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【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #11

ワルシャワへ、愛を込めて

稜央は真っ昼間からのワインで相当気分が良くなっていたが、遼太郎は至極平然としていた。

再びNowy Świat(ノヴェ・シフィアト)通りに出てFoksalバス停から180番のバスに乗り込む。
10数分揺られ、降りたところは大きな幹線道路が高架で交差している場所だった。
Plac Na Rozdrożu(プラツ ナ ロズドロジュ)停。

バスの進行方向へ歩いて進んでいくと、左手に広大な緑の空間がある。

「ここがŁadzienki(ワジェンキ)公園だ」

遼太郎がそう説明した。園内に入る前に通りで水を2本買い、1本を稜央に手渡した。

ワジェンキ公園前の通り。ワゴンの売店が時折出ている(2014年撮影)

広い園内の奥には宮殿もあるが、通り沿いの遊歩道を並んで歩いた。先程のサスキ庭園もだいぶのどかだったが、こちらも広大ながら相当のどかで、老若男女、皆ただのんびりと歩いている。
木々が多いため強い日差しを避けながら、足元の色鮮やかな花々に心を奪われるようだった。

ワジェンキ公園内(2018年撮影)

やがて芝生の広場に出る。池の前に大きなモニュメント。どうやらあれがショパン像のようだ。

ワジェンキ公園内、ショパン像(2018年撮影)

遼太郎はぐんぐん進み、木陰になっている芝生のスペースに腰を下ろした。稜央も隣に腰を下ろす。

「初めて俺がワルシャワを訪れた時も、知り合いに教えてもらってここに来たんだ。同じようにこうやって芝生に寝転んで、ピアノを聴いた。その時流れていたのが『英雄ポロネーズ』だったんだ。お前のポロネーズを聴いた時、ありありと思い出したんだよ、ワルシャワのこの光景を。それで…」

遼太郎はそこで一度言葉を止めた。稜央がチラリとその横顔を見る。彼は穏やかな顔をして青空を眺めていた。

「それでお前を、ワルシャワに連れて行ってみたいと思った。お前ならこの地でどんなメロディを弾くかなとか、現地の人も圧倒するくらいのすごい演奏して見せてるんじゃないかとか、色々想像した」
「そんなこと考えて…、それで…今回俺を呼んでくれたと?」

遼太郎は稜央を見て、黙ったまま瞳で頷いた。

ワジェンキ公園のショパンピアノコンサート。屋根の下にピアニスト(2014年撮影)

「Dzień dobry Państwu. Witamy na koncert Fryderyka Chopina…」

突如マイクを通して声が響いた。見ると司会のような男性がなにやら話をしている。
稜央は遼太郎を見たが、彼も肩をすくめた。

アナウンスが終わり観客が拍手をすると、白い幌のような屋根の下に置かれたグランドピアノの前に、女性のピアニストが着座した。

最初に弾き出したのは『Ballade in F Major, Op. 38 No. 2』。
続いて『Etude in B Minor, Op. 25 No. 10』『Etude in F Major, Op. 10 No. 8』、更に『Mazurkas, Op. 17』と続いた。
当然、全てショパンの作品だ。

辺りはいつの間にか人でいっぱいだった。
ベンチは満席で、皆芝生でも思い思いに脚を伸ばしたり寝転んだりして寛ぎながらピアノを楽しんでいる。

稜央の隣で寝そべる遼太郎も頭の後ろで手を組んで、目を閉じて聴いている。もしかしたら寝ているかもしれない。

稜央はこんな贅沢な空間でショパンのピアノのコンサートが夏の間の毎週日曜日に1時間も(午前と午後で各1回ずつなので計2時間あまり)、しかも無料で楽しめるポーランドの文化度の高さに舌を巻いた。

やがて『Polonaise in A-flat Major, Op. 53 No. 6 "Heroic"』が流れる。英雄ポロネーズである。
稜央の背後で遼太郎が「ラッキーだな」と言った。振り向いても目は閉じたままだった。

聴きながら稜央は淡い青空を見上げた。飛行機雲が伸びている。木々の隙間から柔らかな日差しが落ち、風が枝葉を揺らす。

こんな光景のBGMが英雄ポロネーズかよ。

稜央は心が震えた。
心が震えるとは、本当はこういう事なんだ、と気付かされた。

ワルシャワの空、飛行機雲(2018年撮影)

この時の流れは何だろう、と稜央は思う。
今、自分は父と、ワルシャワの公園で、ショパンを聴いている。
喧騒を忘れ、穏やかなひとときの中。

むしろ時は流れているのだろうか? いつも過ごすあの日々と同じ時間が、ここに存在するのだろうか?

本当にあの日本がこの同じ空でつながっているのか? と疑いたくなる思いだった。

「英雄ポロネーズって、本当にワルシャワにぴったりな曲だと思わないか?」

遼太郎がポツリと言う。稜央も同じことを感じていた。

「ショパンが如何に祖国に敬愛を示していたか、この曲が全て表現していると、素人の俺は思うわけだ」

「改めて俺も…同じこと感じたよ」

「お前がまだピアノを続けていると聞いてから、どうしても、お前をここに連れて来たかった。空に突き抜けていくようなこのカタルシスを誰かと分かち合うなら、お前だろうな、と」

「父さん…」

稜央は正面に向き直り、聞こえないほどの小さな声で呟くように言った。

「ありがとう…」





#12へつづく

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