見出し画像

泣き虫先生教壇に立つ

こんにちは!mame千代です。
私の仲間うちで語り継がれる泣き虫先生と涙の学級会のお話です。

30年近く前のことです。
私の通う小学校では2年に1度クラス替えがありました。
5年生の時に仲良くなった3人組は、6年生になっても同じクラスです。
そんな私達3人は春休みの間も毎日のように一緒に遊んでいました。
ある時、誰からともなく出た話題、

「6年生になったら担任は誰になるんだろう?」

小学生の私達にとってはとっても大きな問題でした。
小学校生活最後の年、何としても楽しく過ごしたい!
〇〇先生は怖いし、〇〇先生は細かいしと。。
そして計画が企てられました。

学校忍び込み大作戦

新学期前日、きっと担任の名札が教室に掲げられるに違いない。
そう思った私達に、ついにその日が訪れました。

校門を突破し、校舎の周りを屈みながら進み、そして1階図書室の掃き出し窓に手を伸ばした瞬間の嬉しかったこと!なんと鍵が開いていたのです。
靴を脱ぎ、忍び足で3階の教室へ向かいました。
そして目にした黒板の文字。
そこには優しくも凛々しい、歓迎の言葉が並んでいました。

「あーあ、最悪。。」

そう、それは見覚えのある文字でした。
名前こそ無かったものの3年生の時の大嫌いな担任の字。。

肩を落とす私達でしたがそれは単なる勘違い、翌朝教壇に立っていたのは6年生を初めて受け持つ若い女の先生でした。
こうして期待と安堵の中、最後の1年が始まりました。

ある日の朝、1人の男子が捕まえたスズメを連れて登校してきました。

ある日の授業中、叱られた男子が勝手に帰っていきました。

ある日の掃除中、教室からお菓子のゴミが見つかりました。

ある日の休み時間、男子達が投げたボールで教室の水槽が割れました。

とまぁ、散々なクラス。
担任の先生は学級会を開き、大粒の涙をポロポロこぼしながら、しぼり出すようにこう言いました。

「ゴメン!先生辞める。」

今でも語り継がれる涙の学級会、それはすすり泣く声に包まれた長い時間でした。
そして子どもながらにそれぞれが思い、考える時間でした。
先生はきっと教頭や学年主任に事あるごとに怒られて泣いていたんだろう。
その原因を作っているのは自分たちだと。
誰も何も言いませんでしたがクラスは1つになり、その後も先生は教壇に立ち続けてくれました。

ある日の休み時間、女子みんなで長縄跳びをしていました。
チャイムが鳴ってもやめようとしない私達の元へ先生がきました。
「先生ゴメン!最高記録更新中なのー」
女子の1人が言いました。
すると先生が、
「OK!授業やってるフリしとくから頑張れ~!」
と言って続けさせてくれました。

節分の日のお楽しみ会、前の扉を開けて廊下に向かって先生が叫びました。
「今からお豆をまくよー!」
そして扉を閉めると私達に向かって人差し指を口にあて、
「シー!内緒だよ」
と言ってたくさんのお菓子をまいてくれました。


あの頃の私達にとって大きかった担任問題は、笑顔や涙をありのままに見せてくれた先生との時間が今でも思い出す大きな宝ものとなりました。
そして今、小学生の子どもの母となり、つくづく思います。

担任にも当たりはずれがある。
わが子よ、いい先生を引き当てろ!

この記事が参加している募集

スキしてみて

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?