見出し画像

これまでのことと、これからのこと①


これからの方針について文章をしたためるはずでしたが、全然関係ない自分の話を始めてしまいました。
本題については、次の記事の「これからのこと」に書きますので、そこまでひょいとワープしちゃってください。(また、明日以降に投稿します)
ちなみにこの自分語り、一万字以上あるんで……よっぽど暇な人は、読んでみてください。まめがよろこびます(笑)


これまでのこと(公募を目指し始めるまで)


こんばんは。まめです。
Twitterで創作アカウントを作った(始めた)のは、8月のことです。
気が付けば8か月が経ちました。早いものです。
今思い返してみて、アカウント開設当初はやる気に満ち溢れていたな~と懐かしく思ったりします。
この8か月の間に、驚くほどネット上での交流の輪が広がりました。創作論を語るのが楽しくていろんな人に絡みにいったり、熱意にあふれる人たちの執筆に向かう姿勢に感銘を受けて、いいねだのリツイートだのしているうちに、自然と広がっていった感じです。本当にありがたいことです。
noteからのつながりもありました。大変うれしいことです。

私は幼いころから夢想癖があり、小説とよべるほどのものでなくとも、ずっと何やら妄想物語を書きつけて生きてきた人間です。いつ筆を執ったとか、なんで書き始めたかとかもまったく覚えてはいないのですが、物書き歴でいうと、そろそろ十年近くになるのかなと思います。

これまで私には、ネット上での創作者同士のつながりはありませんでした。
そして、公募を目指してどこかに出そうという気概もそこまでありませんでした。
ネット上の創作者たちの繋がりの中にいると、それがかなりイレギュラーなことに思えてきます。でも案外、しずか~に自室でノートを開いては、こっそり妄想小説を書きつけて息をしている人種も、けっこう世間に紛れているのではないかと思うのですよ。そういう人たちは、どこにもさらすわけでないため生存を確認できないのですが。言っちゃうとこれまでの私は、ネットの創作界隈からは遠く離れたガラパゴス諸島に住んでいるような人種だったのです(独自のオリジナルワールドを展開してたわけです)。

といいつつもわたくし、創作界隈において完璧な鎖国状態で生きてきたわけでもございませんで、これまではリアルで創作者同士のつながりもありました。
といいますのも、わたくし大学時代は創作系の学部に所属しておりました。
だからこそ、これまではネット上のつながりはいらなかったのです。
学部の友達と小説を見せ合い、小説の設定について熱く語ったりしてました。充実した学生生活でございました。
では、大学入学以前はどうしていたかと言いますと、それこそほぼほぼ鎖国状態でした。唯一見せていたのは妹だけですね(笑)仲のいい友達にも、小説を書いていることは打ち明けてはいませんでした。今でも、地元の友達には言えてないです。
今は、大学の友達にはもちろん、職場の上司にも話してたりするんですけど、なぜか幼少期を共にした友達には言えないんですよね。
私は大学入学とともに地元を離れ、大学に通ってた方の地域で就職をしました。きっとそのことも影響しているのだろうと思います。おそらく故郷には、いろんな幼少期の思い出を置きっぱなしにしてきたのです。恥ずかしい過去の小説の思い出も全部、です。

それこそ昔は、小説を書いている自分が恥ずかしくて仕方ないと思っていました。なにせ中身は妄想小説といいますか、ポエムといいますか、日記といいますか、そんなレベルの読むに堪えないものだったからです。
ですから、中高生の時分からしっかり公募を目指して書いている方をお見掛けすると、過去のちゃらんぽらんな自分が恥ずかしく思えたりします。きっと小説にかける熱意や成長速度も段違いのことでしょう。
……でもそんなお遊びレベルのものでも、まあ書いてりゃそこそこ筆力はつくんでしょうかね。たぶん、その時間は無駄ではなかったと思うのです。

