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⑦-2『ルポ 児童相談所 -一時保護所から考える子ども支援』2章(1)~3章(1)

小説公募の文献まとめ7冊目の2記事目。
頭から内容確認したい方は、よかったらひとつ前の記事を読んでください!



2章(2)一時保護所の運営を規定するもの
・ほとんどの一時保護所では、子どもたちは外出できない

移動の自由は「基本的に制限されている場合がほとんどであり、友人など同世代の子どもたちへの連絡も禁止されている。
建前上は、たいていの一時保護所において、指導員や保育士と一緒での外出は許可されていて、実際に職員と子どもが外出していることも多いと説明している。しかしそれは、「病院に行く」と言った場合などに限られている場合が少なくない。
著者がとある一時保護所に「大体どれくらいの頻度で子どもたちは散歩などの外出ができるのか」と尋ねると、「大体2、3か月に1回くらい」という返答が返ってきたという。

・外出ができない理由とは何か?
①子どもの安全
一時保護においては、子どもを職権保護(児相が親の同意なしに子どもを保護すること)などで連れてくる場合があるため、親が半狂乱になって一時保護所に押しかけてくるといったことがある。また、地域の人に見つかり、保護されていることがわかったら、その子の将来に悪影響があるかもしれない。それらのことから子どもを守るためだと、職員側は主張する。
②外出中の逃走防止
一人で数人を見ていた場合など、示し合わせて逃げられると、その場で捕まえることはむずかしい。
③職員が忙しすぎる
普段の仕事で手いっぱいで、日課にないような業務までこなせないという主張。しかし著者は、一時保護担当の方は、そこまで残業等しているようには見えないと言っている…

・学校にいけないため学業は確実に遅れる
一時保護所ではの学習時間は、子どもの学力に配慮した指導ができるような状態にはないという場合がほとんど。
たった一人や二人の指導員で小学生から高校生までの子どもを指導している状況。相当数の一時保護所では学習ボランティアや学習指導員の非常勤職員を採用しているというが、そうでない場所では職員が子供の学年に応じたプリントを機械的に配るだけだという。
一時保護期間の平均学習時間は2.4時間という統計。

・窮屈な生活ルール
一時保護所にやってくる際に私物の持ち込みが許可されているケースは全体の四割弱にとどまる。過半数の保護所において子供たちのは着の身着のままそこにやってきて生活している。
やってきた途端、私物がすべて取り上げられ、保護所内に置いてる服を選び、それを着ることから生活が始まることも少なくない。
中には、下着まで保護所の物を選ばなく手はならないところもあり、下着に番号が振られていたりする場合もあったという。
おもちゃやぬいぐるみなどの所持が許可される場合はさらに少ない。
禁止の理由は、「他の子どもが不公平を感じるといけないから」「そのおもちゃが原因でけんかになるといけないから」だという。

食事は学校給食のように食堂で集団でとる。
食事中の私語は禁止されていることが多い。子供同士のトラブル避けるためだという。
おかわりも自由にできるわけではなく、「食事開始から何分後に一回まで」などと厳密に決まっている。(食べるペースが速い子が食事を独占しないため)。
一部屋の定員数は、データの中央値で3名。
1~2人の場合もあるし、多ければ7~8名もありうる。

携帯電話も、保護所にいる間は一時的に没収になる。
子どものプライバシーを保護する観点から、ほとんどの一時保護所で子ども同士の住所交換を禁止している。
唯一許されている手段は手紙。
保護所において、家族への手紙の許可をしているところが全体の8割、
学校の先生への許可は6割、
友人への許可は1割(なんと…)
このご時世に手紙を書いてまでやり取りをする子は少ない。

(3)ルールを破ったら、どうなるのか
・個別対応――罰か、振り返りの時間か

一部の一時保護所では、ルールを破った子どもに対して「個別対応」という名の下で別室隔離をする場合がある。
例えば、食事時間にイライラすることがあって机や椅子をどんどんと鳴らしたり、通っている学校やメールアドレスを教えたりという行為も対象となる。
「個別対応」というのは、集団に戻れる状態になるまで、個室または個別ブースに隔離すること。時間は、3,4時間ほどから数日に及ぶ。
その期間は、トイレの時間などを除き、部屋から出ることはできない。
そこでは、本を読んだり、作文(反省文)を書いたりさせられる。
場合によってはケースワーカーや心理士などがやってくることもあるが、基本的には放置だという。
個別対応にするかどうかは、基本的にその場の判断で職員が決め、対応方針は職員らで話し合うという運用。
とある保護所では、畳4畳の狭い部屋に隔離していた。壁がところどころ壊れ、畳がむしられていた。おいてあるのは大きなタンスひとつのみ。

