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【掌編】クリスマスだからって言うわけじゃないけど

「じゃ、お先に失礼します!」

部下が笑顔で颯爽と帰っていく。
「クリスマスイブともなると、若い人は帰宅が早いねぇ」
近くにいた中堅社員が、そうぼやいた。

”そうか、今日はクリスマスイブなのか…”

夏希の顔がよぎり、思わず一人苦笑いする。
そんなイベントに浮かれたりする自分ではなかったはずだ。

定時を過ぎたが、まだしばらく上がれそうにない。
引継ぎを伴った業務整理しかり、師走ともなれば尚更だ。

暫くの間ドキュメント作成に没頭していたが、ふと思い立ち、休憩をするふりをして自席から離れた。
スマホを取り出し、俺は夏希にコールした。

メッセージではなく、コール。出なければ諦める。

暫く呼び出したが、応答はなかった。切った後、また苦笑いする。
”何をやってんだろうな、俺は…”
席に戻ろうとした時、手の中のスマホが震えた。

”高橋夏希” と名前が表示されている。
俺はすぐに通話をタップした。

『ごめんなさい、鳴ってるの気づかなくて…。何か、ありましたか?』

久しぶりに聞く彼女の声に、俺は…まるで初恋の少年のように鼓動が高なっていた。

「いや、仕事中だったか?」
『いえ、戻ってました。リビングにスマホ置きっぱなしにしてて。春彦が”電話鳴ってたよ”って教えてくれて』
春彦…夏希の弟だ。一度会ったことがあり、彼の屈託のない笑顔を思い出していた。
「そうか…」
『どうしました? メッセージじゃなくて電話だったので、何かあったのかと思って…』
「あ、いや。大したことじゃないんだ」

クリスマスだからって、ちょっと可笑しいよな。

「高橋。明日、会えないかな」
『えっ、明日、ですか?』
しばらく沈黙があったのち、彼女は『大丈夫です』と答えた。
「じゃあ明日。20時…いや19時半に」
『野島さん、忙しいですよね。無理しないでください。20時でも構いません。私…会社の近くまで行きますから』
「そうか、ありがとう」

電話を切った後も、しばらく胸の高鳴りは収まらなかった。

I’m already crazy for her.

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高橋夏希は、6歳下の俺の元部下で、彼女の退職後にたまたま街中で再会してから、何となく会うようになった。

何となく、このままいけば付き合うことになるんだろうな、という感覚って、あるだろう?
あと少しで、そうなるだろうと思っていた矢先に、踏みとどまる出来事が起こった。

以来、夏希とは12月に入って2週間以上、連絡を取りづらくなってしまっていた。

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お忙しいと思うので、私がお店を予約しておきました。ただクリスマスということもあってどこもいっぱいで、以前野島さんに連れて行っていただいた、会社の裏の方にあるワインバーが21時からだったら席取れました。
遅すぎるようなら、他を探してみます。

昼休みに入る前、彼女からメッセージが届いた。誘ったのは俺の方なのに店の手配まで気をまわしてくれて、助かった。
”大丈夫”と返信した。

俺は慌てて、昼休みに会社近くのデパートへ駆け込んだ。こんな日に手ぶらで会うのはさすがに悪いと思った。しかし俺は、プレゼントのセンスなんて皆無に近い。
彼女がどんなもので喜ぶのかも、わからなかった。
かと言って若手女性社員に訊いたりしたら、何言われるか分からない。それは少々鬱陶しかった。

売り場をさまよっていると、あるオーナメントに目がいった。クリスマス用かもしれないが、彼女の家のリビングに馴染むイメージが湧いた。
店員が話しかけてきた。
「こちらはヒンメリと言いまして、フィンランドの伝統的なモビールなんです」
その後も詳しく説明をしてくれたのだが、なにか惹かれるものもあって、話も途中に購入を決めた。

俺はプレゼントの包みを、なるべく目につかないように抱えて、職場へ急足で戻った。

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21時。
結局俺はギリギリまで残業になってしまった。店には既に夏希が席に着いていた。

前回会ったのは、俺のドイツ行きを告げた時だったな。
あの時の夏希の、戸惑い交じりのこわばった表情を思い出す。

あの時俺は、本当に言いたかった言葉を、ドイツへの赴任が決まったことによって、言い出せなくなってしまった。
離れ離れになることがわかってて、想い入れができれば辛くなるだけだから。

