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父への詫び状

青々とした新芽が 日差しに輝く五月。
爽風に押され、きょろきょろしながら 
おさんぽ婆さんは、今日も 逍遥to仮想会話
そろそろまた一つ年をとるなあ、、あーあ。

【モンシロチョウ】めでたいのかい?それは。
      【私】そうね、赤いちゃんちゃんこ 着るわけだから。
         よく生きたね、の意味で。
【モンシロチョウ】長生きね。よかったじゃない?
         でも、そんなに長く ワタシは飛びつづけられない。
      【私】何も成さなかったし、成す予定もないのに 生きている      
         の。お前なんか意味ないと、亡くなる前の父に言われた
         ことに傷ついたのは、その通りだからなのね。食べて
         寝て 時々仕事をして。
【モンシロチョウ】翅も翼もないのに、遠くから何度も会いに行ったのは
         大変だったはずよ。表彰状も勲章も、報酬もない。
         それでも、あなたはワタシにはできないことをしたわ。

さんぽの効用は、申すまでもなく歩きながら、眺めながら 色々考えられること。
仮想会話も妄想も 独り言も アリなので、後悔、反省、罵詈雑言、
告白、○○食いてー、など、かなり忙しく、世界横断的に思考している。
「そうそう、あんなことあった」と、忘れていたことを ひょっこり思い出すことも多い。
無料だし。
ただ、「あーでもない、こーでもない」と
元の課題は解決できないままに、論が広がっては、収束し、
おんなじことばかリ考え続けることも、大いにある。

他人事だったけど、
私も、前期高齢者に近づき、あちこちガタがきている。
憂いてもしょうがないのに、
「老いること」をぼやく高齢者を、心の中でバカにもしていたが
それが、
現前と自分事になった。
そうすると、
90歳を過ぎてもエクセルを独学で学び、使いこなしていた父の頭脳には
やはり感服するし、病を得て入退院を繰り返していた父が
おそらく向き合っていたであろう、不安を実感できた。
子どもに頼らずにいたい、好きなようにしたいと思うのは、
ある意味自然な、普通のことで
父が、特別強がりで、わがままであったのではなかったのかも、、と
遅まきながら 申し訳なく思うようになった。
空の上にいる父に、詫びながら 歩く。
ごめんね。
今更遅いのだが。

昨日も今日も、何も変わらないようであるが
なにもかも変わっている。
ある日を境に、ではなく 常に変化している。

私も、引き続き変化し、否応なく古くなる。

それは ある意味 めでたい、かもしれない。
古いものにも、価値があるから。
しみ込んだ時間が、新しいものにはない「味」にもなる。

そうは言っても、知らん間に
「老い」の高みに登っていたんだと 気づかされるとき、
妙に落ち込みます。これまでもあったけど、還暦に臨み
かなり、加齢が「見える化」した。 
(こういった実感は、個人差あると思います)

数日おきのパートの度に、悲しいかな
足手まといになっていることを実感する。
注意しているつもりでも
何かをやり忘れ、ミスに気づきもしない。
昨日の私です、それ。
これから先は、
見ないふりをしたところで、必ず、どこかで、見えてしまうはずですよね、
「古くなった自分」「できない自分」に、
怖いけど、向き合わないといけない。

できることなら、この先も、自分の面倒は自分でみて、機嫌よく生きていきたいもんです。そのためには、動けるうちは仕事をしないと、年金だけでは、生活できないから。

とはいえ、覚悟しておかなきゃいけない。いずれ仕事ができなくなる、
職を失う時が来ることを。

そう考えると、定年退職、は理にかなっている。
でも、
私の場合、ずっと「ただの」パートだったから 退職金はない。
退職したら 暮らしていけない。といって、注意力が落ちているのに 
今まで通り 務めさせてももらえない。
迷惑なだけだから。
じゃ、どうすんのよ? 
そもそも、もっと前から考えとくべきだよ。
だからダメ、お前はポンコツ 信用できない。。。父は言うだろう。
だとしても、なにか選択肢があるのではないか。
何もしなくても、最低限の生活はできるかもしれないけど、
未来を悲観するだけでない、その人らしさを保ち 働けるような老後は、
夢かなあ、、バカだと言われそうだけど
詫びついでに 考えようと思う。 

*シニア転職について
 今のハローワークは、昔と違ってweb上で検索、応募もできる。
何を隠そう、シニア応援枠なるものがあり、60歳以上でも応募できます!
が、実際は、職種、地域によって 状況が異なる。
大手で生産部門を持っている企業は、シニア層の再雇用にも積極的なんだそう。人手不足により、シニアに対するリスキリングも行うなど、やはり大企業は面倒見がいいようだ。だから誰も辞めない、結果流動しないから私の様な零細企業のパートからの転職は、遠い話。

