32年の憂鬱 その2
1992年腰痛なのかなんなのかわからず状態での謎の痛みが続いていた。
何をやっても痛い。
座っても寝てても痛い。だんだんとその痛さが共存してるわけだから嫌だけど慣れてくる。
こういう動きは痛い、痛くない、やっぱり痛い。そんな日々を過ごしていたような記憶がある。
本屋で腰痛改善の本も何冊か買ったけど、全然良くならない。
整形外科でのけん引治療もバカらしく思えて行くのをやめた。
そんな時に隣の駅にカイロプラクティックの店があり、1回1000円との事で行ってみたら、骨盤が曲がってると整形外科では言われなかった事を言われた。
そして、見たことのない斜めのベッドにうつ伏せになると、腰の辺りをガチャガチャ押し始める。そのベッドがバネみたいなもので凹んだり浮き上がったりとそれで矯正する治療だった。
自分もちゃんと聞いてなかったのも良くなかったが、終わった直後は身体がヘンテコな感覚だった。
更にそこのスタッフが背中を押すのだが、何だかくすぐったくてダメだった。。
何だか石立哲男さんみたいなチリチリパーマのおじさんだったけど、妙に指先を立ててカイロプラクティック治療をするので苦手だった。
「くすぐったい?やめようか?」。。
大したことがらできずに1000円は学生には痛い。
結局はそこも通うのをやめてしまった。
ただ、どうしても痛くなることがやっぱりあったので、鍼治療をたまに行くしかなかった。
鍼はその瞬間はいいのだけど、すぐに戻ってしまうところがあった。
結局はそうやって、やり過ごすしかなかった。
でも、やっぱり悪い病気なのかと急に不安になることもあり、総合病院の整形外科へ行くもやっぱり同じで、湿布と痛み止め、そしてお決まりの「運動しなさい。」出たよ。このセリフ。。
結局、この痛みはずっと付き合うことになるのかと思うとだんだんとやさぐれできてしまうことになる。
見切り発車でTSUTAYAでバイトするが、レジ業務だから、立ちっぱなしの仕事は辛い。。
しかし、いい加減に車の免許代を稼がないといけないと思いバイトするが、やはりこの身体では持続が無理だった。
晩飯もろくに食えないくらいになり、ここから急に体重が落ちる。
学校に行き、そのままTSUTAYAでバイト23時まで。ろくなもん食わないで働いてたら、いつの間にか60kgにもなってなく、ガリガリくんになっていた。。
学校入学時は72kgもあったのに。あの体重の減り方はやばかったな。。
やっぱり時々、寝込むほど腰が痛くなる事もあったけど、だんだんと根性でいろいろと動いていた時期だった。
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