私が初めて妹以外に小説をさらしたのは、大学一年生の時でした。うちの学部にはさまざまな分野の講師の方がいまして、プロの戯曲家、出版社の編集長、児童小説の評論家、映画評論家……などなど。クラス担任は、自分の希望とは関係なくランダムに振り分けられます。
私がふりわけられたクラスの担任は、文芸評論家の方でした。この評論家先生は、うちの学部で一番人気の「小説ゼミ」の講師でした。小説のゼミに入りたくてこの学部にやってきた私にとってはありがたいことでした。
その先生の最初の必修授業は、小説、シナリオ、詩、漫画、なんでもいいから作品を仕上げて、全員で作品の批評会をしろというものでした。しかも、批評会の投票でトップ3に入った人は、必ずA+の評価が与えられるという実力主義なクラスでした。
まあ、燃えましたよね。いうてもクリエイト系に興味もない子も案外いて、そういう子は、無難にさらっと川柳とか俳句みたいなのを書いて提出してました。
私はもちろん小説です。このとき、初めて他人の目と言うものを意識して書きました。誰にも見せずにひっそりと書いてきた私です、クラスの子たちに作品を渡すのにはえらい勇気がいりました。ですが、思いのほか周囲からは高評価でして、自己肯定感がどん底の私にも少しだけ自信が付きました。
結果的に、私はそのクラスで2番目に多い票をもらいました。A+です。
1位の子は、私が大学時代仲良くしていた子ですが、もうプロじゃねレベルに絵がうまい子でした(そして同じく鎖国型で、美術部とかにも属してなかった子でした)。その子は絵本作家志望でして、提出された絵本の作品を見てこりゃあ勝てるわけがないな~と納得して嫉妬する気もおこらなかったのをよく覚えています。

で、その授業の中で嬉しいことがあったんです。
私の作品の批評が授業で行われた翌週、漫画家志望の子が私の作品をイメージしたイラストを書いてくれたんです。スケッチブックいっぱいに、しかもカラフルな色まで付けて。私はそれを見せてもらって、気恥ずかしいやら嬉しいやら、調子に乗りすぎるなよと制する理性やらで頭がいっぱいになってしまって、うまく感謝の気持ちを相手に伝えられなかった記憶があります。
そして、二年後くらいにまたその子と講義が一緒になったとき、「私ね、あの時のまめちゃんの作品、今でも忘れられないんだ~」ってこそっと言ってくれたんですよね。その子、学部では特別仲のいい子ではなかったんですよ。でも、そうやってわざわざ私に声かけてくれたのは嬉しかったです。
名声なんて二の次で、とりあえず誰かの人の心に残り続ける作品を書きたいなぁ~と漠然と思うようになったっきっかけは、間違いなくそれだなと思います。

とまあ、そんな出来事がありまして、私は人に作品を読んでもらうことの嬉しさに目覚めてしまったわけにございます。そして、読み手の目を意識して書くことの大切さも学びました。
このあと私は、小説が書きたくて創作系の学部に来たにも関わらず、なぜか小説のゼミに入らずノンフィクションのゼミに入り、あれやこれやで社会派の小説を書きたいと目指すことになるわけですが、これもなが~い話になるので、もしあればまたの機会に書きたいなと思います。

どうして創作系の学部に入ったの~という話を始めるとそれもまた長くなりそうなのでさらりとしか触れませんが、言っちゃうと、夢も特技もなーんもないつまらん人間だったからです。まともに受験勉強をしたこともなければ、何の分野でも上を目指す気がない、やる気も覇気もない生徒だったからです。唯一継続していたものと言えば、小説(もどき)を書くことくらいで。好きなものと言うと、文章を書くことくらいで。どうせなら四年間好きなことやってみたいな~なんか面白い学部あんじゃん!って感じで、入った大学でした。

ほんと親不孝な娘だと思います。そんな理由で県外に出て一人暮らしを始め、仕送り貰って学費まで払ってもらってたわけですから。でも、これまで夢も目標もなんもなしにふらふら~っと生きていたような娘が突然、文章について学びたいんだけど!小説書きたいんだけど!って言い出したら、親としてはその気持ちを簡単につっぱねることはできないと思うんです……なんだかずるい言い方をしたような気がして、今でもずっと、親には申し訳ない気持ちがあります。