医療業界、なかでも、薬局はどうだろう。ちょっと特殊ですけど、資格業務
なので人材の流動はある。個人経営が多いため、60歳以上でも働いているケースが多い。なんというか 人肌的な感覚を求められる一方で、ロボットで代替できるような画一的な業務も多いため、個人の力量の度合いは低く、
続けるか、辞めるかは、個人の事情で判断されるようだ。既得権益にしがみつき、コンサバティブ、伸びしろはない。
介護業界は、話が違う。
複数の有資格者の協力で成り立っている、形態(訪問とか居宅とか施設とか)によっても、職場によっても、内容も処遇も違うし、非常に柔軟である
一方で、常に流動するため慢性的人手不足。それにより労働時間が長くなる。ニーズは多く仕事自体は社会的に評価されているが、福利厚生や教育など職の質を上げなければ、使える人材を呼び込めない。それこそシニア職員がリスキリングに取り組めるような 安定した企業の参入が増えるといいと思う。

いずれの業種でも、60歳以上は、たとえシニア枠であってもなかなか採用には至らない。私も新たな分野に挑戦しようと、市が運営するNPOに応募したが、お断りを頂いた。ひとえにポンコツだからなんですけど、
不向き、と言うご判断ですから。これは仕方ないね、とは思う。
でも収入がなければこっちも困るし、日本社会は働ける人は活用する方がいいじゃないんですか?
なんとか、実際に高齢人材の就労が増えるように、しかも、できれば
夢のある形で、チャレンジングな転就職が可能となるように
したいもんだし、意見発出はしなければならない。
円安下においても、状態のいい日本の企業は、
今後、社会支援、還元事業として、介護施設やケアステーションの運営や、転職を支援するためのリスキリングに投資してほしい。

キャリアの終盤に、業種や規模をまたいだ人材の流動が、今以上に当たり前になっていくと、転職業界みたいな ■もん(私見です)いらんし。
(改革?ではなくて、これは新たなブラックな既得権ができてるだけだと思うの。ハローワークがもっとIcTの機能強化すればいいと思うの。その方が、仕事の流動性は広がると思うの。私見です。あくまで)
介護離職を減らさないといけない、と介護保険が社会保障制度に導入され、令和の時代になって、離職は減ったのか?
中小零細企業では、介護休暇はほとんど存在しない。けれど家族による介護が、未だ全体の半数近くである(2021年)ことを思えば、離職しているんだろう。コロナ後、たしかにリモートワークが増えたけれど、高齢者にとって最も利用価値のあるICTは、縁遠いんだよね。
福祉大国と言えば、北欧諸国が思い浮かぶが、たしかデンマークだったか、老人という特性を持った国民が、ニコニコ暮らせるような「ばしょ」を作っているそうだ。その場所では独自のルールがあって、お金も不要だし、間違っても逮捕されない。
日本にも、施設内で老人がそれぞれ得意な仕事を教えあったり、コミュニティと繋がって自走していくような施設があると聞いたことがある。支援やサポートは必要だし、個々人の状態により利用するレイヤーが違ってくるかもしれないが、高齢者が集まって仕事を作り出し、助け合うイメージ。

生きていく上で、仕事があることは重要です。
キャリアサポート、とかリスキリングと言った事柄は、
高齢者に不要なしくみではなく、衍用できる、寧ろすべきだと思う。
変化する、のは子どもも高齢者も同じであって、
変化を恐れなくてもいい、家族だけでなんとかしなくてもいい
受けとめることができる場所はいろいろあるよ、
そんな余裕がコミュニティにあれば、とても、いいんじゃないかい?

儲かってる大企業さんは、ぜひそういう「場所」づくりに
一役二役かってほしい。

se-じかさんもセイGシキン、なるものを、土建屋や地方議員にあげるのではなく、そっちに回せや、とも思う。セージカさんが地元に寄付してもいいんじゃないすか。大きな家も金塊も 持って死ねないよ(あくまで私見です)

父へ、
もっと話をすべきだったけど、バカとは話ができんって、、できずに終わった。
わかりたくなかったけど、少しわかる。それは
壁だと思う。養老先生の言うところの。
バカで申し訳なかったけど、残された時間を
なんとか頑張って、楽しんで生きていくよ。
私も還暦を迎えるのでね。
そちらでうまくやってますか?益々のご活躍をお祈りいたします。
末筆ながら、不出来な娘であったことを、
心よりお詫び申し上げます。
じゃあね、またそのうち、お会いしましょう。
謹白


おさんぽでした。









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