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罪と償い。

国語の教科書で読んだ村田沙也加さんの論説文、
『気持ちよさという罪』に背中を刺された時のことは、今でもよく覚えている。

テーマ自体にも感嘆させられたけど
何気ない一文をとっても、その筆致にくらっとするぐらいエネルギーのある文章。

例えば、
「私は償いきれないほどの罪を背負いながら生きていますが」
みたいな意味の一節。(ちゃんとした本文忘れてしまいました(-_-;) )

思わずはっとした。
思い返せば私も、学校、部活、友達、家族にも
とても想像しきれないほどいろんなことを犯してきた。

ほんとに、物凄く傲慢で迷惑な子供。昔も、今も。

なにか、小さいころからずっと追われてた得体のしれない何かに気づき
ようやくそれと目が合ったような感覚。





そういえば、いま読んでる『淵に立つ』に出てくるおじさんの八坂は、殺人で捕まってた。
彼は遺族に対する賠償金の支払いと、遺族に送る手紙
それに、プロテスタントとしてのきっちりした生活を送ることで反省を形にしてたっけ。


償い


私はどんな形で返せるだろうか。
迷惑をかけた人に会えるなら、態度や心持ちで

でもほとんど会えない。
だから、社会に還元するしかない。
せめての、精一杯の償いとして。

だから私も、せめて自分が他人に傷つけた分は、自分で還さないといけない。




いや、自己満足か。
付けた傷を行動の動機にするのは甚だたちが悪すぎる。

けど、
本質的には私たち
自由意思があるとすれば、すべての行動は自己満足、利己的な行動になる。


視点を引きすぎたけど、
とにかく、体調がいいときは罪意識をエネルギーにするのもいいのかも。
案外、負の体験が役立つとこだってあるし、普段あんまり思い出さないんだし。
自分がそうであるように。冷たい。


体調が悪いときにこんなこと考えだしたら
息できなくなるけど。



終始暗めでごめんなさい、健康です。
この記事は少しでも償いに成り得るのでしょうか。


thank you for reading~👋…∠‾❀


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