あなたがそばにいれば #14

Yugo

やっと。

野島次長が帰ってきた。僕たちはこの日を心待ちにしていた。

10日は長い。
マジで、長い。

今度から海外出張は3日までという決まりを作っていただきたい。

「次長おかえりなさい! いや~マジで大変でしたよ! ねぇ前田さん?」

チラっと次長を見てちょっと俯いて、口角が上がる。

前田さん、嬉しそう。

「俺がいなくてもちゃんと回せるってことが立証されただろう?」
「やめてください。"ちゃんと" じゃないです。死にそうでしたよ! ねぇ前田さん?」

やっぱり前田さんはいつものように強気に返してこない。
笑って俯くだけ。

乙女、だな…。

うん、まぁ、見なかったことに。

そこから午前中いっぱいかけて3人で留守中の伝達事項と引き継ぎ案件について打ち合わせをした。

昨日の午前中に帰国したという次長は、時差ボケないんかい!って突っ込みたくなるほど素早く状況を把握し、対応指示を次から次へと出していく。

次長の頭の中ってどうなってるんだろうなって、たまに思う。
頭いい人って、こういうところで差が出るんだな、みたいな。

そのまま昼を迎え、外へランチに行くか!となった。前田さんもついてきた。

というか前田さんは本当に口数が少なく、いつもの前田さんらしくない。
次長もそんな前田さんに気づいていると思うのに、突っ込まない。

僕も何も言わないよ…。

* * *

次長がたまに行くという定食屋に入って3人で日替わりを頼んだ。
赤魚の煮付け定食。

そこで次長からドイツの土産としてアンペルマン(ベルリンの信号機のキャラ)のお菓子をもらい、前田さんだけ追加でニベアの限定缶をもらっていた。

前田さんはめちゃくちゃ嬉しそうにしていたけど、やはり口数少なかった。

「僕にニベアはないんですか」

すかさず訊いたけど、ないよ、とバッサリ切られた。

「僕の心も乾燥しがちだから、ニベアで潤わせたかったのに」

「そこら辺のドラッグストアで売ってるだろう。と言うかお前の心はニベアでいいのか」

「次長、そういうことじゃないんです」

僕たちのやりとりに前田さんはクスクスと笑っていた。

「そういえば奥さんから電話かかってきた時、めちゃくちゃビックリしましたよ」

僕がそう言うと次長は苦笑いして、前田さんは俯いた。

「あれは色々タイミングが悪くて…みんなに波及して申し訳なかったな」
「海外に行ってて連絡取れずに更に事故のニュースとか重なったら、やっぱりパニクりますよね」
「うん…妻はちょっとPTSDも持っているんだ。その影響があって、余計に慌てたんだよな。悪かった」
「あ…そうだったんですか…」
「優吾が出てくれて安心したって言ってたぞ」

前田さんはまずます俯いてしまった。僕はこの話題はもうやめようと思った。

ちょうど赤魚の煮付け定食もやって来た。
次長はザ・日本の定食、に満足気に口いっぱい米を頬張っていた。

「前田さんはドイツは行ったことあるんですか?」

僕は前田さんをなんとか盛り立てようと突然話を振ってしまったので、彼女はビックリした様子で顔を上げた。

「あ、あります…」
「どこ行ったの?」

そう訊いたのは野島次長だ。

「ベルリンと、ケルンと…それくらいです。それぞれ20代の頃に友人と旅行で…」
「へぇ、ケルンではケルシュビールは挑戦したのか?」

にこやかに次長が訊くと、前田さんも少し表情を緩めた。

「はい。でも一緒に行った友人が時差ボケで...レストランで居眠りしてしまったんですよ。もう1人の友人と顔を見合わせてしまって...一番良く食べる子がリタイヤしてしまったので、結局ザワークラウトとビールは1杯しか飲めませんでした」

「1杯! ザワークラウトだけ! もったいないことしたな!」

驚く次長が、ケルシュビールを説明してくれた。

次長は『椀子ビール』と形容したが、小さなグラスに継がれたビールをどんどんおかわりしていき、コースターに何杯飲んだかチェックをしていって、それでお会計する方式らしい。

「前田なら30~40杯は余裕だったと思うのに」
「次長! 私そんなにビール腹になるような飲み方しません!」

あ、やっといつもの前田さんが戻ってきた。

でも前田さん。つらいんだろうな。

あの時、奥さんから電話がかかってきた時、咄嗟に僕に代わってくれと言った。

普段はそんなこと絶対にしないのに。

それでも冷静に状況確認に回った前田さんはさすがだった。

昼食後社に戻って、前田さんは席で次長からもらったニベアの缶を眺め、蓋を開けてうす~く指先に取ると、手の甲に付けて伸ばし、香りをかいで、またしみじみと缶を眺め、大事そうにカバンにしまっていた。

以降、その "次長からもらったニベアを付ける儀式" は1日1回、必ず見ることが出来た。

恋している人って、本当にかわいいんだなって思う。

あ、僕は彼女がいるので! 下心ではないです!
…う~ん、ないです! って言い切れるのか、やっぱちょっと不安!

でも普段は『超美人』オーラ全開の前田さんが、まるで少女のようなしおらしさを出してきて、恋ってこんなに人をかわいくするんだ、と不思議に思う。

その相手が野島次長だから、かわいそうだなと思う。

どんなにかわいくしても、かわいいと思っても
「なんだお前、かわいいなー!コノー!」
ってハグしてくれる人は、前田さんの好きな人…つまり次長ではないのだから。

だからと言って僕がするわけにもいかず…。

…。

ニベア缶をカバンにしまった後の刹那の表情が、こんな僕の胸でも少し痛くさせる。

こんなに美人なのに。
堂々と楽しめる恋愛をしていないなんて。

世の中ってなんか不公平だなと思う。



#15へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?