俺を見つけると彼女は軽く会釈をした。
「遅い時間にすまない」
「いえ、私は大丈夫です。相変わらずお忙しそうですね」

席に着いて、泡で乾杯をした。
「引き継ぎと、家を引き払う準備と、なかなかバタついてるな」
「ですよね」

夏希はちょっと目を伏せたが、カバンの中から包みを出すと俺に差し出した。
「クリスマスなのでプレゼントを、と思って。全然大した物ではないんですけど…」

リボンを解き箱を開くと、ハンカチ。
碧色に橙で縁が取られており、Rのイニシャルが赤紫の糸で刺繍されている。俺の名前”遼太郎”のイニシャルだ。

「ハンカチとかだったら、いくつあってもいいかな、と思って…。向こうに持っていくにも邪魔にならないと思いますし」
色彩センスは夏希らしいな、と思った。俺はそれをスーツの胸ポケットに差してみた。
「いいね。気に入った。ありがとう」
夏希も安堵したように笑顔を浮かべた。

俺も、と包みを夏希に渡す。
「えっ、用意してくれていたんですか?」と、彼女は驚いた。

包みを開いた夏希はうわぁ、と声を上げた。
「これ、ヒンメリですね? かわいい! 前から気になってたんです。野島さんにこういうセンスあったんですね。意外でした」
「あれ、俺はバカにされてるのかな?」
そう言うと夏希はアハハ、と笑った。

久しぶりだな、こんな笑顔を見るのは。

「良かった。笑ってくれて」
思わずそう言うと、夏希は「えっ?」と目を丸くした。

今なら言える。
クリスマスだからって言うわけじゃないけど。

俺は夏希に身体を向け、言った。
「高橋。お前の退職後に偶然再会して、こうして会うようになって…。俺がドイツに行くことになったからと言って、じゃあさよなら、お元気で。は無いなと思ってるんだ」
夏希も少し改まって聞いている。

先日、春彦くんに言われた言葉が頭をよぎる。夏希からドイツ行きを聞いた彼が、僕を呼び出して言ったのだ。

向こうに行ったら、生存確認って言ったら大袈裟ですけれど、声を聞かせて欲しいっていうか、姉に。
離れ離れになるのがどんなに辛いのか、僕たち思い知ってるんです。

いや、彼に言われたからじゃない。俺がそうしたいと思っている。

「向こうに行っても、連絡を取り合いたい。遊びにおいでと言ったのは本気だ。会えるなら、会いたい」

噛みしめた夏希の唇が微かに震えている。やがて黙ったまま彼女は頷いた。
俺はようやく肩の荷が降りたような気がした。

その後もしばらく飲みながら話をしていたが、翌日の俺を気遣って、夏希は”毎日お忙しいようですから、早めに帰って休んでください”と言い、お開きにした。

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店を出て駅に向かって歩き出すと、少し後ろを歩いていた夏希がふと足を止めた。
振り返ると彼女は俺をジッと見つめ、やがてその瞳からポロリと、大きな粒の涙がこぼれた。

あまりにも美しく粒が落ちたから、俺は一瞬見惚れた。

次の瞬間、俺は慌てて近寄り、どうした?と訊いた。
夏希は嗚咽を上げて泣き出した。
思わず彼女を抱き寄せ、脇道へ入る。

「どうした? なんで泣いてる?」
両手で夏希の頬を包んでもなお、涙が伝ってくる。
「…たくない…」
小さな声に、俺は聞き取れずに夏希の瞳を覗き込んだ。彼女は一旦唇を結んだ後、呟くように言った。

「好きです…野島さん」

**********

しまった、と思った。

それは、俺から告げるべきだった。

俺は情けない顔していたかもしれない。夏希は「迷惑でしたか…?」と不安そうな表情で言った。
「いや」
俺は彼女をきつく抱きしめた。
「迷惑なわけない。違うんだ。俺から言うべきだった。自分が情けなくなって…」

夏希は少し身体を離し、鼻にかかった声で俺を見つめて言った。
「私、嬉しかったです。さっき、連絡とり合いたいって言ってくださって。私の方こそ、ずっと野島さんのこと好きだったのに、何も言わないでグズグズしていて」

鼻先が触れ合った。

「俺も、高橋のことが、好きだ」

互いの唇に触れ、離れると夏希は濡れた瞳のまま、少し微笑んで言った。

「クリスマスに、助けられました」





End

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