分で立ち上げたサークルのお守りで大変で、そこまでできなくて。
――でもすごいよね、社会人になってから急にはじめるとか。
――うん、こういうのってさ、歳重ねるごとにどんどん挑戦できなくなるじゃん。だったら、今しかないなって。やりたいなーってずっと思ってたけど、ちゃんと挑戦してみてないなと思って。だったら、ちゃんとやってみようって思って。
正直、バンド始めるきっかけみたいな話は、取材はじめのオープニングトークのつもりできいてて、そこまで使うつもりもなかったから、その時は軽い気持ちでメモとっていました。
――バンドやろうって決めた時、何から始めたの?
――まず、中古でギター買うじゃん、それで……
――それで、どういうふうに曲つくるようになったの?
――はじめはコピーバンドだったよ。でも、それだと出られるライブハウスも限りがあるから……
彼が不器用に話すから、私も聞き出すのに必死で。その時は、どのネタが小説に使えるだろうってそんな頭でいっぱいでした。
そんな取材内容を細切れに思い出しながら、彼がこれまでどんなふうにがんばってきたんだろうってことを思い返したんですよね。
働いてた会社辞めて、機材買って、バンドメンバ集めて、自分で調べて曲作るようになって、ライブハウスで演奏するようになって、ブッカーさんに誘われるようになって、自主企画ライブも開けるようになって……
そこまで想像したとき、ふと思ったんです。
ああ、私だったら絶対にできないなって。
私にだってわかるんです。学生時代に部活やサークルで友達と一緒に楽しくやってるのと、社会人になって自分で一からやりたいこと始めるのとでは、その覚悟の度合いはまるきり違う。
彼はどんな思いで、どんな決意でここまで頑張れたんだろう。
私、そんな一生懸命にやったことあったかなあ、本当にそうかなあ、あんなにめいっぱい好きなこと表現できてたかなあ……
そう思うと、鼻の奥がつんてして、涙があふれてきてしまって。ほんとに不意にって感じでした。自分の心が弱ってる時に、さらにその心の弱い部分を自分でちょんって突いちゃったんですよね。もうそれだけで急に感情がぐらぐらして涙止まんなくなって。
取材中に泣いたんじゃないんです、記憶が繋がった瞬間の思い出し泣きというか。
なんで、ライブハウスいった翌日にあそこまでへこんでたのかも、その時なんとなくわかった気がしました。私にとって、あのライブハウスでの見た姿はそれほど鮮烈だったんだなあと思うのです。
夢追う人の姿は私にとって憧れで、それでいてものすごい力を持っているものだったんだなあと痛感しました。
そのとき私は、相談にのってもらっていた創作仲間を困らせるほど泣いてしまっていて、またそのあともひとりでお風呂で泣いていました。
翌朝起きても目が腫れたまま戻らなくて、メイクしてもあまりにブサイクだったので、わざわざ出社する予定だったところをテレワークにするほどでした。
(3)最後に 公募に挑戦してみて
なんだか、話しすぎたみたいです。
さっき書いた3つ目の話エピソードが、まさに今回書いた作品のネタになっていて、私が心揺さぶれたこと、影響受けたこと、全部全部詰め込んだような内容なんです。
まさに「夢追う人はカッコイイよって話」なんですよね(笑)
あるいは、意地になって長編を書き始めてからなんとかここまで踏ん張り続けた私の思いがいっぱいいっぱい詰まったものとも言えるかもしれません。
多分ですけど、全然時間足りないのわかってるのに公募なんて出そうと言い出したのは、創作アカウントでつながりのある皆さんの勇姿を見ていたからじゃないかと思うんです。
ちょうど年度末って、タイミング的にも小説の公募の結果が続々出てくるわけじゃないですか。最終選考で落ちました、悲願の受賞しました……そういう話がタイムラインに流れてきてて。
私はきっと、その皆さんの熱にあてられてたんです。すげーな、カッケーなって。一方私はずーっとおんなじ作品にしがみついてて、もちろんそんなのは全然マイペースでいいってわかってるけど、なんだかじわじわ身が縮こまっていく思いというか。なんか、公募目指してみよう!って、急に思ったんですよね。ほんと思いつき。まさかこんなにまで興奮状態になるとは、書き始めた時は夢にも思いませんでした。
そんな思いつきから書き始めたにもかかわらず、締め切り間際は恐ろしいほどの執筆ハイでした。これまでにない経験でした。
物語後半になればなるほどヒロインは自分に重なるし、ヒーロー役にすら感化されて、なんかもう感情がめっためた。その時はまったく眠れなくて毎朝早くに目覚めたし、起きたときには身体中が緊張していて心臓もバクバクしているような状態でした。ほんと精神擦り切れそうでした。気づいたらそうなってたって感じですが、いろんな意味で怖かった。
小説を書くときはいつも、後半になって話が繋がり出して、当初はなかった発想がひとつやふたつうまれてきて、ようやっとその作品は形になるっていうのがいつもの感じなのですが、今回はそれがなかなかこなくて。