しかも私の家、全然裕福なんかじゃないんですよ。家を離れている間に気づいたら両親が別居してたとかいう事情もあるからですが、大学二年目くらいから、親から大学の延納届を出すよう言われるようになりました。意訳すると、学費を期限までに払えないんで、いついつまでにまとめ払いしますね~っていうような内容を伝えるために、書類を学校に渡してたんです。
書類は、学生が学校に取りに行って、ほんで親に渡してまた学校に提出しにいかにゃならんので、一人暮らし勢にはなかなか大変なシステムです。不備があって突き返されようもんなら郵送しなおしです。
これを定期的にやりとりしなければいけなくなり、不純な動機で県外の大学に入学してしまった私は、少しずつ罪悪感を感じるようになりました。高校生の時分にその程度の頭もなかったことが情けないのですが、今更ながらに親に負担をかけていることが申し訳なくなったんです。
でも、いつもごめんね、とかありがとう、とかも素直に伝えることすらもできない娘でしたので、その延納届を家に郵送する際に、こそっと手紙と自分の小説を同封したのです。
内容としては、こんな作品を授業で書きました。頑張ってます、的な報告。申し訳程度に、いつもありがとう、もつけたかな。あくまでおまけ的な感じで。そんな素直でない娘だったのです。

そんなことがあり、次第に私は在学中に何か功績を残さねばいかんのではないか、という強迫観念にかられるようになりました。在学中はさすがに無理でも、いずれ賞のひとつでもとらなければ、この学費もすべて無駄になってしまうのではないか、という気持ちになり始めたのです。

そのとき私には、自分の創作活動を応援してくれる良きお友達がおりました。酒を飲み歩くクソ友達とか、おしゃれ大好きキラキラお友達とか、わりといろんな交友関係をもってた私ですが、創作について本気で語り合える友達はかなり厳選しておりました。なかでも私のいちばんよく語り合ってた子を、Nちゃんとしましょう。
Nちゃん自身も小説を書き、自分とは全く違う作風でかつ上手なのでとても尊敬していたのですが、彼女の夢は「編集」の仕事につくことでした。なのでお互いウィンウィンの関係であることもあり、私の作品を読んでもらい、よく感想などいただいていたのです。

その子に、「在学中に一本、公募に長編を出したい」と宣言をしていて、そのためのロケハンにつきあってもらったり、その他添削なども引き受けてもらっていました。私は本当に頼り切り人間だったのです。もちろんNちゃんの作品も読んではいたのですが、彼女自身あまり作品を見せたがらないこともあり、明らかに「読み合い」という面では私ばかりが押し付けているような状態になってはいたな、と今になっては思います。

そして、「公募用の長編を書きたい」と言って、時間をかけてつくったプロットは、当時の私にもそして今の私にも分不相応なもので、現在進行形で書けずに悩んでいる作品でもあります。
掲げたテーマも、これまでの人生の中で感じてきたものの集大成、といった感じで、自分の経験を多分に含んでいるものでもありました。あまりに掲げた目標が大きすぎて、結局それの作品は書ききれずに、一度寝かせてしまうことになりました。

今思えばそれも当然で、私は公募勢の皆さんのように、絶対にデビューしたい!!作家になってやる!!というような熱い気持ちがなかったのです。
むしろそれは、四年分の学費に足るようないいものを形にしなきゃ、という使命感でした。もとより私は、好きなものを好きなように書きたいだけの人間だったのです。人間の根本はそう簡単にかわりゃしません、私は四年だってもなお、目標も夢もない、ちゃらんぽらんな人間でした。

でも、当時の私はそのことに気がつけませんでした。
卒業が近づくにつれ、なんか小説書けないな~~という状態になっていき、何か月も筆をおき、アホみたいにバイトをいれまくったりしてました。そして、気づけば四年生になり、就活の時期を迎えてしまいました。

私は地元に帰って就職するつもりでしたが、地元での就活はうまくいかず、これ以上長引かせてもジリ貧だと思った私は、結局大学側の県で就職することに決めました(コロナ初期の就活生で、いろいろ大変だったのです)。
そして、就活が終わってすぐに卒業制作に取り組み始めました。
ゼミでは、フィクションとノンフィクションの比較研究のようなことをしておりまして、その集大成としてノンフィクションノベルを書くことに決めていました。
(話は少し横道にそれていきますが、おつきあいいただけると幸いです)

