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子どもの頃に食べておけばよかった、の後悔。

大葉をたくさんいただいた。袋を開けるとふわっと広がる、独特の爽やかな香り。それを刻みながらふと思い出した。

ウチも昔は庭からシソの葉を摘んできてたっけ・・・。

「昔」の記憶をたぐり寄せると、小学校に入学した頃・・・もう45年も前(!)のことだと思う。当時我が家は四畳半二間にちっちゃい台所と風呂トイレという狭い狭い借家に住んでいたのだが、借家といえども庭っぽいものがあった。柿の木もあったし、イチゴも生えていた。大家さんの厚意で、柿もイチゴも我が家でとってよかったらしい(多分)。その中にシソの葉もあったのだと思う。
赤いシソは梅干作りに、青いシソは漬物や薬味に・・・と母親は使っていたのだろうが、子どもの頃はシソなんて食べられなかった私。当然梅干しやら漬物なんてとんでもない話だった。

その後2回ほど引越しをした我が家だったが、どの家でも母は毎年梅干しと梅酒、それから糠漬けとらっきょうを漬けていた記憶がある。ベランダにざるに並べた梅が干してあったり、台所のシンク下に梅酒の瓶があったり、糠漬けの樽があったり。
ウチの母は娘ふたりに料理など何も教えなかった。多分あきらめていたのであろう。それに加えて当時の私たちは漬物も梅干もキライだったので、母親としても作り甲斐がなかっただろうし、どうせ食べないんだから・・・と思って教える気もなかったのかもしれない。

しかし、今になってしみじみと思う。

自分の母親の梅干しや糠漬けの味を、きちんと覚えておけばよかった。

昭和50年代は、まだ「働くお母さん」は少なく、ほとんどの家のお母さんが専業主婦だった。そんな中フルタイムで働いていた割に、母はよく料理を作っていたと思う。娘たちが高校生くらいになってからはすっかり手抜きになっていたが、それまでは外で仕事をしながらも結構マメにあれこれ作っていた。

その母が作っていた糠漬けや梅干やらっきょうや梅酒、教えてもらわないまでもせめて味を覚えていたら、いま役に立ったかもしれないのになあ・・・と30歳を過ぎた頃から痛切に後悔しているわけだ。

ま、後悔している私を見て、母親は「ほらみたことか」と思っているのかもしれないが。

私は両親のことは決して好きではなかった(育ててくれたことへの感謝はある)し、大人になってからもどうしても好きにはなれなかった。けれど、この年齢になって、記憶を呼び覚ましてくれるような風景を遺していたことには意外だったなぁと驚きもするし、それはそれとして感謝もする。

青じその葉の匂い、ベランダに干してある梅の匂い。大きな保存瓶の中で琥珀色になっていく梅酒の匂い。食べ物には常に想い出が宿っていると改めて思う。それがおいしかった記憶だろうが、どんなに不味い記憶だろうが、小さい頃に食べてきたものの記憶は強く残っている。

貧乏共働きなりにあの頃、いろいろな料理を作るところを見たこと、もしかしたら宝物だったのかもしれないと今になって思う。
自分で漬けている糠漬け、母の味とどこがどれくらい違うんだろう。母の梅干しを知っていたら、市販の梅干しなんて食べられなかったかもしれない。母の梅酒を飲んでいたら、チョーヤの梅酒じゃ物足りなかったかもしれない。

ああ、ホントに子どもの頃に母の梅干し、母の糠漬け、食べておけばよかった。

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