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【回想】初めて社会人になった頃。

春。新しい仕事に新しい出会い。
私が社会人になったのはもう20年以上前。
あっという間に時は過ぎ、もう昔昔の話。

社会建設工学を専攻し大学院を卒業して、建設コンサルタントで、土木技師として社会人デビュー。これからどんな社会基盤の建設に携われるのか、どんな現場に行けるのか。ドキドキ、わくわくしていた私。

配属先は企画開発部。
高専やアメリカの大学、スロバキアの会社などと共同して、ケーブルの張力を計測するモニタリング機器の開発をしていた私。
自宅アパートに一月の半分も帰れず。全国を出張で飛び回っていた充実した日々を送っていた。

当時、土木現場には女子の着替えるスペースがなく作業服を来たままで、でっかくて重くて鉛の塊のような、開発中の計測機器を抱えて、飛行機や新幹線に乗っていた私。今考えればどう見ても不審者間違いなし。
会社に帰って「その格好でそれ機内に持ち込んで帰って来たんか!」とよく笑われていた。

高専の実験室で基礎データをとって、沢山の現場でデータを集めて。解析をして。数値とにらめっこ。
私が笑おうと、泣こうと。喜んでも悲しくても。
計測値は同じ条件で測ればいつも同じ値。それが『当たり前』でそれが『正しい』
いつしか、自分の「感情」や「心」よりも
いかに効率的に仕事を進めていくか。
いかに1番の近道で目的地にたどり着けるか。
合理的な方法に考えを巡らせて。
それが『当たり前』の『正しい』ことだった。

当時、私の上司が
「土木の仕事は8割9割苦しいこと。だけれど携わった道路や橋が完成した時、感動と満足感がものすごい。それがあるから頑張れる世界なんだ。その1割2割を楽しみに仕事をするんだぞ」
と、出張先の居酒屋でビールを飲みながら語ってくれた。
かっこよかった。
私もそんな風になりたい。強くなりたい。そう感じた。

橋の現場。
日が昇る前にまだアスファルトが敷かれる前の完成間近の橋のケーブルの計測。誰もいない建設現場。
「橋が出来たらこんなこと出来ないぞ」
上司と二人、橋の上で大の字になって仰向けに寝そべった。
朝の白けて来た空を、斜張橋のケーブルがスパッスパッと横切っている。
まだひんやりとした空気の中で、「何て綺麗なんだ!」と圧倒された。
「寝るなよ。風邪ひくぞ」の上司の声で現実に戻された。

競馬場の建設現場。
9階建てのビルの屋根と同じ高さの屋根の上で、安全帯を付けての作業。
計測機器をしょって昇るのも、降りるのも大変で・・・。
半べそかきながらやっとこさっとこ頂上に。
高い高い上から、競馬場を見渡す清々しさ。圧巻の爽快感。
この景色が上司の話す「1割2割かも」と思い出す。
風がふき、あまりの高さにジョワーっと足がすくんだ。

大きなドームの建設現場。
天井に組まれたケーブルに機器を取り付ける。
重くて手こずっていると、いつも助けてくれたゼネコンの下請けのおっちゃん達。
「姉ちゃん、無理すんな。困ったら言えよ」
おっちゃんだって自分の仕事で忙しいのに、モタモタしていた私をよく気遣ってくれた優しい真っ黒な顔のおっちゃん。
「男に負けてたまるもんか!」と重くても何とか自分でしようと、張っていた肩肘の力が一気に抜けて、目頭が熱くなった。

今では全く違う世界で働いている。
だけれども、きっと土木時代の経験は私の血となり肉となり。今の私に流れている。

立場や考えの違う人と共同で仕事をすることは、大変なことは多いけれどもその先に見える景色は最高だってこと。

やり甲斐を持って仕事をしている人の背中はかっこよくて温かくって、優しいってこと。

「自分だけで」じゃなくて「誰かに頼って良いんだよ」ってこと。

沢山の現場で、沢山の経験から、沢山のことを学んだ土木時代のわたし。
たまに。土木の世界に帰りたくなる大切な大切な思い出達。

8割9割の大変なことを乗り越えて、社会基盤を創ってくれている土木に携わる沢山の皆さんに。心からの感謝!!
日々安心して生活できるのは、皆さんのおかげさま。
心からの「ありがとう」

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