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攻めと守り・その2 何を守っているのか?自由と許容

おさんぽです。
芽吹きの季節になりました。
草花の、生きようとする息づかいを感じます。
おさんぽ こと私は、可能な限り
雑草生い茂る場所を、無目的にのんびり歩く。

改めて申すまでもなく、飼い犬とお散歩しておられる方、非常に多いです。
町中、河原、公園。朝でも夜でも、道にも草むらにも、ワンちゃん連れあり。
アタシみたくな、自分で自分を散歩させている人間はむしろ少な目。

ほぼワンちゃん目線で、路傍の灌木や名もなき草の茂みに
踏み入るので、犬の邪魔しないようにすることと、
マダニにも注意しています。
長ズボンに厚めソックスで皮膚は覆う、帰宅時には
履物の塵埃を拭きとって玄関に入る、ようにしています。
皆さまも、ワンちゃんも どうぞご留意の上 おさんぽくださいませ。

さて、私事乍ら、父を見送って3か月が経過しようとしています。
以前「攻めと守りーいつも誰でもやっている」という記事を上げました。

歳を重ね、不自由が極まり、病院から施設へ。
家を離れ、母とも離れ、最期の時間を迎えた父。
あの世が近いと十分理解し、既に自分を失いつつあっても
介護されることはやむを得ないが、それをコントロールしようとしていた父。
自分を守ろうとしていた。
痛々しくもあったが、ある意味での「毒」を吐くのをやめない、
攻め続けた人だった、最後まで。
そのことは、「父」が自分の王であり続けた「証」であった、
というまとめでした。
然し、重要な考察が抜けているんです。
それでよかったのか、本当にそれで終わっていいのか、と問われれば
私には、
父が自分の最後のあり方に、十分満足していたようには 感じられなかった。
そりゃそうでしょ。家に居たかったのですから。
思うようにしてあげられなくて ごめんなさい。
でもねえ
そういうことは、よくあることだよ。
そう慰めも頂き、労っても頂いたが 
もう、父はいない・・赦してももらえない、
考える度、父の不満が迫ってくるようで、苦しい。罪人の苦しみ。

とは言え 自分で自分を赦すことはできない。
自分を赦したところで、その効果≒解放、自由はない。

現代の社会の「画一化」について考察したハンナ・アーレントは
著書「人間の条件」において
「赦し」について考察している。
人間と人間が向き合い、行為(action)の目印となる「約束」を設定しても
果たせないこともあるだろう。が、もし
それを赦すことができるならば
赦すことで actionは、又新たに始まるだろう。
私達は 死ぬために生まれるのではない。始めるために生まれるのだ、と。

アーレントの人生を思う時、彼女が、
人間には「赦し」が必要であると語ることに、
清明な強さ を感じずにいられない。
 
他者とのかかわりの中で生きる私達は、
間違いを冒すこと、その結果としての批判を恐れる。
たった一人で居るのならば 何も恐れなくていい。
他者を必要としているからこそ、
他者から赦されないこと、人間関係が絶たれることを恐れる。

他者と共に在る「自分」こそ 生の実感をもたらす。

父は、自分にとっての「家族」を守ろうと 思っていたのだろう。

「自分だけのための自分」 を守ろうとしていた、ように思っていた。
そのときの私には 理解できなかった。
ただ 生きているだけになりたくない
守ってきたもの 全てから 引きはがされることに抗っていた。
その時の私には、厄介でしかなかったけれど

最期の時まで 父には
大きな
守るべきものがあって
その意識は、私ではなく
ずっと遠くのどこかにあったのかもしれないな、と
思うようになった、アーレントのおかげで。


社会(的なもの)の形も、社会の一片である家族の形態も変化しているが、
日本において、かつて 家族は
家長による小さな支配社会であった。
それが今や 個人の集まり≒約束が必要とされるパートナーズ 
いわば小さな現代社会(的なもの)とも言えるだろうか。

父と私では、家族がどうあるべきか、の考え方が全く違ったのね。
私が、許容するべきだった。
意思疎通ができる間に、私が父を、
これまで私を拒絶し、貶めてきた過去も
受け入れていれば
後悔や苦しみは 今より小さかったかもしれない。
短い時間だったとしても
父と私の新たな関係が始められた、 のかもしれない。

父は戦前の人であったので、家族を正しく支配することが正しい、と信じており、激動の中を生き抜いてきた自分自身の道徳観、正誤判断だけを信じるべきだと、全く純粋に信じていたのだと思う。
自負心が強く、被支配者から批判されることなど我慢できない。
恐らく、暴力も受けて育ったため、自らも、私や母に暴力を行使してしまったのだろう。
あーしろ、こーするな、と押さえつけられた記憶だけが、
私の中に残っているが、忘れているだけで、何かしら
父からのactionはあった、と思う。
問いかけに対する私の反応が、父を失望させていたのだとしたら、
申し訳なかった。
別の視点から考える、何度でもactionする
そういった余裕が、私にはなかったのでしょう。
十分すぎる時間の経過を経て、ここまで辿り着いたけど。

赦し合う時間は、もう取返せない。しょうがないんだ。
だから
これからも考え続けることで 少しずつ
変われるかもしれないと、思いたい。
人間として 
新しくなる、ことは まだできるだろうから。

次回以降で、
介護保険という社会保障システムと
利用者側の違和感の本質について考察してみたい。

仕事でも個人的にも利用して感じることは色々ある。
父が支援者を拒絶し、私に対しても拒絶に至った
原因の一つがそれかな、と思うので。

では、皆さまどうぞお元気で

おさんぽでした。