でも一度スイッチが入ると、後半はずっとその状態でした。次から次へと新しい発想が生まれてきて、〆切も近いのにどんどん文章量が増え続ける。当初は5万くらいでは書き終わる想定ったのに、6万こえても、7万こえても8万こえても終わらない。不安だし怖いし、でも興奮してるし絶対に手を抜きたくないしで、かなり追い詰められていました。
ただ、最後まで書ききったときの達成感はひとしおでしたね。
今回書きたいことを全力で書いてみて、あらためて自分の得意なこと、書きたいもの、自覚的になりました。
これまでも「切迫感のあるシーンが上手い」とか「セリフに力がある」とかそういうことは言ってもらえたことがあって。今回は「感情の昂りを表現するのが上手い」って言葉をもらいました。なるほど、と。
私自身すごく感情入り込むタイプな自覚はあって、自身が興奮してるから文章もイイと錯覚してるところがあるのかなと思ってたけど、でもどうやらその興奮や激情みたいなものはちゃんと相手にも伝わっていて。嬉しいなー、あぁ私の書きたいこと間違ってなかったなーってあらためて思いました。
嫌な言い方をすると、私の話は御涙頂戴だし、毎回おんなじパターンにも見えるし、感動ものなんてサムいって思う人にとっては、私の作風は合わないと思う。けど、もう迷わないなと思いました。私はこれが書きたいし、大衆に刺さらなくたっていいから、誰かにとっての忘れられない作品を書くことができたらいいなって思います。
書きたいことかけたのでもうそろそろこの記事も〆ようと思うんですが、最後にもうひとつだけ自分語りをさせてください。
私の創作人生においての転換点はいくつかあると思ってて。そのひとつは大学の卒業制作です。とある少年事件をもとにしたノンフィクションノベルを書いていたんです。
大学時代に所属していたゼミは、私ひとりしかゼミ生がいなくて、かなり好き勝手していました。講師はその道では有名なノンフィクションライターだったんですけど、マジで放任主義で。私の卒業制作にもほぼノータッチだったんですが、その作品を冊子にするって話が出たときに、プロの編集さんを私につけてくれたんですよね。
といってもちょっとした誤字訂正くらいで、内容には一切添削入れられなかったんですが、メールのやりとりは私が直接やってて。
はじめに文章送ったときにきた向こうからの返信。今も忘れない。
文面に「ものすごい意欲作ですね」——みたいなこと書かれていて。
それを読んだ時、顔から火が出るほど恥ずかしかったんですよね。
実際、アホほど自分追い詰めて、めちゃくちゃに調べぬいて書いた作品で、文章も意識して商業レベルまで近づけて書いたつもりでした。なので間違いなくまぎれもなく意欲作だったんですが、なぜだかすごく恥ずかしかった。
自分の文章に対する卑下みたいなところもあっただろうし、「素晴らしい」とか「面白い」とかそういう言葉でなく、第一声に「意欲作」と言われたことで、「学生のわりによく頑張ってるね」というようなニュアンスを感じ取ったのかもしれません。
でも、今は思います。読んだ人全員に、めちゃくちゃ意欲作だと思われたい。こいつ一生懸命全力で向き合ったんだなって思われたい。これは本当に大きな変化だと思う。
あの当時の、ガチになるのはカッコ悪い、みたいにスカしてた自分というか、妙なプライドみたいなものはどこにいったんだろうと思います。
少なくとも私は、もともとこうだったわけではないです。でも、気が付いたらこうなってました。
もう今更、妙な卑下とかプライドとかないし、作品が少しでも良くなるならどれだけでも調べるし取材するし人の意見も取り入れたいと思う。
それでどれだけのものができるか全力で試してみたいなって、考えています。
いつかは、静かに文章に向き合って、静かに文章を閉じることができる作家になれるかもしれない。やっぱそれは大人だなって思うし、カッケーなーって憧れもする。でも私はまだまだ未熟で、ここまで温度を上げないと書ききれない。純粋に書きるってことが私には難しすぎるんですよね。
そしてこの話も、今この熱い気持ちがあるうちに、ここまで書ききれてよかった。またいつか、この熱い気持ちをなくしてしまった時に、筆を置きたくなった時に、これをみて元気を取り戻せるかもしれないなって思う。あるいは、いつか冷めた心の自分が読み返して、黒歴史みたいに思えて記事を消し去りたくなる日もくるかもしれないけど、それはそれでいいかな。
文章は、その時その瞬間にしか書けないものがあると思っています。その瞬間が通り過ぎれば、二度とおんなじ風には言葉を紡ぐことはできない。これもそのひとつかなと。
ということでまた。
次更新する時は長編を書き終えたとき、だったらいいな。
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