内容は割愛しますが、その時取り扱った少年事件のルポが、私の人生を変えたルポでした。そして卒制のために、過去の新聞記事だの週刊誌だの少年法の文献だのいろいろ調べる中で、私は社会派の小説を書きたいと考えるようになりました。
実はうちのゼミ講師は、少年事件系のルポではかなり有名なライターのようでして、私はそれを詳しく知らずに足を踏み入れてしまい、大後悔しました(文献を調べれば調べるほど講師の名前が出てくるのはマジで恐怖)。
そして、半端なものは書けねぇ!!!とめちゃくちゃ奔走しまくり、調べまくって、4か月ほどで中・長編を書ききりました。

書き上げた時の達成感といったらなかったです。人生で一番の成功体験な気がします。
ですが、執筆中は本当に孤独な闘いで、ゼミ生は私一人なので誰にも批評してもらえないし、講師はくそテキトーで卒業式にも顔出さないような奔放な人なんで、コロナ禍もあって4年生のゼミは一回も開催されず、結局まともに作品を読んでくれたのは友達のNちゃんくらいでした。

あらためて思うとすごいですよね。私、誰に追い立てられることなく自主的にひたすら作品と向かい続けたんです。たとえテキトーなものを書きあげたとて、誰も私を責めなかったと思います。ノンフィクションノベルなので、当然小説の公募に出すこともできません。日の目を見ることのない作品です。
私はただ純粋に、小説を書くのが楽しかったのだと思います。
自分が目指したいものは見つかったし、卒制・卒論の発表会に進んで出席して講師の方にも作品発表に絶賛をいただいて、私はやりきった!と思いました。たとえ誰にも読んでもらえなかったとしても、自分の納得いくものを書きあげられたら、私はそれで満足だったのです。

とりあえずそんなこんなで、公募用の長編には手を付けられないまま、私は卒業の日を迎えてしまいました。
そしてここで、私の創作人生に大きな転換点が訪れました。
大切な創作仲間、Nちゃんとの決別です。

Nちゃんは、4年生の3月から会社の寮へ引っ込し、一足先にバイトとして働き始めていました。そのころから彼女はだんだんと「忙しい忙しい」というようになり、Twitterでは、会社の同期(になる人)と遊びにいったよ~~というようなツイートをよく上げるようになりました(これまで頻繁にツイートするような子ではなかったのです…)。

まだバイトだから当然働いている日数も少ないし、これまでアホほどシフト入れてたクソアルバイターの私からすると、全然「忙しい」と言うほどでもありませんでした。しかもTwitter上では、普通に遊んでんじゃんと思うわけで、どんどんと嫌な感情が降り積もるようになりました。

そして三月の終わり、卒業式も終わった頃、彼女は「もう、小説を書くのをやめる」と私に告げました。
私には、その「やめる」の意味がよくわかりませんでした。
別に、書きたくないときは書かなくていいし、わざわざ「やめる」と言うことの意味が分からなかったのです。
話を聞いているとどうにも、彼女には学歴コンプがあるらしく、大学受験のとき、執筆にかまけて受験勉強に時間をさけなかったことを今でも後悔しているようなのです。彼女は結局、編集の仕事ができる会社ではなく、印刷会社(お堅いけど有名どころ)の社員になることを選びましたが、社会人になって執筆と仕事を両立できなくなるのは嫌だから、執筆はもうしない、というのです。また、大学受験のときのような失敗はしたくないから、と。

私はそれを聞いて、引き留めてほしい気持ちがあるのかな、と思ってしまったのです(言い方的にもそんな感じがしたんです)。
わざわざ「やめる」宣言をするなんて、未練がある証拠です。彼女は本当は、書き続けるための理由を探しているのかもしれないと思いました。
だから、「あんなにうまいのにもったいないよ」「あの作品(彼女もシリーズの長編を書き続けていました)の続きを読ませてよ」などと言い続けていました。
ですがそれが、彼女にとっては重荷だったのだろうと思います。
その点に関しては、本当に申し訳ないことをしたなと思っています。