・厳しい規律の理由
①保護所には、飛行、被虐待、精神障害の3種類の子どもが入ってくる。
非行少年の中には、家出や万引きと言った軽度のものから、放火と言った重たい罪を犯した者まで様々。
虐待を受けた者は、ちょっとしたことで感情が爆発する可能性を抱えており、そのほか発達障害のために親から育児放棄をされた子までいたりする。
一時保護所の子どものうち2割は発達障害を抱えているという統計まである。
ある職員は話す。
「普通のゆるい規律で子どもたちが生活するようになると、トラブルが絶えなくなってしまうんです。荒っぽい子供たちが、親からの虐待でおびえているこどもたちをいじめたり、精神障害の子どもが暴れてしまったり…」
「異なる背景を理由にここにやってきた子供たちが集団生活を送り、心と安全を守るという最低ラインをクリアするには、どうしたらよいか自分にもよくわからない。抑圧的なことはあまりしたくはないが、個別対応をちらつかせながら子供たちを従順にさせる以外にやり方が思いつかない」

②職員数の少なさ
一時保護所で大変なのは、年齢層や抱えている問題が毎月のように変わっていくということ。例えば二歳の幼児が入ってきたり、あるいは何らかのトラブルを起こす可能性の高い子が入ってきたら、その対応でつきっきりになり、残さされた職員で対応せざるをえなくなる。

③職員が子どもの状況について想像力を持っていない。
職員はいつでも外に出ることができるが、子どもは寝ても覚めても一時保護所の中で過ごす。そして、職員はルールを作って順守させる側だが、子どもはそれに従う立場であるということ。

・滞在日数の長期化がもたらす弊害
近年において一時保護期間はどんどん長期化している。
2か月以上保護所にいる子どもが半数以上。保護期間が一年を過ぎる子も保護所に一人や二人はいるような状況。
子どもが仮に一週間でも家庭に戻っていると、一時保護期間がまた0からカウントされるため、表面には出てこない。
そして、保護期間が長期になりがちなのは、虐待により傷ついた体験が深く、施設や里親が敬遠する子供たちであるという事実がある。

・一時保護件数の増加が原因なのか?
長期化の原因には以下があげられる
・一時保護件数が増加している
・児童相談所がパンク状態で一時保護の話が後回しになっている
・措置先である児童養護施設や里親等の定員がいっぱいである
・施設や里親との相性が悪く、なかなか良い措置先が見つからない

・退所の知らせは子どもたちに突然降ってくる
子どもたちは、一時保護期間が終わる3日前になってはじめて、その次に自分がどこに行くことになるのかを知る。
なぜ子供たちに現在の検討状況や終了見込みについて知らせないのか。
職員から帰ってきたり理由は以下のようなものだった。
①不確実な検討結果を聞かされることで、子どもたちが一喜一憂することを防ぐため。
②なかなか退所が決まらない子どもが、退所が決まった子どもたちの話を聞いてショックを受けたり、子供同士のトラブルが起こったりするのを防ぐため。

・家に戻れない子どもたちのその後
一時保護された子供たちのうち、半分強は家庭に戻る。
4割の子どもは社会的養護に入る。(児童養護施設や、里親家庭など)
その他一部の子どもは、そのまま病院に移ることもある。

日本では里親の比率が低い。理由は以下。
①社会の認知が低い
②子どもが里親に預けられるのを実親が拒否し、親権が強いため親の同意なしに里親委託ができない
③児相が子供対応に忙しすぎてもともとからよく知っている施設にとりあえず預けてしまう、など。


第3章 児童相談所と一時保護の現状
(1)「むしろ、かかわらないでほしい」という意味

・実母の虐待から逃れたエリコさんの話(p112~)

(概略)
母親は15歳の時にエリコさんを産み、すぐにいなくなったため、祖母とその愛人に育てられた。
思春期のときに母親が接近してきて、周囲の反対を押し切って母親についていった。その日から地獄がはじまった。
児相の人は、当時のエリコさんにとって疫病神だった。
児相の職員は、心を開いてもらうために『お母さん、私は味方ですから』と言う。母親は子どもを連れていかれないために、『ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。今の精神状態は落ち着いているので大丈夫です』穏やかに答えるすべを身に着けていく。
実際家の中は、常に物が散乱していたし、壊れた茶碗が散らばっていたりしたが、さすがに家の中には入ってこなかった。
そういう母の対応を見て、児相の人や民生委員の人たちは、自分たちが家庭を訪問することによって、環境が改善されていると勘違いしていたようだった。
彼らが、団地の鉄のドアを閉めるときの「バタン」という音を、エリコさんは忘れられないという。
虐待が始まるという絶望の音。それを聞き、今日は何とか殴られずにすんでいたのに、これから2日間本当の地獄が始まるな、とあきらめるのだった。
母と付き合って生きていかなければいけないのは自分。数ねん経てば担当が変わるような人たちには関わらないでほしいと思っていた。
母と暮らしてから半年後のある日、『酒を買ってこい』と言われたときに母の元を逃げ出した。そのときエリコさんは15歳だった。
行政を頼るという考えはなく、嘘の履歴書を書いてバイトをしていた。でも、一緒にいた人が車をこすってしまい、それで警察沙汰になり、警察から児相に行くことになった。
家庭に戻らなくてよかった。児相から家庭に戻らずに済んだのは、行政の人々が家庭をひっかきまわしつつも、家庭の事情を知っていからだろうと思われた。


文献まとめ7冊目、まだまだまとめ終わりません!!!
記事長くなりましたので、また一区切りしますね!
次で終われるかな、どうかな~。
まめの奮闘記。よかったら、続きも眺めていってくださいな(*^-^*)

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