4月の入社以降、彼女との溝は深まるばかりでした。
彼女は、同僚との楽しげなツイートをこれまで以上にあげるようになり、これまでにも増して「忙しい忙しい」という話をしてくるようになりました。一方で私は、まだ研修の身でそこまで忙しくはなく、同期がひとりもいない寂しい職場でした。研修もコロナ禍でリモートばかりだし鬱憤が溜まる日々で、私はこれまで以上に創作にのめりこむようになりました。
そんな状況の中で、これからきっともっと忙しくなる、このままだと私は創作を続けられなくなるだろうという予感がし始めていました。
二年目、三年目と年を追うごとに忙しくなるなら、一年目の今、ここで筆をおいてしまったら、二度と筆を執ることはないかもしれない……!
強迫観念に近い何かが、また私の胸に押しよせてきていました。

私はNちゃんに、これまでで一番の強い決意で「来春の4月に向けて長編を仕上げる」という宣言をしていました。
彼女もまた、「私も創作がしたいなあ」「また書き始めようかな」というような話をするようになってくれていたからです。
私は嬉しくなって、一緒に頑張ろう!という思いを込めて言ったつもりでした。

ですがそれ以降、これまで以上に彼女の発言の端々に、私は嫌なものを感じ取るようになっていきました。まめちゃんは忙しくなくていいよね~というニュアンスが、言外に含まれているように思われました。
このままでは溝が深まるばかりだと思った私は、「一回ちゃんと電話で話そう」と伝え、通話をしました。

彼女は電話口でもまた、仕事の話をしていました。
彼女はどうやら、仕事が忙しいことを理由に、以前私との通話の約束をリスケしていたことを気にかけていたようで、それに対する言い訳のようでした。
それに対しては正直そこまで気にしてなかったですが、そのあとの彼女の発言が、私はどうしても許せなかったのです。

私は彼女に、次のようなことを言いました。
「メッセージでも伝えたと思うけど、私、来春の公募に出そうと思うんだ。忙しいと思うし、別に無理に読んでくれなくたっていいんだけど、ただそれだけ宣言したくてさ。また頑張ってみるね」

彼女がそれに対して、こんなことを答えたんです。

「私はもう創作はできないなあ。でもまめちゃんはまだ(仕事では)見習いみたいな感じなんでしょ? ちゃんと働き出せば今にわかるよ」

そんなことを、悪びれもなく言われたのです。
研修を受けている身とはいえ、私だって給料もらって働いてるんですけど……。
なんというか、唖然としました。そして、猛烈に悔しくなりました。私がどれだけの思いで、執筆の再開を決意したかなんて微塵も伝わってなかったのだなと思いました。

「大人になるってそういうことだと思うんだよね。何かをあきらめることっていうか」

なんて彼女は言うわけです。
なんで同じ4月入社なのに、たった数か月先に現場に入って働いてるくらいで、そんなすべてを悟ったようなことを言われなきゃならんの?と思いました。

そんなに小説を書き続けることは、子供じみたことなの?
私は大学四年間で、人に小説を読んでもらうことの嬉しさを知ったし、小説を書くことだって恥ずかしいことじゃないのかもって思えるようになったのに、そのことまですべて否定されたような気になりました。

そんときにね、また馬鹿みたいにいろんなことを思い出すわけです。
卒業制作・卒論の発表会で、締めの感想として私は言ってたんですよ。

「この学部で習ったことは、就活では全然役に立たなかったし、むしろ苦労したくらいなんですけど、でもこの学部に入ってよかったことは、お互いを高め合える創作仲間に出会えたことです。この友人たちとつながっている限りは、これからもずっと書き続けることができるんだろうな、と思います」

これマジで、発表会のレジュメにも残ってるんでね。ほんと笑える。
どこがだよ、って感じです。環境変われば人間関係も変わる。そして考え方も変わるんですよ。そんなもろいもんなんですよ。

Nちゃんには「3末の公募に出す」宣言をし、「また春に会おう」とだけ告げて、一度距離を取りました。結局、3末の公募には出せなかったんですけどね……。

以来私は、大学の友達に創作の話はできなくなりました。
ほんとにみんな忙しそうなんでね……もう傷つくようなことはしたくないんですよ。

そんなこんなで、私は孤独に執筆活動を始めました。
で、あるとき、図書館に引きこもって執筆をしていて、ふと思いついたわけです。
リアル創作仲間でなくても、ネット上で創作仲間とつながれるのでは……?と!!
そして8月に、今のTwitterの創作アカウントを開設するに至りました。(なーんにも使ってなかった抜け殻アカウントを再利用しただけなんですけどね)。

……以上が、創作アカウントの開設にいたるまでの経緯です。
長々と失礼いたしました。


最後に、ですが。
私が、これまで創作において影響を受けた人、考え方の転換点に関わっている人は四人います。

一人目は、高校の現代社会の先生(元担任)。
この人の言葉で舞い上がった私は、何を思ったか、創作系学部に進むことを選んだのです。

二人目は、ゼミの講師。
小説において、社会派を書きたいと思うきっかけをくれた人です。
(なお、先生自身からなにかありがたいご指導をうけたかというと、そこまででもない。ただ、存在が大きすぎた)

三人目が、Nちゃん。
公募を本気で目指すきっかけをくれました(この記事で語った内容です)。

四人目は、Tさん。
私がどうしてこんなに今、書くのが苦しいのかを考えるきっかけをくれた人です。

転換点になったTさんの発言関しては、たぶんまったく他意はなくって、ただ私がいろいろ刺さっちゃっただけなんですけどね。でも、彼にはすでになんどか救われている気がします。

彼に言われたとある言葉がきっかけで、私が今、自分が何に追われているのか、どうしてここまで3末の公募にこだわるのかを、じっと考えたことがありました(あえて発言の内容は伏せておきますが)。

私はその時、精神が異常に追い込まれていました。
どうしても書けない、でも書きたい。そんな葛藤で毎日眠れないくらいになってたんです。今思うと、ほんとばかばかしいくらいの話なんですけど。

そこで冷静に自分を分析したとき、ふっとあることが見えたんです。
私は今、自分のためだけに小説を書いてないんだ、って。

四年間学費を払ってもらった親のために書ききりたい?
友人に宣言したから、3末までに書ききらなきゃ?

そんな動機で書けるわけがないんですよ。
いつの間にか「書きたい」じゃなくて、「書かなきゃ」という使命感みたいなものにすり替わってしまってたんです。

だって、卒制のときはあんなに熱中して書いてたじゃん。
どこにも出さないし、誰に評価して貰えるわけでもないのに、あんなに毎日真剣に向き合って、苦しかったけど、それ以上に楽しかった。
それはたぶん、自分のためだけに書いてたからなんだ。

仕事で疲れ切ってバスに乗ってる帰り道、ぼうっと彼の言葉を思い出して、そのことに気が付いてしまった時、つーっと涙が頬を伝ってきたんです。やべっ、泣いてる!!って思いつつ止めらんなくて、必死になって嗚咽はこらえていたものの、バスから降りたらもう大号泣でした。道ですれ違う人が二度見するレベルでした(笑)




ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。
(こんな長文、読んでくれる人いるんだろうか)

社会派の名作を書きたい――これは長期的な目標の話で、まだ先のフェーズです。
今はただ、書いている長編(Nちゃんとの思い出も詰まってるやつ)を満足できる形に消化して、卒業したいと思っています。
今回の作品、読んでくださってる方もいるのであまり大きな声では言えませんが、物語には私の実際の話も組み込まれていて、その過去を消化するための闘いでもありました(あんまりどの話かとかは勘ぐらないでほしいです笑)。
だから絶対、半端にしたくない。
これを卒業したら、新たな気持ちでまた公募勢として社会派の作家を目指したいです。

じゃあ、これからどういう方針で書いていくの?という話を、次の記事に書き綴りたいと思います。

では、また明日以降、次の記事でお会いしましょう!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?